プレジデント・ベア
わたねべ
第1話
数年前、とある一件の投稿が爆発的に拡散された話をしよう。
その投稿につけられたハッシュタグには、拡散希望の文字が添えられていた。
だからと言って、多く拡散してもらえるのかというとそうではない。この投稿にはより多くの人に広めたいと思える、否、広めなくてはならないと思わせるモノがあったのだ。
その投稿にはハッシュタグの他にもこう添えられている。
『山中にて人語を話すクマを目撃しました』
たった一言。
正直言ってこれだけならばどうでもいい、よくわからない投稿だ。多くの人が拡散するには至らない。
問題はこれ。添付されている動画の方。
写っているのは二本の後ろ脚で立つ一匹のクマ。そのクマを支点として、扇状にたくさんのクマが並んでいる。
野生動物が"並ぶ"のは違和感がある。だが、確かに並んでいるのだ。体高を見るにツキノワグマではなくヒグマの類だろう。
動画は、離れた位置から撮影されたもののようで、ハッキリとは聞こえない。しかし、たびたび聴き馴染みのある日本固有の単語が聞こえてくる。身振り手振りを交えながら話すクマに対して、整列した四足歩行のクマたちは重低音の唸りで、返事をしているようにも聞こえた。
なぜ今になってこんな話をするのかって?
いま、まさに、その喋るクマが目の前にいるからだ。最近やたらとクマによる被害が増えたことから、自治体と連携して、我々有志の団体が山中の捜索を請け負っていたのだが、まさかこんな場面に出くわすとは……。
実際に見ればわかる。着ぐるみなんかじゃあないし、もちろん作られた動画でもない。野生動物独特の皮脂と緑が混ざった、ツンとした刺激臭が漂っているのだ。
ああ、何と愚かなことだろう。
私は他の団員の方を向いて、腹の底から声を出す。
「逃げろ!」
「そんな大きな声を出したら……っ!」
連れの一人が声を漏らす。しかし、彼らの足はすでに逃走を始めていた。染み付いた反復の結果と、私への信頼。
そして彼らは、すでに気がついているはずだ。
クマの嗅覚は人間以上ということに……。
「ああ、これはクマったなあ……。なんて、言い回しをしたら少しは安心してくださいますか?逃げた方達を追ったりしませんよ」
私の方を向かず、しかし私に向けた発言が聞こえる。安心とは程遠い声。こいつらは人間の作った"冗談"という文化まで侵食している。
思ったよりもことは大きいのかもしれない。
現実とは思えない出来事に、後ずさりする足跡が重なって、少しずつ恐怖の面積を広げているのが見えた。
私は覚悟を決めてクマを見据える。
「すまない。言葉がわかるのであれば話がしたい」
猟銃を置き両の手のひらを見せながら前進する。
地面に広がった屈服の証を塗りつぶす、勇気ある足跡。いや、もしかしたら、相手を怒らせるだけの愚かな足跡かもしれない。しかし、未知なる存在に歩み寄るためには、犠牲が必要なのだ。
「殿方。何とお呼びすればいいですか?」
もしかして、話せばわかるかもしれない。そんな希望が芽吹く、真摯な対応に少し面を食らった。
「そうだな。ノムラと呼んでくれ。それが私の名前だ」
「わかりました」
私よりもよっぽど丁寧に言葉を操るクマに案内され、切り株のテーブルに着いた。椅子はサルノコシカケだろうか?座っても崩れることはなかったが、ゴワゴワしていて座り心地がいいとは言えない。
「さて、お話でしたね。何が……と聞きたいところですが、ノムラさんからしたら、逆に聞きたいことだらけですよね」
「ああ……。でもまずは、殺さないでくれ。そう言いたかったんだ……。あの瞬間は。でも、アンタからは『殺されるかもしれない』という恐怖はそれほど感じない。実際、私達に気が付いているのに、特に襲ってきたりもしなかった……」
私は聞かれてもいないことを滔々と話し続けた。自分が感じた恐怖を、人類が危惧する未来を知ってほしい。
緊張の緩和が、思いのバルブを捻ったのだろう。
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