第8話:救恤の聖女、沈黙の瞳


 花々は風に揺れながら、色とりどりの花弁を空へ舞い上げていた。


 陽光を受けて輝くその景色の奥には、七色の虹が弧を描き、空と大地を優しく繋いでいる。まるで神々が微笑む楽園のような光景。その中心には、雪のように白い円形の建物が静かに佇んでいた。


 その建物の中央に立つのは、床まで届く金糸の髪を持つ一人の女性。純白のドレスが風に揺れ、まるで光そのものが形を成したかのように、彼女の姿は周囲の花々よりも鮮烈に輝いていた。


 彼女は細くしなやかな腕に、真紅の如雨露を抱えながら、静かに建物の外へと歩み出る。

 その足元には、老若男女を問わぬ無数の人々の顔が、地面の模様のように並んでいた。その顔は皆、苦悶に歪み、まるで永遠の痛みを刻まれた彫像のように沈黙している。


 女性は如雨露を傾け、透明な水を地面へと注ぐ。水は光を帯びて流れ、顔の一つひとつに触れるたび、苦悶の表情がゆっくりとほころび、やがて穏やかな笑顔へと変わっていく。まるで魂そのものが癒されていくような、静謐な奇跡だった。


「メリアリーデ猊下!」


 その神秘的な光景を破るように、甲冑を纏った一人の男が、砂を蹴りながら駆け寄ってくる。銀の鎧が陽光を反射し、彼の焦燥を際立たせていた。


 メリアリーデ――

 教会の七元徳のひとりにして、「救恤の聖女」と呼ばれる存在。彼女の顔は白い仮面に覆われており、仮面の奥からは辛うじて金色の瞳の動きだけが読み取れる。その瞳は、まるで深淵を覗くような吸引力を持ち、駆け寄る男――


 マクウスへと静かに向けられた。


「マクウス…どうしました?そんなに慌てて」

「はっ!急ぎご報告申し上げます!第62の龍!その亡骸を確認いたしました!」


 マクウスは胸に拳を当て、礼節を守りながらも声を震わせて報告する。


 その言葉は、神が人の世に課した罰――

 約束を破った者たちへの戒めとして現れた龍が、少なくとも1柱は死していたことを意味していた。


 18年もの間、龍は姿を見せず、教会はその沈黙の理由を探り続けていた。

 亡骸の発見は、長き沈黙に一筋の光を差す進展であるはずだった。


 しかし――


「そう…ですか」


 メリアリーデの声は、どこか遠くを見つめるような、淡い響きを持っていた。その反応に、マクウスは戸惑いを隠せず、眉をひそめる。


「メリアリーデ様、何かご懸念が?」

「いえ…それよりも、ミリアリアさんの方は何か進展がありましたか?」

「はっ!これより天使の零落の攻略を開始するとの報せが届いております」

「そう…銀の少女については?」

「いえ、現在も捜索中とのことです。他に特筆すべき事柄はございません」

「わかりました」


 メリアリーデは静かに頷き、再び遠くへと視線を向ける。その瞳の奥に映るものは、誰にも知ることはできない。


 虹の向こうに何を見ているのか――

 それは、彼女だけが知る未来の断片なのかもしれない。

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