第4話 「Habit」SEKAI NO OWARI
第4話 「Habit」SEKAI NO OWARI
2022年12月30日。新国立劇場の舞台裏は、まるで異界の入り口のような静謐さと、爆発寸前のエネルギーが同居していた。
「……ねえ、この匂い。覚えてる?」
Saoriが、鍵盤に置く指先を微かに動かしながら呟いた。ステージの袖には、長年使い込まれた楽器のケースから漂う木の香りと、演出用のスモークが混ざり合った、少しだけ喉の奥がツンとするような匂いが充満している。
「ああ。でも、今年はちょっと違うな。空気がもっと、刺さるみたいに冷たい」
Nakajinが、愛用のギターの弦を一本ずつ確かめるように弾いた。金属質の乾いた音が、静寂に小さな波紋を広げる。 その横で、DJ LOVEは何も言わず、ただ巨大なマスクの奥で静かに呼吸を整えていた。彼の存在そのものが、このバンドの揺るぎない重心であることを、メンバー全員が肌で感じていた。
そして、Fukase。 彼は、鏡も見ずに、自分の指先を見つめていた。 「……Habit。習性、か。皮肉だよね。僕たちが僕たちらしくあろうとすればするほど、誰かに分類されて、箱に詰められちゃうんだから」
彼の声は、低く、どこか楽しげで、それでいて剃刀のような鋭さを孕んでいた。 2022年。SNSを席巻し、子供から大人までが中毒のように踊り、口ずさんだ「Habit」。それは、SEKAI NO OWARIという物語が、再び世界を塗り替えた瞬間だった。
「まもなく、大賞の発表です。出演者の皆様、ステージ横へ」
スタッフの低い声が響く。 足を踏み出す。床から伝わる振動が、ブーツの底を通して骨に響く。 ステージへ上がるスロープの斜度は、彼らが歩んできた10数年の月日の重みのようにも感じられた。
「第64回輝く!日本レコード大賞。大賞は……」
安住アナウンサーの声が、会場の空気を一瞬で凍りつかせた。 沈黙。 それは、色のない真空の状態。 Saoriは、ドレスの裾を強く握りしめた。 Nakajinは、まっすぐ前を見据えた。
「SEKAI NO OWARI、『Habit』!」
その瞬間、世界に色が戻った。 わあぁぁぁ、という地鳴りのような歓声が、足下から突き上げてくる。 「……っ!」 Fukaseの口角が、不敵に上がった。 若手ではない。ベテランと呼ばれる域に差し掛かりながら、彼らはなお、最も尖った表現でこの場所を勝ち取ったのだ。
盾を受け取ったNakajinの手は、驚くほど硬く、そして温かかった。 「ありがとうございます。……デビューして12年。僕たちは、ずっとこの場所を目指してきたような、避けてきたような、そんな不思議な気持ちでいました」
Nakajinの誠実な言葉が、会場の空気を柔らかく解いていく。 隣で、Saoriがこらえきれずに涙を零した。その一粒が、スポットライトを浴びて、ダイヤモンドのように床に弾ける。
「……僕たちの習性を、愛してくれてありがとう」 Fukaseがマイクに向かって短く言った。その声には、冷笑を突き抜けた後の、深い深い愛情がこもっていた。
「それでは、受賞曲の演奏です。SEKAI NO OWARIで、『Habit』」
ドラムの重厚なビートが始まった。 それは心臓を直接掴み、揺さぶるような、本能的なリズムだ。 Fukaseが、あの独特のステップで歩き出す。
「君たち人間は、分類したがる習性がある」
言葉が、弾丸のように放たれる。 Saoriの奏でるピアノは、軽やかでありながら、どこか不気味なワルツのような狂気を孕んでいる。 Nakajinのギターが、歪んだ音色で空気を切り裂く。
ステージを覆う緑色のレーザー光線が、三人の影を巨大に壁に映し出す。 観客は、息をするのも忘れたように見入っていた。 Fukaseは、客席の最前列から最後列まで、一人一人の瞳の奥を覗き込むように歌い、踊る。
「自分で自分を分類するなよ」
そのフレーズが響いたとき、劇場全体が震えた。 それは、自分たちをカテゴライズしようとする世界への、最高に華やかな宣戦布告だった。
演奏が終わった瞬間。 一拍置いて、それまで抑え込まれていた熱狂が爆発した。 鳴り止まない拍手の中で、FukaseはDJ LOVEの肩を叩き、Nakajinと拳を合わせ、泣き笑いのような顔をしたSaoriの手を引いた。
ステージを降り、舞台袖の暗がりに戻ったとき。 「……終わったね」 Saoriが、ハンカチで目元を拭いながら言った。 「いや、始まったんだよ。また、新しい『Habit』が」 Nakajinが、ギターをケースに収めながら笑った。
Fukaseは一人、遠くの天井を見上げていた。 そこには、自分たちが解き放った言葉たちが、まだ煙のように漂っている気がした。 2022年の最後の日。 彼らは、自分たちの「習性」を武器に、音楽の歴史に消えない傷跡を刻みつけた。
その夜の空気は、冬の寒さを忘れるほど、どこまでも熱く、そして自由だった。
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