第2話 選ばれた役割
目を開けたとき、天井がやけに高かった。
白い石で組まれた天井。幾何学的な紋様が薄く彫られていて、どこか宗教施設のような冷たさがある。
身体は軽く、痛みはなかった。倒れる直前に感じた胸の違和感も、もう残っていない。
「……病院、じゃないな」
起き上がろうとすると、簡単に身体が動いた。
反射的に自分の胸に手を当てる。心臓は、しっかりと鼓動を打っている。
生きている。
だが、それを素直に喜べない。
周囲には誰もいない。
祭壇のような台座、壁に刻まれた古い文字、中央に描かれた円陣。
ここが「戻ってきた場所」ではないことだけは、はっきりしていた。
立ち上がり、足元を見る。
履いているのは見慣れない革靴。服も、どこか時代錯誤な装いだ。
触れれば実感がある。夢ではない。
「……死んだ、よな」
そう呟いても、答えは返らない。
やがて、足音が響いた。
静かな、しかし迷いのない歩き方。
扉が開き、ローブをまとった数人の男女が入ってくる。
全員、こちらを見ていた。
値踏みする視線。
敬意とも期待ともつかない、重たい沈黙。
その中の一人、年配の男が一歩前に出た。
「勇者様。お目覚めになられましたか」
その言葉が、妙に現実味を欠いて聞こえた。
「……誰のことだ?」
男は、わずかに目を見開いた。
だが、すぐに理解したように頷く。
「混乱されるのも無理はありません。ですが、あなたは選ばれました」
選ばれた。
その言葉に、胸の奥がざわついた。
「この世界を救うため、剣と加護を授けられた存在――勇者として」
男の背後で、他の者たちが一斉に膝をつく。
儀式めいた動き。疑いようのない「役割」が、空気として完成していく。
「……ちょっと待ってくれ」
言葉を挟もうとすると、男は柔らかく微笑んだ。
「ご安心ください。勇者様が望まずとも、役目は果たされます」
その言い回しに、引っかかりを覚える。
望まずとも。
剣が差し出された。
鞘に収まったそれは、不思議と軽い。
「あなたには力があります。迷う必要はありません」
手に取ると、身体の奥が反応した。
剣を振れば、振れる。
使おうと思えば、使える。
だが、それは「自分が選んだ力」ではなかった。
「……俺は、勇者になりたいなんて言ってない」
口にした瞬間、場の空気がわずかに揺れた。
だが、誰も動揺しない。
男は、淡々と言った。
「選ばれるとは、そういうものです」
その一言で、すべてが腑に落ちた。
前世でもそうだった。
期待され、役割を与えられ、断らずに受け入れてきた。
主夫でいることも、
離婚後に何も変えなかったことも、
倒れたときに助けを呼ばなかったことも。
全部、「選ばなかった」結果だ。
そして今。
ここでも俺は、
誰かに選ばれ、
誰かに役割を与えられ、
断る理由を見つけられずにいる。
「……なるほど」
剣を握る手に、力が入る。
「勇者ってのは――便利な肩書きだな」
男は微笑んだままだった。
その笑みが、どこか遠く感じられる。
この世界では、
俺の意思よりも先に、
“役割”が存在している。
選ばれたのではない。
当てはめられただけだ。
そう理解した瞬間、
胸の奥で、何かが静かに軋んだ。
――俺はまた、
自分で何も選ばないまま、
勇者になった。
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