第2話
「いろいろとお話しいただきありがとうございました。先ほどもお答えした通り、あなた達人間を殺してやろうという思いはありません。ただ、住む場所も、食べるものも減ってきていて、生きるためには手段を選べないというのも、目を逸せない現実なのです」
相手は終始落ち着いていて、ただ、今後について話し合いたいという内容に終始していた。メインは食料に関する話で、喫緊の課題だという。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。初めの方は、べらべらとこちらの都合ばかり話してしまってすみません。お約束した通り次回は、私のような一般人ではなく、権力のある人間を連れてまいります」
相手の真摯な態度に当てられたか、はたまた、私よりもよっぽど溢れ出る知性に降伏したのか、いつのまにか敬語を使うようになっていた。
「よろしくお願いしますよ。ノムラさん」
「任せてください。あ、あなたのことは何とお呼びすれば?」
そう聞くと、周りのクマたちがコソコソと話し始めた。聞くのはまずかっただろうか。
「私たちに名前という文化はないのです。しかしながら他の者たちからは『プレジデント』と呼ばれています。日本生まれ……なんですがね」
「そうでしたか……。それでは私もプレジデントとお呼びしても?」
「もちろん」
私はすぐに街へ戻ると、先に逃げた仲間たちがすでに人を集めていた。私は早速、プレジデントに許可をもらって撮影したあの場での動画と、彼らが存在している証拠を公開して見せる。
「本当に作り物じゃあないのか……?」
「着ぐるみじゃないことは確かだ。人間の咬合力じゃ木はここまで抉れない」
「とはいえこんなもの信じてもらえないぞ……」
人語を操るクマに突きつけられた、「人里を襲わない代わりに食料をくれ」という、ゴールの見えない課題に対する話し合いは、あっという間に時を消費した。私たちだけで資金を賄うことはできないし、政府に掛けあえるような太いパイプもない。我々が持っているのは猟銃のみ……。
しかし、厄介なのは、彼らが交渉を持ちかけているということだ。要求されたのは、冬を越せるだけの穀物と果実。交渉という以上向こう側は、決裂した際の対応も考えているだろう。
我々の法律は、人語を解し意思疎通が可能な存在を殺せない。正確には殺す事をよしとしない。だが、逆はどうだ?……つまるところ、我々はこの交渉に応じるしかないのだ。
しかし、こんな馬鹿げた突然変異体を、公に信じさせる術がないものだから困っている。どうすればいいというのだろうか。
ぐううぅぅぅ〜
困惑と殺気の漂う会議室の中に、何とも間抜けな音が割り込んでくる。その音の発生源にちらりと視線を送ると、一目散に逃げ出してくれた彼が、恥ずかしそうに、ゆっくりと手を上げた。
「あのおー、そんな空気じゃないとは思うんですが、一度飯にしませんか?」
怖い顔をしたおっさん達の前でいい度胸だ。情けないが、こんな時でも腹は減る。私を含め、皆が納得して寿司の出前を取ることにした。
1時間ほど経って、届いた寿司をつついていると、先ほどは出なかった意見がちらほらと上がり始める。
「フードロスになっている余剰な食料なんかを回せないか?農家の知り合いならたくさんいるぞ」
「規格外として売られないものもあるって聞くよなあ」
「まずは野生動物対策課の職員さんに現状を知ってもらって、既定のルートで意見を上げてもらおう」
話が進み、道がひらけてきた。
私たちは約束の日までに必死で動き回り、なんとか話し合いの下地を整えていった。
そして交渉の結果を伝える日が訪れる。
「やあ、ノムラさん。お元気にしていましたか?」
分厚い肉球を見せながら挨拶をするプレジデントに、メンバー紹介を済ませ、交渉が始まった。
人間を殺さないこと、人里に降りないことを条件に、野菜、果物、穀物を提供することを約束する。意外なことに肉については生態系維持の観点からプレジデント側が断ってきた。山全体で見れば食料は不足しているが、シカやその他の小動物が生きていく分には何とかなるらしく、肉は今まで通り自分たちで調達するそうだ。
向こうからはプラスの条件として、人間側も山に侵入しないことを提示され、その条件も飲んだ。これで全ての交渉は終わり、あとは定期的に交流をとろうという方向で解散となった。お偉いさん方は、野生の迫力と生物としての差に圧倒されていたが、私は恐怖で心がマヒしてしまったのか、少しばかりの友情さえ感じている。
そこからは早く、政府主導で本件は拡散され、世間を大きく賑わせた。作り物の動画を疑われたり、封鎖された山の出入り口の様子から、生物兵器開発の陰謀論まで推察されていたが、その事実は徐々に受け入れられていった。
私はプレジデントたってのご指名ということもあり、定期的に交流を続けている。時間がたつのは、思ったよりも早いようで、いつの間にか互いの子どもも大きくなっていた。
彼の子供に会った時、心なしか牙や爪が丸みを帯び毛がふわふわになっているように感じた。戦う必要の薄くなった影響か、凄まじい速度で変化を遂げているのかもしれない。
まるでテディベアみたいで本当に可愛らしい見た目をしている。
数年前からは想像のできない当たり前の光景が、えらく幸せで、プレジデントには感謝すら覚えていた。というのも、あの交渉の功績から、特に何の才能もない私が、重要なポストとしてそこそこな給料をもらえているからだ。
それに、プレジデントという最良の友人にも巡り会えた。何とも数奇な運命なのだろう。
拡散された一つの動画。たまたまその動画を見た私。そして動画の中にいた生物に出会ったあの日。
たった一つの動画が私の運命を変えてくれたのだから、人生とはわからないものだ。初めはどうなることかと思ったが、彼らも世代を重ねるごとに、穏やかになっていかのかもしれない。
そしてその代わりに知性を継承している。まるで人間だ。
ああ、本当に私たちと変わらない。
……彼らの進化が人類を油断させるための狡猾な罠だったとしたら?
友人とその子供に対する、最低な疑問が浮かび上がる。
でも……。いや。
……いや。
そんなことはないはずだ。
「ノムラさん」
狙ったようなタイミングで声をかけられ、思わず上擦って返事をする。
「何ですがいきなり、びっくりしましたよ」
少し不思議そうな顔をして「普通に声をかけたつもりだったんですが」と言って笑っている。
「それで、ちょっとお願いしたいことがあって」
お願い。
長い付き合いの中で彼がしたお願いはたったの一度。あの交渉の日だけだった。
彼の口からこの言葉が出たということは、次のステップに進むということなのだろう。増え続ける個体数から、予想はされていた。我々日本人は、手放す領地を選定しなければならない。
「お願いって何だい?」
私は精一杯、恐怖を押し殺して普段通りに、何も知らないと言った様子で返事をする。
「シャケの焼き方を教えてくれませんか?」
「しゃけぇ?」
領地は……?侵略は……?シャケってシャケのことか?
アホ面の私をみて、彼は申し訳なさそうに言葉を続けた。
「シャケです。実は私たちクマは、シャケをよく食べるのに、丸ごと食べるわけではなく、かなり無駄にしているんですよ」
「そうみたい……ですね」
「そこで少しでも無駄なく、限りある資源を大切にしようという話になったのですが、せっかくなら美味しく食べたいというものが後をたたず……」
私は大いなる勘違いをしていたようだ。狡猾さは後天的なもので、野生にはないものなのだろう。あまりにも"人間"であることが恥ずかしくなった。
「今度ピクニックでも行きますか。美味しいシャケ料理たくさん持っていきますよ。もちろんその作り方も伝授します」
「それはありがたい! やはり持つべきものは良き友人ですな」
私の提案に喜ぶプレジデントと、がっしり握手をした時に、本当に分かり合えた気がした。握る手は同じように温かいが、両手でも包み切れないほどに分厚い。手の甲を覆う毛は束子のように硬質で、いかにも衝撃を通さないという感じだ。その先に生えそろった鋭い爪は、あと少し力を入れるだけで、私の手をえぐり取ることができるだろう。
でも、プレジデントは絶対にそんなことはしない。彼と会話をしていくうちに積み重なった信頼が、こうも高くなっているとは思わなかった。
野生のルールを芯に持ちながら、知性で理性のブレーキを踏む。そんな彼のことが、よっぽど"人間"に見えたのだろうか。
だからこそ尊敬できる。しかし同時に、拭いきれない不安もある。
私が文化を教えなくても、きっと彼らは、自ら学ぶのだろう。それなのに、プレジデントが何を思って、私を橋渡し役として指定しているのだろうか。
人類を切り売りしているような罪悪感が、胸の奥で私を見つめていた。
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