第2話「信じる者は注射される」

「悟り? いつだって開いておるよ、聖女様の御手に抱かれて!」


賢猿サルマティカが窓を開けて咆哮すれば、秋の夕陽に木枯らしが吹くのだった。図書館に模された待機室は、埃を被った魔導書がうず高く積まれている。


「賢者殿、埃を吸ってハイにならないで下され。粉塵はイケナイ薬ではござらん」


不織布マスクを二枚重ねて、冷たくあしらったのも束の間のことだった。奴が学ランのような上着を脱ぎ捨てると、壮絶なタトゥーが現れたのだ。


「そ、それは、ルミナ様ではないか! 賢者殿、やはり気が触れていたのだな?」


「愛ゆえにじゃ、小僧。分かるか? 何度挑もうと、月に届かぬこの渇きが!」


その切なさは理解してはいけない気がした。自分も同じ穴の気だるいムジナなのだから。


「おんじ! 眼を覚まされよ! 我々は、所詮は召喚獣、従者に過ぎませぬ」


薄暗がりの図書館は、水を打ったように静まり返った。コチコチと時計の音だけが響き渡る。


「ドラグノアの方法を応用した。見るがよい」


奴はいつの間にか注射器を左腕の筋肉に差している。蕩けた顔だ。嬰児えいじのようではないか。瞬間、猿の体が筋骨隆々へと変貌を遂げる。空間のマナが共振していた。


「これが聖女の愛の本質じゃ! 実に狂おしい! 依存せずにはおれぬ」


タイル張りの床を踏みしめ、後退りする。猿の背に魔力の渦が立ち上ってゆく。


「またれよ、おんじ。この後の展開が読めぬ貴方様ではあるまい」


「なに?」


「ルミナ様が公僕になるであろう。お縄で御座るよ」


しなしなと干からびていくのが分かる。冷徹な事実を告げて、冷静になったのだと思われた。


「その時に、他の奴を巻き込んでも構わぬが拙者は勘弁願いたい」


「ヌシ、本音をストレートに言い過ぎじゃ。だが気に入った!」


壺から取り出した紙人形に、勢い良く猿が息を吹き込めば、等身大のルミナ様が現れたではないか。


「こ、この赤毛のお下げは、まさしくルミナ様!!」


「凄いだろう? 三つくれてやろう。自由に使え! ワシの魔力が……」


猿から魔道具をひったくった私は、木製の扉を蹴破り、一目散に走り去るのだった。


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