第9話 知っているはずのないこと
夜明け前、村が静まり返る時間帯。
眠れないまま、俺は宿を出た。
考えないようにしても、考えてしまう。
――同じ癖。
――過剰な理解。
――説明の要らない前提。
合理的なだけなら、偶然で片づけられる。
だが、積み重なりすぎている。
村の外れ、簡素な見張り台の近くで、
テファニアが一人、地図を広げていた。
「早いですね」
振り向かずに言う。
「眠れなくてな」
「でしょうね」
それを当然のように受け取る。
並んで立つと、東の空が薄く白んでいる。
「中央は、今日中に正式な通達を出します」
「内容は?」
「“勇者の判断を尊重する”」
皮肉だ。
「尊重って言葉は便利だな」
「責任を押しつけるのに、最適です」
即答。
俺は息を吐いた。
「……なあ」
言葉を選ぶ。
「お前、俺を初めて見た気がしないんだが」
彼女は、ようやくこちらを見た。
驚きはない。
否定も、慌てもしない。
「それは、あなたの側の感覚です」
「そうかもしれない」
それでも、続ける。
「でも、説明がつかないことが多すぎる」
彼女は、少し考える素振りを見せた。
そして、静かに言う。
「では、逆に聞きます」
「何を?」
「あなたは、私を“初対面の相手”として扱えていますか?」
言葉に詰まる。
意識的には、そうしている。
だが――
「……分からない」
正直に答えた。
「距離の取り方が、妙に自然だ」
彼女は、小さく頷いた。
「それは、あなたの欠点です」
「欠点?」
「過去の判断を、現在に引きずる」
その言い方。
胸の奥が、強く疼く。
「あなたは、一度信頼した相手の判断基準を、
簡単には捨てられない」
俺は、ゆっくりと首を上げた。
「……なんで、そんなことを知ってる?」
沈黙。
風が、地図の端を揺らす。
彼女は、逃げなかった。
「知っているからです」
短い答え。
「知っている“ように見える”だけじゃない」
言い直す。
「知っている人間の言い方だ」
視線が、正面からぶつかる。
初めてだ。
彼女が、感情を隠さなかったのは。
「勇者様」
その呼び方が、わずかに揺れた。
「あなたは、いつも最後に言う」
喉が鳴る。
「……何をだ」
「『まあ、いいか』」
世界が、止まった。
前世で、
何度も、何度も使った言葉。
決断を放棄するときの、
魔法の逃げ道。
「それを言う前に、
必ず一度だけ、相手を見る」
彼女は、淡々と続ける。
「そして、相手が決めてくれるのを待つ」
否定できない。
「それを知っているのは」
声が、低くなる。
「……俺と、」
言葉が続かない。
彼女は、一拍置いた。
そして、はっきりと言った。
「あなたと、
同じ時間を生きた人間だけです」
夜明けの光が、彼女の横顔を照らす。
その輪郭が、
記憶と、完全に重なった。
もう、偶然ではない。
もう、他人ではない。
それでも、名前は口にしない。
告白はない。
確認もない。
ただ、事実だけが、そこにある。
――俺は、
この世界で一番、
決断できる相手と、再会してしまった。
そして同時に、理解する。
彼女が村を支配している理由も。
俺が勇者に選ばれた理由も。
すべてが、
最悪なほど、噛み合っている。
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