シーン7:やりたいからやる
山本 ジョナサン(やまもと じょなさん)
指令: 地上に出て機関の管理下に入る
因果律信頼区間: ERROR 要管理対象
俺と赤城と星野は、灰色のビル群で埋め尽くされた都市部から離れて、自然豊かな山間部へやってきた。かれこれ1時間ほど、みずみずしい緑と木々に囲まれた世界を歩き続けている。額に汗がにじんできた。赤城は息が上がっているようだ。こんな山奥でも、足元には一定間隔でシミュレータの観測端末が整然と並び、俺たちを見つめている。
とうとう赤城が音を上げる。
「星野さん、まだ着かないんすか……?もう疲れちゃって……」
星野はずんずんと進みながら、顔は前を向いたまま言う。
「いくら芸術家たちでも、都市部に潜伏するのは危なすぎるからな」
芸術家のことをどこかで狂人集団と思っていたが、危険を避ける理性は残っているらしい。
「見えてきたぞ」
星野の指さす先には、坑道のような横穴が鎮座していた。にわかに赤城が元気を取り戻す。
「あれか!秘密基地みたいだ!」
「男心がくすぐられるのも分かる。実際、あれは秘密基地だ」
俺は、秘密基地の周りにもシミュレータの観測端末があることに疑問を抱く。
「秘密基地にしては、目立ちすぎじゃないですか?」
「まあそうだな。入り口は分かりやすいが、中は迷宮なんだよ。捨てられた坑道を使っているだけでなく、芸術家たちがアリの巣みたいに穴を掘っているんだ」
「零化局に対抗するためですか」
「そうだ。たまに彼らもここに来るらしいが、芸術家たちが返り討ちにしていると聞いたな」
星野が入り口から奥を見渡す。果てしなく奥に続いているようで、外の光が闇に溶けていく。
「実は私も、この迷宮の構造は分からないんだよ。ジョナサンを呼ぶよ」
俺たちはうなずく。星野は大きく息を吸った。
「ジョナサン、いるか!私だ、星野彰だ!」
星野の声が反響した。すると、奥から声が聞こえてきた。
「待ってたぜ!そこからまっすぐ入ってこい!まっすぐな!曲がるんじゃねえぞ!」
星野は俺たちの方に振り向いた。
「さあ、行こう」
3人で洞窟探検が始まる。星野が先頭、赤城が真ん中、俺が最後尾だ。壁に触れる手に、パリパリとした人工的な手触りを感じた。
見ると、でこぼこの壁面に絵が描かれている。絵といっても、かんしゃくを起こした幼児が絵の具を塗りたくったような、何を表現したのかもさっぱりわからないようなものだ。奥に進むにつれて、絵には薄暗い陰がかかり、黒く見えなくなっていく。
「すげえな……これがゲージュツか……」
頭でっかちの俺には良さが分からないが、フィーリングで生きている赤城には何かが分かるのだろうか。
どれほど進んだだろうか、向こうからライトを持った人影が現れた。こちらにライトを向けているせいで、シルエットしか見えない。そのシルエットは、俺たちに手を振った。
「ようこそおいでなすった!俺たちのアトリエへようこそ!」
星野の声のトーンが上がる。
「おお、ジョナサン!元気にしてたか!」
「あったり前よ!芸術を広めなきゃいけないからな!そっちの二人が例のやつらか!」
だんだん近づいてきて、ジョナサンという男の風貌が見えてきた。かなり長身で、ゆるい服を着てサングラスをかけているようだった。俺が過去に見てきた芸術家たちの様子から考えるに、派手な色の服装をしているに違いない。
「赤城大輔です!」
「滝沢蓮です」
「おお挨拶ありがとよ!俺は山本ジョナサン!よろしくなあ!」
山本ジョナサン。何とも珍妙な響きの名前だ。俺はてっきり、ジョナサン・何とかみたいな名前を想像していた。口調には外国人のような雰囲気は無さそうなので、本名ではなくアーティスト名なのだろうか。
「俺についてこい!迷ったら二度と出られないからな!」
迷宮と聞いていたが、予想に反して数分ほどでジョナサンの基地にたどり着いた。天井にはむき出しの白熱電球が、時折バチバチッと音を鳴らしながら俺たちに光を届けている。
「さあ座りな」
ジョナサンは、横に倒したドラム缶を指さして俺たちにそう言った。ジョナサンも、横に倒したドラム缶にドサッと腰を下ろした。
「失礼します!」
赤城は威勢がいい。さすが体育会系。こんな状況下だからこそか、ノリノリだ。
「……失礼します」
俺は慎重に下手に出た。ジョナサンはそれが気に入らなかったらしい。
「右のそっち、なーんかお堅いあんちゃんだな。星野の知り合いなんだよな?」
「そうだ。彼はきっと、内に秘めたものがある」
「ふうん……」
ジョナサンは、俺を見つめる。サングラスのせいで、俺のどこを見て何を思っているかは分からない。きっと俺を見定めている。
「ま、いいか。お前、滝沢と言ったな。あと赤城か。お前ら何か絵描いてみろ」
ジョナサンは、足元から色とりどりのペンキ缶を取り出した。未開封だったようだが、乾いた砂やサビがついている。赤城は身を乗り出す。
「やりますやります!描いてみたかったんすよね」
「お、いいねえ!楽しみだ」
俺は困惑していた。赤城が順応しすぎているのもそうだが、狙いが分からない。そんな俺を見かねてか、ジョナサンが声をかける。
「滝沢、お前頭でモノ考えてないか?心で考えないと息苦しくなるぞ。お前ずっと苦しそうな顔してるしな」
赤城はいつの間にか筆や
俺が黙っていると、ため息混じりでジョナサンが諭してくる。
「しょうがねえな、そんな頭でっかちなお前のために、俺たちの芸術の意味を教えてやるよ。――なんで、芸術家が街に出てアートを描き残すのかの意味をな」
俺の目が見開いたのを感じた。考える前に口が動いていた。
「気になる。教えてほしいです」
すると、ジョナサンはニヤリと笑った。サングラスの奥に、かすかに不敵な笑みをたたえた目が透けている。
「ははん、あんたそういうタイプか」
ジョナサンはドラム缶に座り直す。星野もジョナサンを見据える。
「一言でいうと、あれはソロバンの演算を狂わせるためにやっている」
「ソロバン……?」
俺が疑問を呈すると、星野が補足してくれる。
「シミュレータのことだよ。芸術家は、所詮は計算機だって意味でそう呼んでいる」
ジョナサンが引き戻す。
「解説サンキューな。お前にはシミュレータって言ってあげるか。人の脳ミソの中を読み取るのは、さすがのシミュレータ様も大変みたいでな。だから……俺たちは、人の脳ミソをひっかき回すアートを描きまくっているんだ」
確かに、人間の脳は複雑だ。ワールドシミュレータはそれすらも扱えているように見えるが、実はほんのわずかな脳の状態の違いが、演算誤差を生み出す。
星野がするりと入り込んでくる。
「滝沢くん、バタフライ効果は知っているかね?蝶の羽ばたきが、遠くで嵐を引き起こすという考え方だ」
「それは聞いたことがあります。芸術が蝶の羽ばたきで、演算誤差が嵐だって言うんでしょう」
ただ俺は、もうひとつの疑問に至っていた。
「でも、ワールドシミュレータは1日おきに全世界を再スキャンしています。人の脳の状態を少しいじったところで、1日たてば修正されて、元通りのはず」
ジョナサンは、いつの間にか我慢の限界に達していたようだった。
「ああもう、ゴチャゴチャうるせえな!意味はないかもしらんが、やらずにいられないんだよ!ペンキをぶちまけて、スプレーで世界を塗りつぶしたいんだよ!やりたいからやる!それだけだ!!」
ジョナサンの激情が、迷宮に反響した。その反響は、俺の心でも起こっていた。やらずにいられない。やりたいからやる、それだけ。
「……やっぱりリクツっぽい話するよりもフィーリングだな」
ジョナサンはすっきりしたのか、うってかわって落ち着いていた。星野は相も変わらず冷静だった。
「はは、彼はちょっと理屈屋だからね。大目に見てやってくれ」
「ったくしょうがねえな……おい滝沢、何か描くか?」
俺は刷毛を手に取った。赤城が使って、鮮やかな色が渦を巻いて混ざりつつあるペンキ缶の、まだ混ざっていない赤色に刷毛を浸した。
刷毛を取り出したが、何を描けばいいのか……宙ぶらりんだ。何をやりたいかは分からない。しかし、刷毛からポタポタと垂れるしずくが、抑えきれない芸術的衝動を主張してくる。俺はぎゅっと目をつぶり、くしゃっと地面に刷毛を押し当てた。
「ようこそ。俺たちの世界へ」
ジョナサンは歯を見せて笑った。
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