シーン9:面白いと言って


滝沢 蓮(たきざわ れん)

指令: 桜井沙耶と共に、映画観賞して感想を言い合う。その際、面白かったと言うこと。

因果律信頼区間: 1.9



ジョナサンとひと騒動起こした翌朝。沙耶から連絡が来る。


『今日は蓮くんと一緒に映画を観に行って、って書いてある!』


そういえば今日の指令を見ていなかった。俺は端末を開く。


「映画を見て面白いと言え、だって……?」


馬鹿げている。いつの間にか眉間にシワが寄り、握りこぶしを作り、つぶやいていた。


「俺は……機械の操り人形じゃない」


しかし、そんな怒りも指令書の末尾の記述で霧散した。


指数、1.9。管理局の定期モニタリングの合格ラインは、1.5だ。それをオーバーしている。俺は苦々しく思ったが、今日ばかりは大人しく従うことにした。


沙耶との待ち合わせ場所に着いた。駅の近くにある大きな映画館だ。


「蓮くんお待たせー!」


沙耶が立っていた。無地の白いワンピースが、沙耶の体のラインをおぼろげに写し取る。レースのあしらわれた日傘が、太陽光を白く反射している。上品なのに素朴で、それでいて……純粋で、どこか危うい。


「待ってないよ、じゃあ行こうか」


二人で映画館に入った。


地下からやってくる野蛮で予測不能な芸術とは異なり、一般公開される映画はシミュレータの目が届く範囲で製作される。どれも、ある種のお約束的な作品が多い。内容が衝撃的すぎると、鑑賞者の脳がひっかき回されて演算誤差を招くからだ。映画の検閲も、管理局の仕事だ。


「蓮くん、何が観たい?」


沙耶の横目と俺の目が合う。


「沙耶が観たいものなら何でもいいよ」


恋愛、アクション、ミステリー……ジャンルこそ多様で、一見すると魅力的そうなポスターが壁に敷き詰められているが、おそらく男女がくっつき、巨悪が滅ぼされ、一番影の薄いやつが犯人だ。全てが予定調和的。どれを選んでも同じだ。なら、沙耶が選んだ方がまだいい。


「そうだなー」


沙耶の黒く大きな瞳が、漂白済みの映画の群れを泳ぐ。その黒が、白い服装とは対極的に見える。


「これがいい!」


沙耶は恋愛ものを選んだ。俺たちは、ポップコーンと炭酸飲料を持ってスクリーンの前に座った。


「ドキドキするね!」


沙耶がこちらを向いて無邪気に笑った瞬間、俺と沙耶の間に透明な壁を幻視した。俺は観終わった後の感想を強要されつつあるが、君の笑顔は、どっちなんだ?


「ああ、そうだな」


声が震えたかもしれない。俺は努めて平静を装い、沙耶が目に入らないよう正面に向き直った。


照明が落とされ、俺の思考も止まった。スクリーンが真っ白に輝き、ぼんやりと俺たちを照らし出した。


映画が始まる。男女の出会い。互いに惹かれて、揺らぐ。最後にひと波乱あって、結ばれて終幕。王道だが、面白みがない。


こんなものは……芸術ではない。もっとランダムで鮮やかで野蛮で、何より……衝撃的で、あるべきだ。




映画館を出て、灰色のビル群の中に出た。沙耶は笑顔だが、少し顔がひきつっている気がする。


「映画……面白かったね!」


沙耶は口を無理矢理動かしたように見えた。


「……そうか。じゃあ、どこが面白かった?」


俺は沙耶を試すことにした。言葉に気持ちが乗っていないからだ。本当に面白いと思うなら、少しでも何か感想が言えるはずだ。


「面白かったところ……?えっと……えっとね……」


沙耶は不安そうに、紡ぐ言葉を探している。俺の疑惑は確信に変わりつつある。


「沙耶」


「……なに?」


「今朝の指令書で、俺は映画を観て面白いと言え、って言われたんだ」


沙耶が息をのむ。


「沙耶、本当はあの映画……どう思ったんだ?」


「えっと、面白いって……」


沙耶は目をそらした。俺は勢いづく。


「それは沙耶が心から思っているのか?それなら良いんだけど、俺にはそう見えないんだ」


「……今日の蓮くん、なんだか怖いよ……」


声が小さくなり、震えている。でも俺は、ただ……。


「知りたいだけなんだ。沙耶の感想が、本心からなのか、シミュレータの指令なのか」


「……シミュレータがやってって言ったら、なんでもやらなきゃいけないの」


「なんで……なんで沙耶は、そんなにシミュレータに従うんだ」


「ちょっと長くなるけど、いい……?」


俺はうなずく。沙耶は涙を滲ませながら、語り始めた。


「……小さい頃にね、指令を……破ったことがあるんだ」


俺は無言で見つめる。沙耶には、星を見つめる誰かのような、鋭い目つきに映ったかもしれない。


「寄り道しないでまっすぐ帰ってくること、って言われてたんだけど……お菓子が買いたくて寄り道したの」


沙耶の語りがだんだん涙声になってくる。


「そしたらね、帰りに車に轢かれたの。たまたま骨折するだけで、済んだんだけど……次はないんじゃないかって、思うと、怖くなって」


ワールドシミュレータは不慮の事故を減らしたという話を思い出していた。指令書に従えば不幸は減らせることを、沙耶は身をもって知ったのか。


「シミュレータは、仕組みは分からないけど……きっと神様みたいな、ものなんだと思うの。……次は許されるか、分からなくて。それが怖くてたまらなくって」


「そういうことだったのか……」


沙耶はシミュレータの指令に従うことが楽しいのかと思っていたが、その根本には恐怖や怯えがあったのか。


「ありがとう、言ってくれて」


「だから、蓮くん……映画が面白かったって、言って……?」


沙耶は俺の身を案じて言ってくれてもいる。だけど。


「ごめん……それはできない」


「なんで……!」


沙耶に焦りと動揺が見える。でも俺の衝動は、理性では抑えられないところまできている。


「俺はもう、嫌なんだ。デートなのに牛丼を食べさせられるのも、感想を言わされるのも。そんなの、生きているって思えない」


「でも、逆らったら何されるか……!」


「シミュレータに従えば安心だ。でも、心が満たされないんだよ……!」


「……蓮くんのバカ!」


「あっ、おい沙耶!待ってくれ!」


沙耶は泣き出して、走り去ってしまった。ヒールで走りづらそうに、でも必死で駆けていく様子が、痛々しかった。


そして、今朝は従うはずだった指令を完全に破ってしまった自分の愚かさに、苦笑と後悔が漏れ出していた。

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