ずっと一緒

真花

ずっと一緒

 薄暗い部屋、ベッドの上、人形のサミュエルと話す。

「いつか王子様が助けに来てくれるかな」

(きっと来るよ。リカはいい子だから、きっと王子様がやって来るよ)

 私はサミュエルをちょっと振る。

「でも日本で王子様ってのも変だよね」

(それは例えだって。助けに来てくれる人のことを王子様って呼ぶんだよ)

「もう何年もここにいるよ? 助けに来てくれるにも気付かれないかも」

(何か合図を出せたらいいんだけどね)

「私、いっぱい穢れちゃったし。王子様も見向きもしてくれないかも」

(そんな器の狭い王子様なんて、こっちから願い下げだよ。大丈夫。どんなであってもリカをちゃんと見てくれる人が現れるよ)

 私はサミュエルを思い切り振る。

「どんなって、言い過ぎ。……でも、それでも私を見てくれる人が現れるかなぁ」

(現れるって。希望を捨てないで。外に出ることも)

「外はどうなっているんだろう。テレビに映るのは遠くのことばかりで、うちの近所のことは全然分からない。実際出てみたらすごい治安が悪くてすぐに死んじゃったりして」

(そんなことはないと思うよ。でも出ることが怖いんだね)

「そもそも出られないけどね……」

 ノックがあって、パパが入って来た。それは問答無用だし、私は三十分我慢すればいい。サミュエルを素早くベッドの端に置く。顔を伏して。サミュエルには見せたくなかった。


(泣かないで、リカ)

「だって」

(いつものことだって割り切ってしまえばいいのに)

「そうね。そうなんだけど、どうしても、何度だって悲しいの」

(ねえ、リカ、無理にでも外に出ようよ。本当は外に出られるってリカは分かっているでしょう? 窓からだって出られるし、玄関からだってタイミングさえよければ出られるよ)

「パパが怖いから、出られないんだ。もし逃げて捕まったらって思うと、何をされるか」

(でもこのままじゃ、ずっと搾取され続けるよ。この前テレビでやっていたじゃない。児童相談所ってのがあって、交番からでも通報してくれるって。交番に逃げ込もうよ)

「交番かぁ。でもパパは警察は信用が出来ないって言ってたよ。児童相談所の人もそうだって」

(それはパパの都合で言っているだけだよ。パパの気が逸れている今がチャンスだよ)

 こんなやり取りを毎日のようにしていた。

 少しずつだけど確かに、私の意識は外に向くようになっていった。

 ある夏の日、私はサミュエルの言葉に従って、窓から外に出た。もうやってらんない。決断の根拠はそれだけだった。二階だったけどなんとか降りて、怪我もせず、外の世界に足を踏み入れた。腕にはサミュエルを抱えていた。裸足だったけど、走った。薄い記憶にある駅前に向かって走った。ボロボロの服で髪もぐちゃぐちゃで、走っていたら涙が溢れて来た。それは自由の味なんかじゃなかった。悲しい訳でもなかった。今から自分がどうなるかが分からなくて、何の装備もないままに大海に出たみたいな孤独があって、それでも涙を拭って走った。

(とにかく交番を探すんだ。早く)

 でも交番は見付からない。私は道を歩いていたおばさんに声をかけた。

「すいません。交番はどこにありますか?」

「あなたどうしたの? ボロボロじゃないの」

「交番に、行きたいんです」

 おばさんは憐れむような目を私に向けて、ため息を一つついた。

「いらっしゃい。こっちよ」

「ありがとうございます」

(ありがとう)

 おばさんに付いて行き、公園前の交番に到着した。

「ここよ。しっかりしなさいね」

「はい」

 交番の中には警察官が二人いた。両方とも若い男性で、私の足は竦んだ。

(こんなところで止まっている場合じゃないよ。さあ、早く)

 私は頷いて、交番の中に入った。

「すいません」

「はい。どうしましたか?」

 私はサミュエルをギュッと抱く。

「家で、酷いことをされて、閉じ込められています。逃げて来ました」

(だから、早く保護してくれ)

 警察官は神妙な顔をして、「詳しく聞かせて欲しい」と私の目をじっと見た。その目がパパとそっくりで、急に吐き気が、吐いた。サミュエルにかからないように避けて、床に吐いた。警察官は怒らずに、粛々と吐物を片付けた。

(お前じゃまともに話せないから、もう一人と代われよ)

 サミュエルの言葉が届いたのか、もう一人の警察官が私に向き直った。私は家でされていることを話して、窓から逃げて来たことを伝え、児童相談所に通報して欲しいと言った。

(よく言えたね。リカ、頑張ったね)

 サミュエルの声に、私は「頑張ったよ」と応えた。

(後は児童相談所が来るのをここで待たせて貰えばいい。それでなんとかなるはずだ)

「でも、その後のことは?」

(それはまだ分からない。でも、まずは避難しないといけない。そうでしょう?)

「そうだね」

 サミュエルとブツブツと話す私を見て、パパに似ている警察官は嫌悪の表情を、もう一人の警察官は同情の表情をしているのが視界の隅に見えた。

(ずっと一緒だよ、リカ)

「きっとずっとそうであって」

 私はサミュエルを抱き締めた。


(了)

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ずっと一緒 真花 @kawapsyc

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