第11話 あとがき


 この物語を完成するには、多くの月日をつぎ込みました。そこには、色々な人達の助けがありました。

 決して一人で作ったものではありません……。


 作業所の支援員さん達や、作業所の友達、ホンポートや、新津図書館の学芸員さん、親戚の皆さん、病院の皆さん、  近所の皆さん、最大の理解者である父などの助けがあったからです……。


 私は、元々貧乏な暮らしをしてきて、余り玩具を買ってもらった記憶がありません。私は、もっぱら、学校図書の「怪人二十一面相」や「アルセーヌ・ルパン」などを読んでいました。

 そのお陰で、結構、怪しい人間? になりました。


 自我の芽生えるころ、母が、緑のハードカバーの「坊ちゃん」や「三四郎」、「二十四の瞳」などを、読み聞かせてくれました。

 そんな私ですが、一つみんなと違うのは、私には、精神障害の他に、身体的な欠損がある事です……。私は、その事で、子供の頃から、いつも母と対立していました。母は、私の病気の事を、私に一切、教えてくれませんでした。

 理由は、病気に逃げ込んで、ろくな人間にならない、と、言う、アンフェアーな考えからでした。

 私は、成人して社会に出ると、欠損の障害を隠すことが、できなくなって、その障害を認められずに、周りの人達を 恨み、精神障碍者になりました。

  母は、間違っていました。病気を理解しなければ、病気を受け入れる事は出来ません。


 精神障碍者になって、暫くすると、母は、交通事故で、  亡くなりました。

 私は、自分の苦しみを訴える対象を失いました。

 すると、私は、苦しみを訴えることが怖くなりました。

 その状態は、母に向かっていた刃が、刃先を換えて、自分の喉元に突きつけられた様な、死にたい程、辛い事でした。


 そんな時、自分を支えたのが、本の存在でした。

 私は、戦争の本や、宗教の本、生態学の本や、お金についての本、侍の事について書いた本や、心理学の本に、はまりました。


 色々、本を読んでいる内に、私も本を、生活の場である  作業所の様子について、創作小説を書きたいと思いました。


 結構、頑張りました。

 と言うか、それしか出来なかったのです。

 私は、幻聴が聞こえていて、何かに集中していないと、  幻聴に飲み込まれてしまうからです。

 必死に本を読んで、集中しました。


 幻聴との戦いの後は、へとへとに疲れてしまい、とても、運動しようという気にはなれませんでした。

 出来る事は、鉛筆を握りしめる事だけでした。


 あれから、鉛筆を握り、16年の研鑽の末、文章の技量が上がり、その結果、何とか本に仕上げました。

 私は、何かに秀でれば、草原に捨てられたナイフの様に、誰かが見つけてくれると思って、頑張ったのです。


 旅行にもいかず、ネオン街にもいかず、博打もやらずに、酒を少々飲んで、タバコを吹かして、生きてきました。

 それは、とっても、つまらない人生だったのです。


 でも、私と文章は、これからも続いていく事でしょう……。

 私は、今では、この世に、生かされている事は、何か意味があるような気がしてなりません。


 ただ、今、私が言える事は、越えなければならない一つの関所を越えたという、実感です。


 これから幾つの関所を越えられるか、分かりませんが、 今は、今までの小説がらみで関わった皆さんに、本当に、 『ありがとうございます』と、言いたいです。


 縁があったら又、会いましょう……じゃあね……


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小説・作業所「ハトさん」 あらいぐまさん @yokocyan-26

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