敵であるという仮面

夜明け前の佐賀平野は、

まだ色を持たない。


山の稜線は溶けるように闇へ沈み、

空と地面の境界が曖昧になる時間。


僕は、研究施設の屋上に立っていた。


冷たい風が、頬をかすめる。


(……眠れなかった)


理由は、分かっている。



「哲人」


背後から、声。


振り向くと、シャーロット理事長が立っていた。


夜の闇に溶け込むような、黒いコート。

長い金髪が、風に揺れる。


「こんな時間に、珍しいわね」


「……はい」


僕は、正直に答えた。


「ちょっと、頭が……」



彼女は、屋上の縁に歩み寄り、

同じ空を見上げる。


「眠れない?」


「……はい」


「理由は?」


一瞬、言葉に詰まる。


「……憂が」


それだけで、通じたらしい。


シャーロットは、小さく息を吐いた。



「彼女は、重要な対象よ」


「感情移入は、勧められない」


淡々とした口調。


理事長としての声。


「……分かってます」


僕は、拳を握る。


「でも……」


言葉が、続かない。



シャーロットは、僕を見た。


その瞳は、

冷たくもあり、

どこか――複雑だった。


「哲人」


「これから、あなたは」


一拍、間を置く。


「私たちを、敵だと思うことになる」



「……え?」


思わず、聞き返す。


「どういう……」


「そのままの意味よ」


彼女は、夜明け前の空を指す。


「近いうちに、財団はあなた達と対立する」


「公式に」



胸が、ざわつく。


「でも……!」


「演出よ」


きっぱりと言い切った。


「彼女を守るための」


「そして――」


声が、低くなる。


「世界を欺くための」



その時。


遠くで、サイレンが鳴った。


低く、長い音。


警戒レベルが、上がった合図だ。


シャーロットの表情が、引き締まる。


「……来たわね」


「何が……?」


「“観測者”よ」



地下隔離区画。


憂は、再び目を覚ましていた。


夢ではない。


天井の照明。

無機質な壁。


だが――

何かが、違う。


(……誰か、いる)


空気が、重い。



ガラスの向こう。


黒いスーツの集団が、立っている。


知らない顔。


だが、視線が――

獲物を見るそれだった。


「……理事長?」


呟く。


だが、シャーロットはいない。


代わりに、

男が一歩、前に出る。



「対象A」


機械のような声。


「覚醒レベル、上昇を確認」


「管理権限を、一部移譲する」


「……え?」


意味が、分からない。


男は、続ける。


「以降、あなたは」


「“危険神性存在”として扱われる」



胸が、凍る。


「……私は、何も……」


「それは、あなたが決めることではない」


冷たい断定。


「神話は、再び動き出している」


「その中心に、あなたがいる」



その瞬間。


視界の端で、

影が、揺れた。


(……来た)


直感が、叫ぶ。


誰にも見えない場所で、

あの声が、囁く。



『ほら』


『彼らは、最初から敵だった』


『信じていたのは、君だけだ』



「……違う……」


小さく、首を振る。


「シャーロットさんは……」


『理事長、だ』


影は、嗤う。


『肩書きがある者は、裏切る』


『それが、人間だ』



隔離室のガラスに、

細かな亀裂が走る。


レムリアが、脈打つ。


(……だめ……)


力を、抑える。


でも――

抑えきれない。



同時刻。


監視室で、シャーロットは歯を食いしばっていた。


「……侵入を、許したわね」


「想定内です」


レオが答える。


「“彼”は、夢から侵食する」


「防ぎきれる相手ではありません」



「それでも」


シャーロットは、モニターを見る。


そこには、怯えながらも立つ憂の姿。


「私は、敵になる」


「彼女の前で」


「哲人の前でも」



マックスが、低く唸る。


「……理事長」


「嫌な役回りだな」


「ええ」


小さく、笑う。


「でもね」


その声は、揺れていなかった。


「嫌われ役は、私の専門よ」



その夜。


僕は、施設の廊下で足を止めた。


ガラス越しに見える、隔離室。


中にいる、憂。


目が合う。


一瞬。


彼女の瞳に、

恐怖と、疑念が浮かんだ。


――胸が、痛む。



スピーカーから、理事長の声が響く。


「対象Aの管理権限を、財団が完全掌握します」


「個人的接触は禁止」


冷たい、公式声明。



「……なに、それ……」


僕の声は、誰にも届かない。


ガラスの向こうで、

憂は、唇を噛んだ。



その瞬間。


僕は、確信してしまった。


シャーロット財団は――

敵になった。


そう、思わされるように。


それが、

どれほど巧妙な仮面かも知らずに。



そして。


影は、満足そうに、闇へ溶けた。

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碧宙の星のレムリア 久遠 魂録 @otsuma4041

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