第28話:静けさの中の決意


 果てしなく広がる湖の中央、僕たちは静かに船を浮かべていた。


 無数の水柱が水面から天へと伸び、重力を忘れたかのように、静かに、しかし確かに空へと水を運んでいた。


 そんな幻想的な光景の中を進む船の船室で、僕は、皆に自分の過去を語った。


 東の大陸、帝国のエリア3の国で生まれ育った僕は、いわゆる貧困層の出身だ。帝国は王国以上の階級社会であり、それは帝国に属する国単位で存在した。帝国には、エリアで国がランク付けされており、エリア1は支配者側の国であり、エリア2、エリア3とその国のランクが続く。つまり、エリア2とエリア3の国はエリア1の植民地と呼べる。それらの国を統合して、世界では帝国として呼ばれていた。


 そんな帝国にある僕の故郷は、マナの流れが途絶えたような土地だった。大瀑布の近く、海風に晒されるその地では、病が日常であり、死が隣人だった。僕の記憶の大半は、母の咳き込む音と、夜ごとに聞こえる魔物の遠吠えに怯える日々で埋め尽くされている。


「なるほど…病気の母上、いや、皆を救うため、ケビンは冒険者になったのだな」


 ミリアリアさんの低く響く声が、湖面に波紋のように広がる。


 彼女の白く透き通る肌は、窓から入り込むダンジョンの赤に照らされ、まるで炎のように揺れていた。


「はい…だから、僕は…どうしても死ぬわけにはいかなくて」


 言葉にするたび、胸の奥にしまっていた痛みが、少しずつ外気に晒されていく。けれど、不思議と心は軽かった。誰かに話すことで、過去が過去として形を持ち始めた気がした。


 マナステーションを故郷に立てられれば、お母さんの病気も治るし、皆も救える。魔物も迂闊には近寄って来なくなる。冒険者として大成すれば、宗主国も迂闊には手を出せない。冒険者から搾取することは帝国であっても難しい。



「ふむ…確かに、我らと共に、天使の零落を踏破すれば、ケビンの名声は世界に轟くであろう。そうすれば、勝手に大金が舞い込んでくる。皆を救えるかもしれんな」


 ミリアリアさんの言葉は、豪快でありながらも、どこか温かい。ミリアリアさんのような強者に認められたことが、僕の胸の奥に灯をともす。


「はい!頑張ります!」


 声が自然と大きくなった。水柱の音にかき消されることなく、空へと吸い込まれていく。


「うむ。お主の力、確かにメグーやアニーの成長に大きく貢献する。期待しているぞ!」


 その言葉に、僕は深く頷いた。


 まさか、自分の料理人としてのスキルが、こんな形で役立つとは思ってもみなかった。僕の作る料理と呼ばれるアイテムが、メグーさんのマナを満たし、彼女の魔法を支える。そして、僕自身の肉体も強化され、アニーさんのスキルにも影響を与える。


 メグーさんは、ただの魔法使いではない。銀髪が水柱の光を受けて淡く輝くその姿は、まるで神話の中の存在のようだった。教会の聖女でさえ、彼女の前では影が薄れるだろう。


 だが、その力が知られれば、世界は彼女を放っておかない。教会も、帝国も、彼女を利用しようとするだろう。だからこそ、僕が守らなければならない。彼女が安心して笑っていられるように。それが恩返しの手段だと僕は思っていた。


「なによ?私の顔に何か付いているのかしら?」


 メグーさんの声に我に返る。彼女の瞳が、まっすぐに僕を見つめていた。


「あ、い、いえ、ごめんなさい」

「ふん。そんなに心配いらないわ」


 その言葉に、少しだけ安堵する。けれど、彼女を取り巻くことの重さを思うと、胸が締めつけられる。

 僕に、もっと力があれば――


 そのとき、ふと視線を感じて振り返ると、ミリアリアさんが静かに微笑んでいた。金髪が窓から差し込む光を受けて、まるで王冠のように輝いている。


「どうやら、確かに、私の目は節穴だったようだな」

「え?」

「いや、何でもない。私の独り言だ」


 その言葉の奥に、何かを見透かされたような気がして、僕は思わず目を逸らした。


「すみません!ケビンさん!交代をお願いします!」


 船室の扉が開き、アニーさんの声が響いた。茶色の髪を後ろで結んだ彼女が、そこに立っている。


 その姿を見た瞬間、胸が高鳴った。まるで、湖の水柱のように、心が空へと引き上げられるようだった。


「ケビンさん?」

「あ、は、はい!行きます!」

「お、お願いします。あ、こ、これを」

「え?」


 手渡されたのは、双眼鏡だった。


「ここ、ダンジョンの奥なのに、すごい広さなんです。これを使ってください」

「あ、ありがとうございます」

「い、いえ」


 彼女の笑顔が、まるで湖面に射す一筋の陽光のように、僕の心を照らした。


 その背中を見送っていると――


「おうゥ、惚けてんじゃねェぞ」

「っ!?」


 背後から、オーグさんの豪快な声が飛んできた。いつの間にか、彼は僕のすぐ後ろに立っていた。


「たく、あのチンチクリンのどこが良いんだかァ」

「え、あ!そんなんじゃないです!」

「へェ…どうだかなァ」


 オーグさんの口元が、にやりと吊り上がる。まるで僕の心の内を見透かしているかのようだった。

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