第16話:地を揺るがす咆哮

 

 かつて神に捧げられたであろう神殿の跡地。


 今はもう、崩れかけた白い大理石の柱が無造作に立ち尽くし、苔に覆われた床には、血のように赤い花が点々と咲いていた。湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつき、どこからともなく水の滴る音が絶え間なく響いている。空気は重く、まるでこの地に染みついた祈りと絶望が、今なお息づいているかのようだった。


 突如として、地の底から響くような咆哮が空間を震わせた。

 神殿の天井はとうに崩れ落ち、灰色の空が覗いている。その裂け目から、黒い影がゆっくりと降りてきた。翼を持たぬその巨影は、まるで大地そのものが命を得たかのような威容を誇っていた。苔むした床を踏みしめるたび、地面が軋み、柱が震え、赤い花弁が宙に舞う。


「来るぞッ!!」


 オーグの怒声が響いた瞬間、地龍が咆哮と共に突進してきた。その巨体は雷鳴のような音を立てて白い柱をなぎ倒し、苔と土を巻き上げながら迫る。空気が震え、アニーは思わず耳を塞いだ。震える指先を止められず、彼女はただその場に立ち尽くす。


 ミリアリアは一歩、また一歩と前へ出た。


「ふむ、久方ぶりの大物だな」


 海賊帽の下、蒼い瞳が鋭く光る。赤い花を踏みしめるその姿は、まるで戦場に舞い降りた姫君のようだった。


 地龍の前脚が振り下ろされる。

 ミリアリアは一瞬の判断で身を翻し、柱の陰へと滑り込む。だが、地龍の爪は柱ごと彼女を吹き飛ばした。空中で体が回転し、彼女の視界がぐるりと反転する。

 

「くっ……!」


 背中から地面に叩きつけられ、肺から空気が抜ける。痛みが全身を駆け巡る中、彼女は歯を食いしばって立ち上がろうとする。その背後から、地龍の尾が唸りを上げて迫る。

 

「姉御ッ!!」


 オーグが咆哮と共に飛び出し、全身の筋肉を膨らませて拳を振り上げた。

 

「下がれェッ!!」


 尾が振り下ろされる寸前、彼の拳がそれを迎え撃つ。骨が軋む音がした。だが、オーグは一歩も退かず、逆に地龍の腹へと拳を叩き込んだ。


「喰らいやがれェッ!!」


 鈍い音が響き、鱗にひびが走る。だが、地龍は怯むどころか、怒りを増幅させたように咆哮し、オーグを弾き飛ばした。彼の巨体が柱に激突し、苔と花びらが爆ぜるように舞い上がる。ミリアリアは剣を握り直し、荒い息を整える。

 

「目と喉……そこしかない……」


 湿った金髪が頬に張り付き、額から汗が滴る。彼女は地龍の背後へと回り込み、崩れかけた柱を蹴って跳躍した。空中で剣を構え、蒼い瞳が一点を射抜く。


「せめて、貴様の眼だけでも……!」


 刃が地龍の瞳に突き刺さる。地龍が絶叫した。

 その声は、神殿の奥にこだまし、すすり泣くような音となって空間を満たす。まるで、この地に染みついた怨嗟が共鳴しているかのようだった。


 暴れる地龍の巨体が柱をなぎ倒し、神殿全体が崩壊の危機に瀕する。ミリアリアはその背から飛び降り、地面に転がる。膝をつき、立ち上がろうとするが、足がもつれて崩れ落ちる。


「オーグ……!」


 彼女が呼ぶと、血まみれのオーグが立ち上がっていた。

 赤い肌に無数の傷が走り、血が流れ落ちる。だが、その目にはまだ闘志の炎が宿っていた。

 

「トドメは……任せろォ……!」


 ふらつきながらも、彼は地龍の前に立ちはだかる。


 地龍が口を開き、咆哮と共にミリアリアを喰らおうとする。

 その瞬間、オーグが地を蹴った。

 

「喰らえェェェッ!!」


 彼の拳が、地龍の顎を下から突き上げるように炸裂する。骨が砕ける音が響き、地龍の口が大きく開いた。その隙を逃さず、ミリアリアが短剣を構えて跳び込む。

 

「これで終いだ……!」


 喉の奥へと突き立てられた刃。

 地龍が絶叫し、血を吐きながら崩れ落ちる。その巨体が神殿の中心に倒れ、柱が連鎖的に崩れていく。

 轟音と共に、神殿は再び静寂に包まれた。


 水の滴る音が、再び空間を支配する。

 ミリアリアは膝をつき、肩で息をしていた。

 オーグは地面に倒れ、大の字になって寝そべっていた。その顔には、どこか満足げな笑みが浮かんでいた。

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