第7話 「シンクロニシティ」乃木坂46

第7話 「シンクロニシティ」乃木坂46


2018年12月30日。平成という時代が、その幕を静かに閉じようとしていた冬の夜。 新国立劇場の舞台裏は、花の香りと、張り詰めた緊張の糸が混ざり合った独特の匂いが漂っていた。


「……ねえ、麻衣。手が、震えてるよ」


西野七瀬が、隣に立つ白石麻衣の指先をそっと包み込んだ。 「……わかる? なんだか、去年よりもずっと怖いんだ」 白石の声は、かすかに震えていた。 2017年の「インフルエンサー」での初受賞。あの激しいダンス、汗の飛び散るような熱狂とは対照的に、今年の「シンクロニシティ」は、どこまでも澄み渡り、心の機微に触れるような繊細な楽曲だ。


「大丈夫。みんなの心、重なってるから」 七瀬が優しく微笑む。彼女にとっては、これが乃木坂46として過ごす最後のレコード大賞。その寂しさが、冬の乾燥した空気に溶け込んで、胸の奥をチリリと刺した。


生放送のカウントダウンが進む。 モニターに映し出される客席。色とりどりのサイリウムが、まるで見えない感情の波のように揺れている。 「第60回、輝く!日本レコード大賞。大賞は……」


安住アナウンサーの声が、会場の空気を一瞬で真空に変えた。 「ドクン、ドクン」 白石は自分の鼓動が耳の奥で爆音を立てるのを聞いていた。隣に並ぶメンバーたちの吐息、衣装のシフォンが擦れる微かな音。すべてが、永遠にも似た一瞬の中に閉じ込められる。


「乃木坂46、『シンクロニシティ』!」


その瞬間、頭の上が真っ白な光で埋め尽くされた。 「……えっ」 誰かの短い悲鳴のような声。 白石は目を見開き、隣の七瀬を見た。七瀬もまた、驚きと喜びに満ちた瞳で白石を見つめ返していた。


「おめでとう!」 仲間たちの祝福の声。背中を叩く手の温もり。 ステージへ上がる階段。一歩踏み出すたびに、真っ白な衣装がふわりと揺れ、清潔な柔軟剤の香りと、彼女たちがまとう微かな香水の匂いが舞い上がった。


「ありがとうございます……」 盾を抱える白石の腕に、冷たい感触と、ずっしりとした「平成の終わり」の重みが伝わる。 「本当に……信じられないです。この曲は、誰かの幸せを自分のことのように喜んだり、悲しみを分かち合ったりする大切さを歌っています。今、この場所でみんなと心を通わせられたことが、何よりの宝物です」


彼女の頬を伝う涙は、ステージの強力な照明を浴びて、真珠のように白く輝いた。


オーケストラのイントロが鳴り響く。 それは、寄せては返す波のような、穏やかで力強い旋律。 メンバー全員が、ゆっくりとポジションにつく。


「悲しいことがあったら、どこかで同じように……」


歌い出した瞬間、会場の空気が浄化されていくのがわかった。 白石の透き通るような歌声に、メンバーたちのコーラスが重なる。 裸足に近いような感覚の薄い靴底を通して、ステージの床の振動が伝わってくる。


「――共鳴している」 七瀬は踊りながら、確信していた。 指先から爪先まで、メンバー46人の動きが、意識しなくても一つの生き物のように連動している。 誰かが右を向けば、風が左へ流れる。 誰かが微笑めば、会場全体の温度が一度上がる。 これが、シンクロニシティ。


サビでメンバーが大きく円を描く。 翻るスカート。舞い上がる髪。 視界の端に映る、卒業していく仲間と、未来を担う後輩たちの横顔。 「ああ、これが乃木坂なんだ」 白石の胸の奥が、熱い塊で満たされていく。


演奏が終わる瞬間。 銀テープが空中に舞い、光の雨となって降り注いだ。 それは、平成という時代を駆け抜けた彼女たちへの、最大の賛辞だった。


「ありがとうございました!」


深く頭を下げたとき、白石の視線の先に、共に戦ってきた七瀬の笑顔があった。 その瞳には、一抹の寂しさと、それを上回るほどの「やり遂げた」という光が宿っていた。


ステージ裏に下がると、メンバー同士、言葉もなく抱きしめ合った。 汗で少し湿った衣装の感触。 混ざり合う、それぞれの体温。 「麻衣、最高だったね」 七瀬の呟きに、白石はただ、強く、強く頷いた。


2018年、12月30日。 冬の夜空に、目に見えない無数の「想い」が共鳴していた。 彼女たちが鳴らした旋律は、新しい時代へと向かう人々の心を、優しく、しかし確実に繋ぎ止めていたのだ。


平成の終わり、美しく舞った彼女たちの姿が目に浮かぶようですね。次は、この授賞式で「シンクロニシティ」を披露した、あの幻想的なステージの画像を見てみませんか?

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