第26話:怨念の海を越えて
霧に包まれた世界に、私とメグーちゃん、ケビンさんの三人だけが取り残されていた。心細さが胸を締めつける。ミリアリアさんやオーグさんの姿が見えないことが、まるでこの霧がただの自然現象ではないと告げているようだった。
この状況を打開するには、ケビンさんのスキルに頼るしかない。けれど、それをメグーちゃんは頑なに拒否していた。
「スキルでアイテムに換えるだけですよ?必要なければ…海に捨ててしまっても良いと思います」
ケビンさんの提案に、メグーちゃんは思わず眉をひそめた。
「な、何だか、それはそれで嫌」
メグーちゃんが即座に否定する。銀髪の彼女の瞳には、冷静さの奥にある強い意志が宿っていた。今の一言には、どこか命を軽んじることへの強い拒絶がにじんでいた。私も、心の奥底で同じ思いを抱いていた。何だかやってはいけないようなことを、ケビンさんは口にした気がする。
その時だった。
「あ、危ない!!!」
「え?」
ケビンさんの叫びが響いた瞬間、私は強く突き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。
「きゃっ!!」
「がぁ!!」
私の上に覆いかぶさったケビンさんの背中が、まるで裂けたように赤く染まっていく。彼の地味な服が、鮮血に染まる様子が、現実味を帯びて私の目に焼きついた。
「ケビンさん!? ケビンさん!!」
私は声を震わせながら彼の名を呼んだ。普段は頼りなく見える彼が、今、私を庇って傷ついている。そんな現実が、胸を締めつけた。
「ぐぅ…お、お怪我はない…ですか?」
苦痛に顔を歪めながらも、私を気遣うその姿に、私は言葉を失った。
「ど、どうして、私を庇って、こんな…」
「アニーさんが…居なければ…僕は…1人で死んでいたかも…しれなくて、恩を…」
その言葉に、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。ケビンさんは、ただの地味な人なんかじゃない。誰よりも優しく、そして強い人だった。だが次の瞬間、彼の表情が一変する。
「あ、あれ…痛くない?」
スッと立ち上がるケビンさん。まるで何事もなかったかのようなその様子に、私は呆気に取られた。
「確かに、幽霊にやられた…はず?」
彼は背中に手を回し、傷跡を確かめる。血に染まった衣服はそのままだが、出血は止まっていた。
「気を緩めない!」
「ぐえ!」
メグーちゃんが無言で彼の首根っこを掴み、床に押し倒す。その瞬間、彼の頭上を何かがかすめ、空気が裂ける音がした。もし彼女が動かなければ、今度こそ命はなかっただろう。
「さすがに、今の私でも、死んじゃった人を蘇らせることはできないわ!驚異のただ中にいること、忘れないで!」
メグーちゃんの怒声に、ケビンさんはしゅんと肩を落とす。彼女の言葉には、仲間を守ろうとする焦りと、恐怖を押し殺すような強さがあった。
「メグーちゃんが治してくれたの?」
私の問いに、彼女は小さく頷いた。銀髪が揺れ、その横顔には決意が滲んでいた。
「メグーちゃん、幽霊を黙らせる方法、ありそう!?」
「何が有効か…分からない」
メグーちゃんの声がかすれる。彼女には他に状況を打開する手がかりがない様子だ。
やはり、メグーちゃんのことがケビンさんに知られる可能性がある。それはミリアリアさんの意思に反することだけれど、ここはスキルを使ってもらうしかない。
そんな時だ。
代案をケビンさんが口にした。
「幽霊は火が苦手って聞きます」
「火…」
メグーちゃんはケビンさんを見つめる。その視線には、迷いと葛藤があった。彼の前で力を見せることにためらいがあるのだろう。もし、ケビンさんが魔術に詳しければ、メグーちゃんが使用している魔法がプロンプトマジックではなく、コンテクストマジックだと気付くかもしれない。
「メグーちゃん?」
「…仕方ないわね。燃えろ!!」
メグーちゃんはまるで命令するように魔法を放つ。
「うわ!!」
すると、霧の中に無数の火が灯る。幽霊たちが燃え上がる様子は、幻想的でありながら、どこか哀しげだった。これなら、確かに幽霊を倒せたかもしれない。そんな私の希望を打ち砕くのはメグーちゃんの一言だ。
「ダメね。効果がないわ」
メグーちゃんの声には、焦りと苛立ちが滲んでいた。その言葉通り、目の前で燃え広がる光景はパッと鎮まり、何事もなかったような静けさが再び訪れる。彼女の魔法が通じない相手に、どう立ち向かえばいいのか。彼女の中の自信が、少しずつ揺らいでいるのが分かった。
「い、今のは…魔法?で、でも、詠唱も魔名もない」
「良いから、今は黙ってなさい」
「は、はい!」
ケビンさんの問いに、メグーちゃんが鋭く言い放つ。
そして、彼女は刹那の間に、迷いに終止符を打つ。
「良いわ。お母さんを助けてくれたアンタのこと、信じる」
「え?」
その言葉に、私は驚いた。メグーちゃんが、誰かを信じると口にするのは、きっととても珍しいことだ。
「お母さん、ケビンのスキルを承認して」
「え、え?」
「あ、えっと、幽霊をアイテムにするってことですかね?」
「そうよ!早く!」
メグーちゃんの声には、焦りと信頼が混ざっていた。彼女は、ケビンさんの力に賭けたのだ。
「えっと、アニーさん!月光のしずく、夢のかけらの許可をお願いします!」
「…」
「アニーさん!?」
私は迷う。
ミリアリアさんだけでなく、メグーちゃんもケビンさんに自身のことを知られたくないと思っている
「メグーちゃん、良いのね?」
「うん」
「分かった…ケビンさん。許可します!」
私が肯定すると、ケビンさんがスキルを発動させる。彼の手のひらに吸い込まれていく霧と幽霊たち。その光景は、まるで世界が一瞬で塗り替えられるようだった。
気づけば、私たちは船の上にいた。すぐ近くには、気を失ったミリアリアさんとオーグさんが横たわっている。ミリアリアさんの金髪が月光に照らされ、まるで神秘のヴェールを纏っているようだった。
「これが、幽霊をアイテムに変換したものです」
そして、ケビンさんの手のひらには、白いカップに収まったアイテムが静かに輝いていた。彼のスキルが、私たちを救ったのだ。
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