第2話:元限界社畜アラフィフOL、異世界で美術館の館長になることを決める

 ――美術館の館長になる。


 その言葉は、私の胸にすとんと落ちた。

 学生の頃、将来の就職先として美術館も思い描いていた。

 歴史的な素晴らしい絵画や彫刻、陶磁器などに囲まれた生活は、芸術好きにとってたまらない夢だ。

 胸の底に仕舞われた情熱が刺激され、もうこのまま眠って休みたいという気持ちが少しずつ薄れる。

 逆に、沸々とやる気が満ちてきた。

 それに、失礼かもしれないけど、エリューシア様はだんだん私の人生にはいなかった娘みたいな存在に見えてきてしまった。

 何だかほっとけないし、異世界転生して美術館の館長になるという提案は……いいかもしれない。


「とても魅力的なお話をありがとうございます。ぜひ、やってみたいです。毎日芸術に触れながら自分で絵を描いたりして、今度こそのんびり平和に、芸術を楽しみながら暮らしたいです」

「やったー! 澪ちゃんが異世界転生してくれるー! これで働かずにお金が手に入るー!」


 エリューシア様は万歳して喜ぶ。

 私の異世界転生が本当に嬉しいみたいで、私も微笑ましい気持ちになった。

 お金については、まぁ何とかなるでしょう。


「あたしの世界には大陸が二つあって、片方は人間領、もう片方は魔族領よ。どっちに転生したい?」

「人間領でお願いします」


 即答した。

 そんなの人間領に決まっている。

 魔族とかとても怖そうじゃない。

 幸い、両大陸はかなり離れているみたいで、ほとんど接触はないとのことで安心できた。


「人間領は七つの国に分かれているんだけど、一番国力や治安が安定していておすすめなのがグランハルト帝国って国。日本みたいに四季もあるよ。今の季節は4月の中旬くらいね。どうかしら?」


 エリューシア様は空中に世界地図を出す。

 巨大な大陸の南方を支配する国のようだ。

 気候も安定していて、観光名所もたくさんあるとのこと。


「では、国はそこでお願いします」

「了解。転生場所はどんな街がいい? 帝都グラディオンが最も栄えててパリピ貴族もいっぱいいるよ?」

「地方の落ち着いた街がいいです」


 パリピだの陽キャだのは、私と最も離れたタイプだ。

 今世では落ち着いたスローライフを送りたいので、地方の街を希望した。


「ふーん、あたしなら絶対帝都がいいけどね」


 などと言いながら、エリューシア様がスマホみたいにピンチアウトすると地図が少しずつ拡大され、南東の街が明示された。

 空中に中世ヨーロッパ風な街の様子が浮かぶ。


「落ち着いた街なら、このミルフォードって街がいいかも。治安もいいし、大きな街道が通っているから人の出入りも多いよ。美術館のお客さんにも困らないんじゃない?」

「ありがとうございます。とても素敵な街ですし、そこがいいです」

「じゃあ、さっそく準備しよう。まず、転生する肉体の年齢と性別を決めなきゃ。ついでにいうと、見た目も自由に変更できるから希望があったら言ってね」

「では、性別は女にしてください。慣れていますし、なんだかんだ楽しかったので。年齢は……そうですね、16歳でお願いします。一番、将来に希望を持っていた時期です」

「オッケー。どんな見た目にする?」


 新しい見た目……。

 うーん、どうしようか。

 いっそのこと、まったく別の人間になる?

 いや、やっぱり……。

 

「16歳の私がいいです。あまり目立たない人間だったはずなので」


 当時の私は地味な見た目だったので、美術館の雰囲気に合っているはず。

 変に陽キャな見た目にされてもそれはそれで困るし、自分は自分でいたい。


「話しながら思ったけど、澪ちゃんって慎重派で堅実だよね。今世ではもっと適当に生きてもいいんじゃない?」

「謙虚堅実が一番だと、50年生きて実感しました。なので、新しい人生でも真面目に生きようと思います」

「ふーん、すごいじゃん。じゃあ、そうしましょ。これから澪ちゃんは転生するんだけど、あたしから転生特典を三つプレゼントするわ」

「三つもいいんですか!? ありがとうございます。特典……!」


 得した気持ちになる、とても心惹かれる言葉だ。

 ワクワクする私に、エリューシア様は三つの転生特典を説明してくれる。


「一つ目は無敵の身体。文字通り、どんな病気にならないし怪我もしないの。最悪、無補給無酸素状態でも軽く一生は生きられるね」

「えっ、それは普通にありがたいです。病気も怪我もしないなんて夢みたい……」

「本気で殴るとドラゴンも消し飛ぶくらいの身体だから、力加減には気をつけて」

「わかりました」


 年を取るにつれ肌はガサガサになったり、視力は落ちたり、骨密度は下がったり、更年期障害になったりと、健康にはそこそこ悩んだ。

 それらが全部帳消しになるなんて本当に夢みたいだ。

 ドラゴンを消し飛ばす機会はそうそうないと思うけど、注意して暮らそう。


「二つ目の転生特典は、私の加護――【美術館長の加護】よ。異世界物の漫画や小説じゃ、スキルとかギフトとか言われるような類いの能力ね。美術館や芸術に関する便利な能力と思っていればいいわ。たくさんあるから使いながら覚えて?」

「はい」


 できればもう少し詳しく聞きたかったけど、聞かないでおいた。

 エリューシア様のざっくらばんな性格を考えると、実際に使って覚えた方が習得が早いかもしれない。


「最後の三つ目は美術館そのものね。湖畔近くの好立地で広大な敷地付きを用意したわ。インフラや設備は現代日本基準で、世界観に溶け込める中世ヨーロッパ風のデザイン。おまけに、無限に湧き出る食料庫もつけちゃう。どう、めっちゃ良い物件だと思わな~い!? 館長室で寝泊まりもできるから、実質家賃0! 一番近い街は徒歩20分と適度に郊外なのもおすすめ!」

「ええ、すごい! ありがとうございます!」


 無限の食傷庫なんて!

 つまり、食費はタダってこと!?

 前世の日本において、給料は上がらず物価だけ際限なく上昇する謎の現象に私は散々苦しめられた。

 数少ない楽しみの食事もたくさん切り詰めた。

 新しい人生では、もうそんな毎日を送らなくていいんだ!

 そう思ったら、新生活への期待がどんどん膨らんでいく。


「美術館にある絵画や彫刻なんかの所蔵品は、全部あたしの独自ルートで集めた物よ。盗品とかじゃないから安心して」

「そうなんですね。さすが女神様です。異世界の美術品ってどんなものなのか本当に楽しみです」


 そこまで話したところで、私は重要な問題に気づいた。


「無敵の身体があっても、大事な所蔵品に何かあったら大変ですよね。盗難は犯人をやっつけるにしても、寝ている間に放火でもされたら……」

「はいはい、セキュリティね。もちろん万全よ。建物と所蔵品は、あたしの特別なバリアで守ってあるから安心して。女神の魔法は本当に強力なの。この世界の誰も盗難も放火も何もできないわ」

「よかった、それなら安心でき……」

「で!」

「で! と言いますと?」


 なんだろう……。

 こんな感じで切り出される内容は、少なくとも良いものではない……ということを、私は前世で嫌というほど学んだ。

 しかも、今回は相手が女神で、きっと異世界転生に関わることだ。

 何が言われてもいいように心の準備をしたところで、エリューシア様はパンッ! とお願いのポーズをした。


「そのバリアの維持費として……毎月、いくらか私にちょうだーい!」


 切実な叫びがネオン輝く部屋に響く。

 女神様の魔法ってなんか凄そうだし、裏には私の知らない事情があるのかもしれない。

 魔力をたくさん使うとか。

 エリューシア様は上目遣いで恐る恐る私を見る。


「ど、どうかな、澪ちゃん? お金を払ってもらうのはバリア代だけで、電気とか水道代、食材費なんかは全部タダなんだけど……」


 なんだ、そんなことか……というのが素直な感想だ。

 前世ではもっと大変なお願いをたくさんされた。

「明日の朝の会議までに100Pのスライドを作れ」と前日の夜22時に言われたり、「英語得意だよね?」と突然海外の取引先とのオンライン会議で司会をやらされたり、「間違ってシュレッターした書類を復元しろ」と言われ徹夜で紙くずを並べ直したり……。

 今思えば、よく文句も言わずにこなしたものだと思う。

 だから、答えは一つだ。


「もちろんですよ。そもそも、転生させてもらえるだけで本当にありがたいことなので。毎月、バリア代をお支払いします」

「ありがとう、澪ちゃん~! 澪ちゃんなら絶対そう言ってくれると思ってた~!」


 エリューシア様は嬉しそうに私に飛びつく。

 私は念願のアートなスローライフが安全に送れるし、エリューシア様はお金が手に入る。

 どんなことでもWIN―WINの関係が一番だ。


「ところで、澪ちゃん。あなたが前世で貯めたお金、全部で2500万円あったわよね?」

「え、ええ、ありますが……。それがなにか……?」


 なぜ知っているのだろう。

 仕事ばかりで何か買う余裕もなかったので、お金は貯まるばかりだった。

 50歳にして老後の資金が貯まった形だけど、結局大して使わずに死んでしまったな。

 こんなに早く死んでしまうのなら、もっと旅行に行ったりおいしい物を食べたりすればよかったと思う。

 異世界で日本のお金が使えるとは思わないので、転生特典の代金とかでエリューシア様にあげる形になるのだろうか。

 うん、たぶんそうだ。

 お金が欲しいって何度も言っていたし。

 私にはもう使い道がないものの、正直なところちょっぴりもったいない気もした。

 まぁ、またコツコツ稼げばいいし、無敵の身体ならば老後の心配も必要ないよね。

 そう思う私に、エリューシア様は予想もしない言葉を告げた。


「あなたの貯金を全部、新しい世界のお金――ルインに換金しておいたよ。だいたい、1ルイン=1円ね。だから、澪ちゃんは2500万円持った状態で異世界生活スタートできるってこと」

「えっ、本当ですか!? ありがとうございます、エリューシア様! 前世の頑張りが引き継がれたみたいですごく嬉しいです!」 

「そうでしょ、そうでしょー! あたしもちゃんと女神なんだから! これくらいはやらせてもらうのよ! お金は欲しいけど、さすがに他人の資産を奪おうとは思わないわ!」


 胸を張るエリューシア様を見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになってしまった。

 初めての異世界生活。

 お金があるとすごく心強い。

 2500万円分もあれば、しばらくは長閑に暮らせそうだ。


「じゃあ、またね、澪ちゃん。そろそろ転生しなきゃ魂が穢れちゃう。……あっ、そうだ、大事なことを言い忘れてた。美術館の地下に私の等身大の彫刻があるんだけど、お金入れればあたしと話せるから何かあったら連絡してね」

「わかりました。また話せるなんて安心です。一段落したら電話しますね」

「うん、いつでもいいよ。……あーあ、早くフォロワー増やしてイケメン神と合コンしたいな~」


 エリューシア様のぼやきを聞いていると、突然強い睡魔に襲われた。

 暖かいお布団に包まれたような幸せな心地だ。

 目が覚めたら転生しているんだなと、感覚的に理解する。


 ――私は新しい人生で、美術館の館長として芸術を楽しみながら、のんびり安全にスローライフする。


 異世界での目標を思った瞬間に瞳が閉じて、私は眠ってしまった。 

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