第17話:香りが祈りを溶かすとき


 ミリアリアさんとオーグさんは、地龍の亡骸に向かって黙々と解体を進めていた。


 剣と拳で命を奪った者たちが、今はその命の残滓を武具の素材として選別している。鱗は硬質で美しく、牙は鋭く、骨は重厚な輝きを放っていた。


 私とケビンさんは、戦えぬ者として素材の運搬を任されていた。血の匂いが鼻を突く中、黙々とバックパックに素材を詰め込む。


「よっと」

「よっと!!」


 メグーちゃんが私の真似をしながらバックに素材を詰めていく。


「ほっと!」

「ほっと」


「はっと!」

「はっと!!」


 私はメグーちゃんと一緒に素材を詰め終えると、私は膨らんだバックを背負い、彼女の銀髪をそっと撫でた。彼女は目を細めて微笑む。さっきまで地龍の咆哮に怯えていた少女が、今は安心しきった顔で私を見上げている。その笑顔が、湿った空気の中でひときわ輝いて見えた。


 亡骸にはまだ多くの素材が残っている。金塊の山を前にして、手ぶらで立ち去るような惜しさが胸を締めつける。


「ケビン、お主のスキルを亡骸に使って見せよ」


 ミリアリアさんの声が、静寂を切り裂いた。彼女の金髪が赤い花の間で揺れ、まるで王族のような威厳がその一言に宿っていた。


「…いくら地龍でも、僕のスキルで役に立つ物にはなりませんよ?」

「構わん。お主のスキルを確認したいだけだ」


 淡々とした口調に、ケビンさんは戸惑いながらも手を亡骸へ向ける。オーグさんが赤い肌をひきつらせ、鋭い視線を投げる。


「ひぃ!」

「さっさとしねェか」


 ケビンさんは慌ててスキルを発動する。彼のロールは料理人。ユニークロールと言われるその役割に、ミリアリアさんは何か思い当たる節があるようだった。


「煮る。焼く。蒸す。@@@@。@@、@@。どれが良いでしょうか?」


 ケビンさんの声は震えていた。選択肢の意味すら曖昧なまま、彼は指示を仰ぐ。ミリアリアさんは眉間に皺を寄せ、思案する。


「煮る。焼く。蒸すは想像できるが、残りは何だ?」

「わ、わかりません…スキルの発動方法としての選択肢が出てきただけ…なので」


 その時、ミリアリアさんは私に視線を向けた。


「アニー」

「は、はい?」


 急に呼びかけられたのに驚いて、声が裏返るが、もはやいつものことであるため、ミリアリアさんは構わず続ける。


「どうするのが良いと思うか。直感でも構わん。教えてほしい」


 突然の問いに戸惑いながらも、私は工程の意味を頭の中で整理する。だが、「詰める」と「気ふ」は理解できなかった。


「おかあさん!」

「ん?どうしたの?」

「焼くのが好き!」


 メグーちゃんの声が響いた。

 彼女の瞳は焼かれて肉を思い浮かべて輝いている。私はその言葉に頷き、ミリアリアさんへ視線を送る。


「では、ケビン、焼いてくれ」

「わ、わかりました」


 ケビンはそう頷いたものの、変化は一向に訪れない。またしても、ケビンさんは不安そうな表情で言う。


「…あの、アニーさん」

「は、はひ?」


 尋ねられたのは私だ。

 再び、思わず驚きの声を漏らしてしまった。



「ガーリック、ローズマリー、バターの使用許可が必要なアイテムのようです」

「き、きき、きょ、許可?」

「農民の方の協力が必要と…だけスキルに言われています」


 ガーリックなどは農民のスキルで生み出せるアイテムってこと?私は首を傾げると、ミリアリアさんが言う。


「アニー、許可してくれ」

「え、そ、そんな、ど、どうやって?」


「許可とケビンに返してみてほしい」

「えっと、あ、あの、きょ、きょ、許可します」


 私がとりあえず言ってみると…



 ケビンさんのスキルが放たれ、地龍の亡骸が煙に包まれる。


 そして、その煙がパッと晴れると、地龍の亡骸があった場所に、白い皿の上に乗った香ばしい肉片が現れた。香りが空気を満たし、神殿の重苦しさを一瞬だけ忘れさせる。



「地龍のソテー・ア・ラ・プロヴァンサル」


 ケビンさんは呪文のようなものを口にする。


「何だそれは?」

「地龍から変換したアイテムの名前です…」


「アイテムの…名前?」

「えっと…”ア・ラ・プロヴァンサル”は、南仏風…香草とガーリックの組み合わせを意味します。このアイテムは、そんな感じの…それです」


 ケビンさんは自分で口にしながら怪訝そうな表情をしていた。


 きっと、スキルで得られた情報をそのまま話しているのだろう。スキルは女神から与えられた役割によるものであり、人間には理解できない言葉も含まれている。そもそも、ガーリックやローズマリー、バターが何のことだったのかわからない。


「わー!」


 メグーちゃんが歓声を上げ、肉片へと駆け寄る。


「では、ケビンよ、すまんがお主はオーグに続いて先に行ってくれ」

「え?」


 ミリアリアさんの言葉にケビンさんは困惑するが、オーグさんが無言で肩を掴み、奥へと連れて行った。


「さて…」


 2人の姿が消えると、ミリアリアさんはメグーちゃんに微笑む。


「食べて構わないぞ」

「うん!」


 メグーちゃんは、どこからともなくお皿に添えられているナイフを手に取る。そして、ケビンさんがスキルによって生み出した料理と向かい合った。


 その表面は香ばしく焼き上がり、きつね色の焼き目が美しい格子模様を描いている。ナイフを入れると、外はカリッとした食感を残しつつ、中からは肉汁がじゅわっと溢れ出し、ほんのりピンク色のミディアムレアの断面が見えた。芳醇なバターとガーリックの香りが立ち上り、鼻腔をくすぐる。添えられたローズマリーの香りが、肉の旨味を一層引き立て、口に運べば、柔らかくジューシーな肉質が舌の上でとろけていく。


 メグーちゃんは肉片を頬張り、幸せそうに笑う。

 その笑顔は、神殿の陰鬱な空気を少しだけ晴らしてくれる光のようだった。


「おいしい!」


 その声に、ミリアリアさんは複雑な表情を浮かべる。彼女の瞳は、メグーちゃんの笑顔を見つめながらも、遠くを見ていた。


「ミリアリアさん?」

「ん?ああ…すまない。少し考え事をしていてな」


「…ケビンさんのことですか?」

「ああ…彼のスキルは本物だ。メグーのことを考えれば、奴に同行してもらうのが良いのかもしれないが」


 その言葉には、迷いと警戒が滲んでいた。ミリアリアさんはメグーちゃんのことを考えているのだろう。


「…奴にメグーのことが知られれば、将来的に面倒なことになる。そんな予感が頭から離れないのだ」

「メグーちゃんを狙う人に…ケビンさんが捕まっちゃうかもしれない…そ、そういう、こと、でしょうか?」

「むしろ、進んで情報を対価に、何かを得ようとするだろうな」


「…そ、そんな、ひ、人には…み、見えないです」

「あやつの実力で、天使の零落の審査を突破できるとは思えん。おそらく、ユニークロールを理由に、どこぞの冒険者パーティーに取り入ったのだろう。そして、今、あやつは1人だ」


「そ、それは…な、仲間を見捨てて逃げた…と、そ、そ、そう考えて、い、いるんですか?」

「そうまでは考えておらん。仲間に見捨てられた可能性もある。しかし、いずれにせよ、あまり信を置けない人物と評価せざるを得ない」


 私は不安そうな顔をしていたのだろう。ミリアリアさんはそれに気づき、柔らかく微笑んだ。


「案ずるな。ケビンをもう見捨てることはせん」

「…ミリアリアさん」


「あやつも連れて行くとしよう。ここまで来て引き返すことはできんからな」


 その言葉に、私は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


 すすり泣くような幻聴が響く神殿の中で、私たちは確かに、誰かを見捨てない旅を続けているのだ。

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