シーン6:天体観測会
木下 銀次(きのした ぎんじ)
指令: 星野彰と対面で会話する
因果律信頼区間: 1.8
俺は、赤城とともに星野から夕食に招かれた。星野から送られてきた店の座標は、9ー43ブロックを示していた。俺たちは電車に乗って、普段利用しない区間を移動していた。現地に着く前から既にウキウキしているのは、この男。赤城だ。
「楽しみだな!どんな話が聞けるんだろう」
「まあ、そうだな……少し胡散臭いけど」
杉山が夕食会をパスした気持ちも分かる。星野の立ち振舞い、言動が俺の心の奥底を見透かしているようでいて、しかも演算社会の外の価値観を持っている。宇宙人と話しているような気分になった。鋭く輝く目つきは、まさに天体望遠鏡のようだった。
「胡散臭いとか失礼だなあ。滝沢は頭でっかちなんだよ」
「管理局でやっていくなら、これくらい頭でっかちじゃないと」
「そういうもんかー」
かたんかたん、という周期的な音が車両に響く。演算社会に響く鼓動。その速さすらも、シミュレータの予想の範疇なのだろう。窓の外には、相変わらず灰色のビル群が続いていて、自分がどこを走っているか分からない。しかし時刻表が言うには、もうすぐ目的地らしい。
車両が減速し、停車。俺たちは駅を出て店に向かった。
ビルに入ると、空調のきいた風が俺たちを包み込む。身体的な快適さにすら不快感を覚えながら、階段を上る。星野から送られてきた写真の店が見えた。俺はスパイになった気分で入店した。
奥の個室に星野はいた。席にもう一人いる。部屋にほんのりとアルコール臭さが充満している。星野のもとにはワイングラス、もう一人のもとにはビールジョッキが置かれている。2人とも既に飲み干したようだった。
やはり赤城が、先陣を切った。俺は急いで便乗する。
「お疲れ様です!」
「お疲れ様です、星野さん」
星野は俺たちを眺めて言う。
「お疲れ様。さっそくだけど友人を紹介しよう」
もう一人が、白い髭をたくわえた口を開く。
「木下銀次だ。実験科学者をやっている。よろしくな」
ジッケン、という言葉を俺は久々に聞いたので、何と言ったか一瞬分からなかった。シミュレータが完成してからは、全てシミュレータの一部の領域を使ってコンピュータシミュレーションにより科学は探求されてきた。実験という行為は、旧世代の遺物のはずだ。
赤城はというと、目をまるくしている。管理局に勤めるなら、これくらい常識だと思うんだが……。気にしないふりをして、俺は続ける。
「実験科学者、ですか」
「がっはっは!みんな同じ反応をするよ」
「だって、科学者といえば……誰もがシミュレータを使っているイメージですし」
星野が割り込んだ。
「まあまあ座って。飲みながら話そう」
俺と赤城は、テーブルを挟んで星野、木下と向かい合った。
また赤城が先に動いた。
「じゃあ俺、ビールお願いします!」
「元気が良いな!やはり今どきの若者はこうでないと」
木下がはやし立てる。すると、星野の視線が俺を貫いた。
「滝沢くんは何か飲まないのかい?」
「じゃあ俺も、ビールでお願いします」
俺たち4人は、すっかり馴染んで談笑していた。ただ俺にひとかけらだけ残った理性は、2人への警戒心を掴んで離さなかった。星野が核心に入る。
「滝沢くん、きみはワールドシミュレータを完璧だと思うかね?」
ああ、この話をしたかったのだな、と俺は直感した。今までは全て前座だった。
「完璧といえば完璧ですね」
星野が目を細める。
「歯切れが悪いね。やはりあの『神託機械』が、人間から大事な何かを奪っていると思っている……そうだろう?」
星野の目から伸びる手が、俺の心臓を鷲掴みにした、と錯覚した。
「ちょっと昔話をしよう。君たちが物心つく前の頃かな、ワールドシミュレータが試験導入された頃の話だ」
赤城が急に大声を出す。
「めっちゃ気になります!」
俺も気になったので、無言で肯定した。木下は、立派な髭を触りながら沈黙し、星野に目をやっている。星野が、どこか遠くの世界を眺めるように語り始める。
「シミュレータの意義は、世界の未来を見通して、人々に安心と幸福を与えることだ。これは今も変わってはいないだろう。だが、指令書に従ってもらう必要がある。導入当初は、機械が人々を管理しようとしている、なんて批判も当然出た」
確かにそうだ。俺たちはワールドシミュレータの始まりをよく知らない。指令書に従う世界が当たり前だと思っていた。だが、この2人はそうではない。
「そこで科学者たちは、ある実験をしたんだ。シミュレータの指令書に従ってもらう人々と、従わないでいてもらう人々に。するとだね、従った人々には偶然では説明できない幸運が舞い込んだり、不幸が減ったりしたんだ。従った人々にアンケートをとると、一般的な人よりも幸福だと答える人が多かった。病気や不慮の事故に遭う確率も、5分の1程度に激減したんだよ」
星野も学者だ。語り出すと流暢で止まらない。
「それから世間の人々が、シミュレータを……あえて言うなら、『信仰』するまでは、そう長くはかからなかった」
赤城は目を輝かせている。俺は、最後の理性……警戒心を手放しそうになっている。星野の語りに、木下が乗っかってきた。
「しかもワールドシミュレータの一部分についてだな、科学研究のための計算に使って良いことになったんだ。最初は科学者も冷やかしていた。あんなのは所詮は分子のおもちゃ遊びだってな。だがあれは、今までのコンピュータシミュレーションの領域を完全に超えていた。試験管の中で起こる化学反応の様子を、ひとつの例外もなく完璧に再現しやがった。それだけじゃない。細胞が育って分裂する様子すらも再現した。まるで、もうひとつの現実世界ができたみたいだった」
星野が引き戻す。
「そう。あの機械は、革命的だった。世界のあらゆる物事が書き変わったんだ。ただし、だよ。ここからが本題なんだが……科学には完璧はない、というのが王道だ。必ずどこかに限界がある。ニュートン力学だって、そうだっただろう?」
俺の中で、点と点が繋がりかけている。
「……量子力学ですか」
「そう。ワールドシミュレータにも、きっと何か致命的な欠陥があるはずなんだ。根拠はないが、外の世界を見てきた私なりの直感だよ」
木下が笑う。
「今の科学者連中はみーんな忘れているが、真理の探究は泥臭いものだからな」
「……よく分かんないけど、なんかカッコいい!」
赤城は興奮しているようだった。煽動されやすすぎて心配だ。芸術テロリストにでもならないといいが。でも、星野の言う弱点に――心当たりがまったく無いわけではなかった。管理局に就職して、内部の人間としてシミュレータのシステムを知ることで得た、ひとつの仮説もある。
「滝沢くん」
星野が、思考の海に漕ぎだしていた俺を呼び止めた。
「はい」
「君は何か、弱点を知っているのかい?」
星野がワイングラスをくるりと傾けて、続ける。俺は、潤滑油の切れたロボットのようにぎこちなく声を出す。
「それ、は」
「ふふ。まあ無理に言わせるものでもないね。何か知ってそうだけど、今は言わなくてもいい」
「え、滝沢、あのシミュレータに弱点なんてあるのか!?」
空気を読まない赤城。俺は少しだけ、その無神経さにいらだった。
「赤城」
星野が間に入ってくれた。
「まあまあ。彼にも言いたくないことくらいあるだろう。でも……」
星野が意味深に間を置く。
「後日、一緒に地下に来ないか?私の知り合いで面白いやつがいる。そいつなら、君のひた隠しにしている何かを開放してやれるんじゃないかと思ってね」
地下。それは、ワールドシミュレータの監視網をすり抜ける、宇宙とは別の領域。俺は、ある可能性にたどり着く。
「もしかして、芸術家……ですか?」
珍しく星野が無邪気に笑った。
「あっはっは!鋭いね。しかも芸術家の中でも、ひときわぶっ飛んだ男だ」
木下がまた乗っかってきた。
「ジョナサンか!あいつなら、確かにこいつのシケた面をぶっ壊してくれるかもしれねえな」
なんだか物騒だ。しかも、俺が勤める管理局や、零化局の――もっと言えば、演算社会の――敵。話がますますきな臭くなってきた。しかし、芸術テロを見た俺の心の引っ掛かりを、沙耶と座ったベンチの違和感を。芸術家なら、ほどいてくれるんじゃないか?
「イカした名前っすね!会ってみたいっす!」
考え込む俺をよそに、赤城が変な方向に話を進めてくれている。50代くらいの大人相手に何も考えず、こんな軽い言葉遣いや発言ができるお前が少しだけ羨ましい。
「赤城くんは決定かな。滝沢君はどうかね」
俺は自分の心に、赤城が心配だから、という言い訳をした。
「気になります。会わせてください」
それで、夕食会はお開きとなった。
店を出て、4人が別れるかと思った時。星野が俺にささやく。
「この後、ちょっといいかな。これだけは見せたいと思っているものがある」
「見せたいもの、ですか」
「おい滝沢、先帰っちゃうぞ?」
赤城が割り込んでくる。
「先に帰っててくれ」
俺は追い払った。
星野と俺は、日の暮れた道を歩き出した。何分ほど歩いてきただろうか、人気が少ない所に向かっているようだ。じっくり見てみると、星野の荷物がやけに大きいと気づいた。
「そのかばん、何が入っているんですか?」
星野は待っていました、と言わんばかりだった。
「これはね、望遠鏡が入っているんだ」
俺は思わず小声になる。
「望遠鏡……」
演算社会の禁止事項のひとつは、空を見上げることだ。演算領域外を見つめて何かを感じても、それをシミュレータは演算できない。シミュレータには、その空を監視する目がないからだ。シミュレータにとっては、隕石が降ってくるのも、宇宙から光が降ってくるのも、等しく演算誤差の原因になるノイズでしかない。反社会的であるという意味では、天体望遠鏡も拳銃も同じようなものとなる。
星野は、無邪気な子供のようにかばんを開け、いそいそと望遠鏡の三脚を開く。
「このあたりでいいかな。天体観測会を始めよう」
「えっ……大丈夫なんですか?」
「指数が上がるという話かね?」
星野は望遠鏡のセッティングをしながら、冷静なトーンで返した。俺の動揺とは正反対だ。
「そうです」
「確かに、そこに何が見えて、君が何を思うか……シミュレータは知るよしもないからな」
星野はいつの間にか星を見ているようだった。
「覗いてみるか?いつ見ても綺麗だぞ」
気になる。知的好奇心と、危険な誘惑を感じる。脳が渇いてひりつく。
「少しだけ……見てみます」
俺は、おそるおそる望遠鏡を覗き込んだ。赤茶色の点が、俺の目に映った。
「これは……?」
「火星だよ。あいにく、あまり倍率は高くないがね」
真っ暗な闇に、ぽつりと浮かぶ赤い球体。それが、遥か彼方に現実に存在することを忘れかける。灰色のビル群がおりなす演算社会で過ごす俺には、その赤さが鮮烈に映った。
「これが、演算社会の外側だ。いや、外側の中でも火星は目と鼻の先でしかない。世界は途方もないほど広大なんだよ。それを忘れないでくれ」
俺の頬を、何かが伝った。なぜそうなったのかは、分からなかった。
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