シーン12:ブラックボックス
赤城 大輔(あかぎ だいすけ)
指令: 機関の指示に従う
因果律信頼区間: 4.2 要管理対象
上司が俺たち3人を目撃してから、零化局の白服連中がやってくるまではさほど時間はかからなかった。赤城は抵抗する。
「おい!お前ら離せって!」
俺、杉山、上司の3人がかりで押さえ込めば、いくら運動神経のいい赤城でも動けないようだった。俺は今すぐにでも赤城を解放して、一緒に反抗してやりたかったが……今そうするわけにはいかない。赤城への罪悪感、自分に嘘をついている感覚。胃の中がぐつぐつと煮えたぎり、心が張り裂けそうだった。
零化局の制圧部隊の職員がやってきた。髪を後ろで結んだ、無表情な女性だった。
「こちらが、芸術テロリスト……赤城大輔ですね」
そう尋ねてきたのは、指数ゼロの女――河合澪だった。上司が受け答えする。
「はい、管理局の外壁に芸術テロを行ったのは彼です」
「承知しました。赤城大輔、あなたを拘束します」
赤城は、白服の連中に引き渡された。赤城は手を縛られて連行される。
「いててて!もうちょっと優しくしろよ!」
こんな時ですら、赤城は純粋だ。赤城のことが、自分がこれから肉にされると知らない牛や豚のような、無垢で悲しい存在に見えた。
杉山と上司はというと、苦い顔をしていた。だが杉山の顔にだけ、どこか自分を責めているような雰囲気があった。
窓の外を見ると、赤城の描いた芸術作品が、防護服を着た零化局の連中によって薬液を散布され、消されているようだった。人の作品を――赤城という人間性の現れを――まるで病原菌のように扱う奴らの態度に、俺は怒りが隠せなくなりそうだった。
上司から呼ばれて、俺は理性を取り戻す。
「おい滝沢、管理部長から緊急で呼び出しだ。早く行ってくれ」
管理部長。表面的な優しさでコーティングされた、管理社会の冷たい男。ああ、今一番会いたくない相手なのに。俺は嫌悪感をぐっと抑え込む。
「承知いたしました」
白くて重い扉を開けると、部屋の奥に管理部長がいた。
「滝沢くん、私は悲しいよ」
俺が入室するなり、管理部長はそう語りかけてきた。確かに落ち込んでいる顔だ。しかし、腹の底では何を考えてるか全く見えず、気味が悪い。
「赤城くん、いい子だったんだけどね……芸術テロリストになってしまうとは。悲しいと思わないかい?」
俺は無言を貫く。この男に同調も反発もしたくない。
「何も言わないかあ。そりゃ悲しいもんね」
うるさい。
「滝沢くん、前も言ったけど君もかなり指数が高い。このままだとクビにしなきゃいけなくなる」
うるさい、うるさい。
「演算社会に刃向かうと、こちらも相応の対処をしなきゃいけないんだ。こっちだって手荒な真似はしたくないんだ。分かってくれるかな」
「……機械の操り人形が、偉そうに」
いつの間にか、小さく口に出してしまっていたらしい。幸い、管理部長には聞こえていなかったようだ。
管理部長は、はあ、とため息をつく。
「滝沢くん、ずっとこっちをにらんで黙り込んでるんだもんなあ。これじゃ話が通じないよ」
言われて初めて、俺は眉間にシワがよっていたことや、握りこぶしを作っていたことに気づいた。
「まあ、今日のところはこれでいいよ。赤城くんの単独犯みたいだし、君も何も言う気はないみたいだし。でも……」
管理部長は、こちらを真正面から凝視した。俺と目が合った。
「後日、特別にいいものを見せてあげよう。今の君はちょっとすねてるみたいだけど、これまでみたいな優秀な職員に戻ってくれるはずだよ」
穏やかなトーンこそ崩していないが、管理部長の声には本気さがにじんでいる。何をたくらんでいるか全く読めない。
「さ、仕事に戻ってね。あ、それと最後に……何か悩んでることや言いたいことがあったら、遠慮なく言っていいからね」
偽善者め。
そう言ってやりたくなったが、俺は笑顔を張りつけた。俺はもう、機械の操り人形を相手に笑顔を作るのも辛くなってきていた。
「はい、ありがとうございます」
帰宅した俺は、夕食を食べても味がせず、入浴しても心の奥に積もったカタマリがほぐれない。赤城は今、どこで何をしているんだろう。
「俺のゲージュツだよ!すげえだろ!」
消灯した部屋でだらりと寝転がり、赤城の言葉を思い出す。杉山や管理部長がワールドシミュレータの操り人形だとすれば、赤城はジョナサンの操り人形みたいだ。だが、ワールドシミュレータは指令で俺たちの行動を縛りつける一方で、ジョナサンは何と言っている?
「やりたいからやる!それだけだ!」
ジョナサンには、確かに人をひきつけるカリスマがある。赤城もそれに煽動されたんだろう。でも、ジョナサンは赤城を操ってはいない……はず。ジョナサンの方が正しいと思う。
――でもそれで、赤城が窮地に陥っている。
「俺は、何がしたいんだろう。やりたいことがあったとしても、それはリスクを背負ってまで、やりたいことなのか?」
赤城。ジョナサン。杉山。管理部長。彼らの言葉が俺の頭のなかでぐるぐると回りながら、考え疲れた俺を寝かしつけた。
翌日。俺はいつも通りに起き、いつも通りに朝食をとって通勤し、いつも通りに職場に来た。
だが、いつも通りがすぐに崩れた。上司が俺を呼ぶ。
「おい滝沢、管理部長がまたお前を呼んでるぞ」
俺は管理部長の発言を鮮明に思い出した。
「後日、特別にいいものを見せてあげよう」
何があるかは全く分からない。だが、かなり嫌な予感だけは確実にある。俺の鼓動は、上司に聞こえるのではないかというほど激しくなった。
「はい、分かり、ました」
俺は、管理部長のいる部屋の白い扉の前まで来た。呼吸が浅くなり、何回息を吸っても息苦しい。俺がノックしようとしたとたん、管理部長が扉を開けた。
「お、滝沢くん。おはよう。ちょうど君を迎えにいこうとしていたところだ」
管理部長は微笑みながら、5、6人ほどの部下を連れて部屋を出てきた。
「さ、行こうか」
俺たちはエレベーターに乗り込んだ。管理部長は、地下階のボタンを押した。ジョナサンたちのいる自由な地下とは違う、演算社会の中枢部の地下。その薄暗さが、冒険心ではなく本能的な恐怖をあおった。
どれほど乗っていただろうか。十数秒だったかもしれないし、5分ほど乗っていたかもしれない。やがてエレベーターが止まり、開いた。
全員が出てきて、ドアが閉まったのを確認すると、管理部長は穏やかな口調を崩さず、確かにこう言った。
「やれ」
すると、5、6人がかりで俺が押さえ込まれた。思考が追いつかず、焦りと不安の混じった声が出た。
「なっ……!」
「ああ、心配しなくていいよ。べつに過激なことはしない。君は優秀だからね、大事に扱いたいんだ。ただ、ちょっと見てもらいたいものがあるだけで」
「見てもらいたいもの……?」
俺は腕や肩を押さえられて、連れられて歩くしかできなくなっていた。
無機質な灰色の廊下が続き、壁の両側には番号のついた扉が一定間隔で並んでいる。
「えーっと彼は……302番だったかな」
俺たちは、ドアに302と書かれた部屋の前に立った。管理部長が、カードを取り出す。
「この部屋はそうだね、君の上司とかじゃないと開けられない、ちょっと特別な部屋なんだ。君たちはまだ下級職員だからね」
ピッ、と耳を刺す音が鳴り、扉が開く。
「あっ!滝沢!」
「赤城!?」
赤城の声がした。俺は必死に目を動かして、すぐに周囲を探した。中には、俺たちと同じようなスーツの集団に押さえ込まれた――赤城。
でもそれ以上に目を引くのは、部屋の中央に設置された、数メートル四方の真っ黒な立方体。あらゆる光を吸い込み、まるで空間に四角い穴が空いたようだった。その色を見つめていると、触っていないのに冷たさを感じる。
「なんだ……これ」
俺は思わずつぶやいてしまった。管理部長が反応した。
「ブラックボックスだよ。といっても、まだ君は知らないかな」
「ブラックボックス……?」
俺は、眼前の漆黒の異物への理解が追いつかない。
「そう。なぜこんなものがあるか、丁寧に説明するね」
管理部長はブラックボックスの前へ歩み寄り、俺の方を振り返った。真っ黒い闇の中から、管理部長が語りかけているようにみえた。
「因果律信頼区間――いわゆる指数のことは、君もよく知っているね?ワールドシミュレータが、どれだけその人の行動を予知しづらいかの数字」
管理部長は、子供に諭すように続ける。
「でも指数が高すぎる人が多いと、ワールドシミュレータの未来予知の精度が落ちる。未来予知で成り立っている、人々の平穏な幸福が邪魔されちゃうんだ」
管理部長は、ため息をつく。
「だから、演算領域の外に追放するんだ」
「演算領域の外……?宇宙とか地下だけじゃない……?」
「そう。人工的に、演算領域の外を作った。それが、このブラックボックス。この箱って本当にすごくてね、中でどれだけ騒いでも、どんなに熱いものとか入れても、絶対に音も熱も外に漏れてこないんだ。つまりね、指数がどれだけ高い人間を入れても、演算社会にその影響が出てこないんだよ。すごいでしょ?」
零化局の白い秩序、俺たちの住む灰色の街、そして――黒い制裁。零化局に捕まった芸術家たちは、こんな目に遭わされていたのか。
管理部長は、目を潤ませながら語る。
「赤城くんもね、かわいそうなんだけど……この中に入ってもらわなきゃいけないんだ。指数が4を超えてて……芸術テロリストになってしまったからね」
「赤城……!」
俺は声を絞り出した。俺の顔が蒼白くなっているのが自分でも分かる。
管理部長の涙が引っ込み、穏やかなトーンに戻る。
「ああでも安心して!もしも中で何かあったら安全装置が通報してくれるし、食事もトイレもちゃんとあるよ。ちょっと寂しいけど、彼も平穏で幸福に過ごせるはず」
「でも、そんなの生きてるなんて言えない……」
「滝沢くん、君はいったい何がそんなに不満なんだい?……確かに、彼は追放しなきゃいけない。私も苦しいんだ。でもしょうがないんだ。社会の秩序のためなんだ」
赤城に目をやると、顔が青いが、どこか悔しさをにじませている。管理部長は赤城の方に向き直った。
「君たち、赤城くんを幽閉しなさい」
スーツの集団は、黒い立方体の――よく見ると付いていることが分かるドアを開けた。
真っ黒な内装が僅かに見える。
あれは地獄への入り口だ。
一生、あの中でただただ機械的に生き続け、自らの寿命を迎えるのを待つだけの存在になる。
決して痛い目にあわされることはないが、あの中に楽しいことは何もなく、一人ぼっちで、生きていると実感することは永遠にない。
赤城の顔から悔しさが消え、ますます青みを帯びた。
「は?……う、嘘だろ?俺一生あの中で過ごすの?おい待てって!お前らそんなことすんのかよ!」
スーツの集団は、無表情で赤城を引っ張る。赤城は俺と目が合った。
「滝沢、助けてくれ!何とかしてくれよ!やりすぎたのは悪かったからさ!」
ああ、だめだ。
怒りとか、悔しさとか。
これまでの俺の不満が、すべて崩れ落ち、無力感と絶望に塗りつぶされていく。
演算社会という化け物の生み出した真っ黒な地獄が、赤城を飲み込む。
俺は見ていることしかできない。
「怖い、怖い!一人にしないでくれ!!誰か!!誰か助け」
バン、と扉が閉められると、音声が途切れたように赤城の声は消えた。彼は、この社会からいなくなった。もう、あの純粋でどこか馬鹿っぽい、愛嬌のある声を聞くことはできない。そう思うと……。
「あ、あれ……?」
俺の目から、ぽろぽろと大粒の涙が出てきた。赤城には何の罪もないのに、ちょっと絵を描いて自由を望んだだけで、こんな仕打ちをうけるなんて。
――このままだと俺もいずれ、ああなるのか?
俺の目は、あの真っ黒な地獄にくぎ付けだったが、俺の心にも、あの黒さが侵食してきた。
俺の絶望に、管理部長が語りかける。
「もとの優秀な職員に戻ってくれるかな、滝沢くん」
あの後、俺はどうやって過ごしていたか全く思い出せなかった。気づくと、自宅のベッドに倒れこんでいた。
「赤城……」
いや、おかしい。これはきっと……夢なんだ。管理局のあんな地下なんて見たことがないし、ブラックボックスだってそうだ。きっと俺は今日、昼寝していたんだ。それで変な夢を見たんだ。きっとそうだ!明日になれば、赤城が来ていつもの無邪気な笑顔を見せてくれるはずだ!
でも、なんだかどっと疲れている。俺はスーツも脱がずに、そのまま目をつぶって眠りに落ちた。
翌朝、俺はいつも通り出勤する。なんだか睡眠が浅かった気がするが。俺はデスクに座った。杉山が俺に声をかける。
「なあ、昨日の件なんだが……」
「ん、どうした?」
「赤城はどうなったんだ?」
あれ、赤城はどうなったんだ?俺が夢を見ていただけなら、杉山がそんなことを言うはずはない。
俺の脳内で、黒い箱が赤城を飲み込む様子が鮮明に思い出された。
「うっ……!!」
俺は口元を押さえて、デスクから思わず飛び出した。
「あっおい滝沢!どこに行くんだ!」
俺はトイレに駆け込んだ。俺の胃がぎゅっと縮んで、内容物を押し出す。
「おええ……っ!!」
涙混じりに、口内に残った一部をペッと吐き出す。
「やっぱり……夢じゃ、なかった……!!」
俺の胃が、また縮む。胃液しか出てこないが、ひたすら縮み続けている。まるで、あの真っ黒な箱の、恐怖の記憶を必死に吐き出そうとしているようだった。
「うう……」
俺はしばらくの間、トイレでうずくまり続けていた。
杉山は、滝沢を呼び止める間もなく見送ってしまった。
「滝沢のやつ大丈夫か……?明らかにただ事じゃない」
杉山のもとへ、上司がやってきた。
「お、杉山か。赤城のやつだが、急病で今日から来られなくなった。急で悪いな」
「……承知いたしました」
そう返答する杉山の顔には、上司の言葉への疑念が浮かんでいた。
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