第4話 宿の鍋と、壊れた適性板

 兵士が去った後も、街の視線は消えなかった。刺さらなくなるわけじゃない。ただ、痛みに慣れるしかない。

 俺は四人を急かさず、露店で買ったパンの残りを布に包み直した。食べ物は盾だ。腹が減ると、心が先に折れる。


「行くぞ。宿を探す」

 そう言って歩き出すと、四人は自然に俺の近くへ寄った。歩調が揃う。人波を避ける角度が揃う。

 ――《エスティア》だ、と頭では思う。だが、俺はまだ「気のせい」で押し通すつもりだった。


 通りを一本外れると、急に匂いが変わった。洗っていない汗と、濡れた木と、安い酒。人足や旅人が集まる区画だ。

 俺が探しているのは、こういう場所だ。目立つ者ほど、きれいな宿を取る。だから俺たちは、埋もれる。


「一部屋。五人。……子供は四人だ」

 番台の男は俺の顔より、子供たちを見た。値踏みの視線。次に来るのは拒否か、上乗せだ。


「子供連れは面倒だ。騒いだら追い出す」

「騒がない。鍋しか鳴らさない」

「鍋?」

「飯を作る。匂いは出るが、揉め事は出さない」


 男は鼻で笑い、鍵を投げてよこした。銅貨は安くない。だが、高くもない。つまり「条件付きで許す」値段だ。

 階段を上がり、狭い部屋に入る。窓は小さいがある。鍵がある。鍵は強い。


 四人は、命令しなくても動いた。

 小柄な子が窓の隙間を布で塞ぐ。口数の少ない子が床板の沈む場所を避けて寝台を整える。影の少年は扉の蝶番を見て、音が鳴らない角度を確かめる。年長の少年は俺と扉の間に立ち、外の足音に耳を澄ませた。

 ――生活が速い。速すぎて、怖い。


「今日の寝床はここだ。今夜だけでも、ここは家だ」

 言葉にすると、部屋の空気が少しだけ落ち着いた。四人の肩が、ほんの少し下がる。


 夕方、俺は鍋と火種を借りてきた。市場で根菜の端物と、塩を少し。贅沢はできない。だが、温かいものは作れる。

 鍋で湯を沸かす。根菜を刻む。塩を落とす。匂いが立つ。

 その瞬間、四人の呼吸が同じ速さになった気がした。


《エスティア》


 また胸の奥が熱を帯びる。俺は気づかなかったふりをして、椀を並べた。

「食え。今日は勝った。……兵士に連れていかれなかった」

 年長の少年が低い声で言う。

「勝ちって、飯?」

「飯だ。寝床だ。明日があるってことだ」


 食べている途中、口数の少ない子が鍋の火加減を見て、ぽつりと言った。

「……薪、もう一本、右」

「なんで分かる」

「……煙の色」

 言われた通りにすると、煙が減った。鍋の中身が静かに煮える。たまたまじゃない。たまたまにしては、正確だ。


 夜更け、廊下で足音が止まった。鍵穴の向こうに気配がある。

 俺が身構えるより先に、影の少年が立った。音もなく、扉の前へ。息を殺さない。ただ薄くする。

 気配が一度だけ揺れ、そして遠ざかった。

「……いなくなった」

 影の少年の声は小さい。だが、確信がある。


 俺は息を吐いた。怖いのは、強さじゃない。強さが目立つことだ。

「明日、手続きをする。味方を作る」

 そう言うと、四人は無言で頷いた。頷けるなら、まだ壊れていない。


 翌朝、俺はギルドへ向かった。金も情報も、ここで手に入れるしかない。

 受付に立つと、若い職員が俺たちを見て目を細めた。昨日の兵士と同じ種類の目だ。だが、刃の向きが少し違う。こちらを切る前に、規則を振りかざす目。


「保護者登録は?」

「ない」

「なら、子供を連れての滞在は難しいですね。最近は“候補”の取り締まりが厳しくて」


 候補。昨日も聞いた匂いの言葉だ。

「候補って何だ」

 職員は一拍置き、言葉を選んだ。

「……勇者候補です。王都から通達が来ています。特性のある子供は、国の管理下へ」


 俺は笑えなかった。管理という言葉の刃を、俺は知っている。

「管理は要らない。俺が面倒を見る」

「証明がありません」

「じゃあ、どうすればいい」


 職員は奥の机を指さした。黒い板。手のひらほどの木板で、中心に金属の円が埋まっている。

「簡易適性板です。触れるだけで“傾向”が出ます。登録の参考に。危険はありません」


 危険がないと言い切る口ほど、危険だ。だが、ここで拒否すれば、宿から追い出される。追い出されれば、次は役所だ。

 俺は四人に小さく言った。

「手を置くだけ。終わったら離せ。怖かったら、首を振れ」


 最初に年長の少年が手を置いた。円が淡く光り、文字が浮かぶ。


『前線』


 職員が息を止めた。次に、口数の少ない子。


『解析』


 次に、小柄な子。文字ではなく、風みたいな紋様が一瞬浮いて、消える。

 職員の顔色が変わった。


「……ちょっと待ってください」


 最後に、影の少年が手を置いた瞬間――板の光が消えた。黒が黒を塗り潰すみたいに、表面が沈む。次の瞬間、何事もなかったように戻る。


 職員が乾いた声で呟いた。

「測定……不能……?」


 俺は板を覗き込み、首を傾げる。

「壊れてないか、それ」

「壊れていません。……たぶん」

「たぶんで済ませるな」


 適性板の前で立ち尽くしていると、通りすがりの冒険者が足を止めた。古傷だらけの腕、擦れた外套。目だけが鋭い。

 冒険者は板の表示を見て、俺ではなく子供たちを見た。


「……四人とも、か」

 それだけ言って立ち去る。余計な説明はしない。説明すると、奪う理由になるからだ。


 職員は慌てて咳払いし、声を落とした。

「この結果は……外で言わないでください。役所に嗅ぎつけられたら、こちらも守りきれません」

「分かった。俺は鍋の話しかしない」


 職員は慌てて紙を取り出した。

「仮登録を。保護者としての申請と、子供たちは“同行見習い”扱いにできます。正式な名は後日で……」

「名は本人が渡す。俺が勝手に書かない」

「……分かりました。では空欄で」


 紙一枚で世界が優しくなるわけじゃない。だが、紙があると、奪う側の手順が増える。手順が増えれば、時間が稼げる。


 ギルドを出ると、パン屋の香りが風に乗ってきた。昨日の露店より少し高い匂いだ。

 俺は銅貨を数え、迷ってから、小さな甘い焼き菓子を一つ買った。四等分できる大きさのやつを。


「ごほうびだ。……板が壊れてた記念」

 四人が同じ顔で眉を寄せた。そこが、少し可笑しい。


 部屋へ戻り、鍋を火にかける。湯気が立つ。匂いが広がる。

 俺はまだ、何も分かっていない。勇者候補とか、国の都合とか。

 分かっているのは一つだけだ。


「飯を食え。今日は、また勝つ」


 四人が頷く。

 鍋の前で頷けるなら、今日も繋がっている。昨日の街の冷たさと、今日の湯気が。

 そしてきっと――この先の運命とも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 21:00 予定は変更される可能性があります

転生先で拾った孤児が全員勇者候補だった 〜俺はただ飯を作ってただけなんだが?〜 さらすてぃす @Thalastis

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画