第7話:聖女の依頼


 この世界において、教会の影響力は絶大だった。

 人々の心には、神への畏敬と信仰が深く根を下ろし、その存在はもはや国家の枠組みすら超越していた。王の命令ですら、教会の意志の前では霞んでしまう。


 その絶対的な力の源は、遥か古にまで遡る。


 神々が人類に与えた罰──『龍』。

 その咆哮は雷鳴を呼び、その翼は嵐を巻き起こし、吐き出す炎は大地を焦がし、国を幾度となく灰燼に帰した。


 だが、奇跡のような事実があった。教会の教えに忠実に従った者たちだけが、その災厄の中で命を繋いだのだ。


 人々は悟った。

 神の教えに従うことこそが、生き延びる唯一の道であると。


 教義はただの戒律ではない。神の意志そのものであり、未来を紡ぐための羅針盤だった。


 やがて教会は、王権をも凌駕する存在となった。

その影響は、国を超え、世界を覆い、冒険者たちの在り方すらも規定していた。


 冒険者──それは、国に属さず、冒険者ギルドという超国家的な組織に籍を置く者たち。

 ギルドは中立を旨とし、各国の合意によって成立した「冒険者条約」に基づき、依頼の優先順位や報酬の配分までもが厳格に定められている。


 たとえば、複数の依頼が同時に舞い込んだ場合、依頼元が国家であれば、冒険者の出身国の依頼が優先される。


 だが──その中に教会の名があれば、すべての序列は無意味となる。


 教会の依頼は、絶対である。

 それは、神の代行者としての教会が、いかなる権力よりも上位にあることの、何よりの証だった。



 その教会から直に依頼を受けている。

 そんな人達が目の前にいることが信じられないでいた。


「あの……」


 声が震える。皆の視線が一斉に私に向けられ、心臓が跳ねた。

 次の目的地が決まり、場が和んだこの瞬間を、私はずっと待っていた。


「今さら、なな、なんですけど……私たち…」


 “私たち”という言葉に、思わず言葉が詰まる。


 本当に、私も“仲間”と呼んでいいのだろうか。

 この人たちは、私とは比べものにならないほど強くて、賢くて、何よりも必要とされている。

 私は──ただの農民。

 リンゴを生み出すことしかできない、戦うことも守ることもできない、無力な存在。


 それでも、あのとき「仲間にしてください」と叫んだのは、私自身だった。

 あの言葉に、どれほどの重みがあるのか、今になってようやく実感している。

 “仲間”であるということは、ただ一緒にいることじゃない。

 支え合い、信じ合い、時には命を預け合うこと。

 私は、その覚悟を持てているのだろうか──。


 そんな私の逡巡を見透かしたように、フェイさんがふっと微笑んだ。

 その微笑みは、夜の闇の中でもなお輝く月のように、静かで、優しい。


「アニー、何かあれば、何でも聞いてね」


 その一言に背中を押され、私はようやく続きを口にした。


「あ、えっと…、そ、その…わわわ、私達の冒険者ランク…どれくらいなんですか?」


 言い終えた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられる。質問自体は何の違和感もないのだが、"私達の冒険者ランク"の言葉が心をざわつかせた。


 冒険者には明確な等級がある。

 パーティーランクはFからSまで、個人ランクはティア7からティア1まで。高ランクであればあるほど、名誉と報酬、そして責任が重くなる。


 フェイさんのあの砂竜を一撃で仕留めた姿を思い出す。あれほどの力を持つ人が、低ランクであるはずがない。


 だが──


「実はね、俺たち……パーティーとしては、ギルドに登録してないんだ。ギルドに登録しているのは、オーグとアニーだけかな」

「え?」


 思わず顔を上げると、オーグさんがこちらを見て、満面のドヤ顔を浮かべていた。赤い肌に浮かぶ自信満々の笑みが、焚き火の光に照らされていやに眩しい。


「……」


 正直、オーグさんの等級は気になる。だけど、聞いて、素直に教えてくれるだろうか。だが、黙っていると、彼の眉間に皺が寄り、声が荒くなる。


「おいィ、チンチクリン。俺の等級、気にならねェのか?」

「そ、それは、気になります。え、えっと……オーグさんの等級は、どれくらいなんですか?」

「はん!教えてやらねェ」

「そ、そう、ですか」

「お、おィ!!チンチクリン!!」

「は、はひ!?」

「てめェ、もっと、聞いてこいやァ!」

「え、えええええ!?そ、そんな、り、理不尽です!!」

「ああん?」

「え、えっと、そ、その、すっごーく、すごく…き、気になります!お、お、おし、教えてください!お願いします!」

「チッ……仕方ねェな。よく聞けよ……俺はな──」

「オーグは、これでもティア1の冒険者だよ」


 フェイさんの静かな声が、オーグさんの言葉を遮った。


「アニキィィィィィ!?」

「ごめんごめん、つい口が滑った」

「そりゃねェっスよぉ〜!」

「えっ、ティ、ティ、ティアワ、ワン!?」


 私は思わず叫んでいた。

 驚きと畏怖が胸を突き上げ、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。オーグさんは、さっきまでの不満げな表情を一変させ、再び誇らしげな笑みを浮かべた。


 その姿は、まるで勝利を確信した戦士のようだった。だが、彼の態度は当然だ。世界には無数の冒険者がいる。


 その中で、個人ティア1に到達した者は、わずか21名──まさに伝説の域。


 ティア1ともなれば、教会からの指名依頼が主な任務となる。その報酬は桁違いであり、依頼を受けること自体が、冒険者としての最高の栄誉なのだ。


 ──まさか、私たちが教会から依頼を受けられたのは、オーグさんのおかげだったなんて。


「でも、教会から依頼を受けたのは、俺たちじゃなくて……船長だけどね」


 フェイさんの言葉が、私の思考を静かに断ち切った。


「え?」

「うむ。我は、メリアリーデ様と縁があってな。ギルドを通さず、直接依頼を受けているのだ」

「メリアリーデ様!?」


 その名を聞いた瞬間、空気が一変した。


 教会は二つの大きな組織に分かれている。

 七人の聖女を頂点とする〈聖女機関〉と、教皇を中心とした〈聖評議会〉だ。

 これは補足だが、聖女機関と聖評議会の役割は異なり、互いに干渉することはない。


 メリアリーデ様は、七元徳が聖女の一人。

 「救恤のメリアリーデ」とも呼ばれる、慈愛の象徴のような存在だ。


 その名を聞くだけで、胸の奥が温かくなる。

 彼女の奇跡の逸話は、教会の書物や街の噂話で何度も耳にしてきた。


 私にとっては、遠い空の星のような存在だった。

 まさか、その人と直接つながっている人が、目の前にいるなんて──。


「でも……“天使の零落”って、ギルドの管轄ですよね?ギルド通さずに入れるんですか?」

「案ずるな。メリアリーデ様の直筆の依頼状がある。……まあ、門番には、ものすごく嫌な顔をされるだろうがな」


 ミリアリアさんは不敵な笑みを私に見せた。

 確かに、いくら冒険者ギルドとはいえ、聖女からの依頼状があれば断れないだろう。

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