『深淵(フェティシズム)を覗く者 ~変態ではありません、あくまで学術的取材(ジャーナリズム)です~』

@gamakoyarima

第1話(前編) 深淵を覗く者 ―マッチングアプリの「M嬢」と脳内麻薬のパラドックス―

「キリシマさん、いい加減にしてください! 今月の家賃、まだ振り込まれてないって大家さんから電話来てますよ!」


 都内の安アパートの一室。古びた畳の上に散乱する専門書とアダルトグッズの山をかき分け、新米編集者の芦名(あしな)マキは悲鳴を上げた。  だが、その視線の先にいる男――フリーライターのキリシマは、煎餅布団に寝転がったまま、スマホの画面を憑かれたように見つめている。


「うるさいな、マキ。今、俺は人類の進化の最前線(マッチングアプリ)にいるんだ」 「はあ? 何言ってるんですか、このエロライター!」 「エロではない。探求だ。……見ろ、このプロフィールを」


 キリシマが突きつけた画面には、『ご主人様募集』『躾けられたい』『家畜にして』という、正気を疑う文言が並んでいた。  アイコン画像は顔を隠しているが、背景や服装から漂う生活水準は明らかに高い。


「いいか、マキ。現代社会は『選択』の連続だ。朝起きる時間から将来の年金まで、脳は常に決断を強いられている。そのストレス(負荷)が限界を超えた時、人はどうなると思う?」 「……爆発する、ですか?」 「違う。『思考の放棄』を望むんだ。誰かに支配され、命令され、自由を奪われることで、逆説的に『精神の自由』を得ようとする。これこそがM(マゾヒズム)の本質だ」 「……また変な理屈こねて。で、まさかそれに取材費を使う気じゃ?」 「当然だ。マッチング成立だ。相手は都内在住、20代女性。ハンドルネームは『レイナ』。行くぞ、マキ。経費で最高級のホテルを取れ」 「嫌ですよ変態!!」


 ◇


 指定された場所は、港区の夜景を一望できる高級シティホテルの一室だった。  取材費(ほぼ自腹)を叩いて用意したスイートルームのドアが開く。そこに現れたのは、マキの予想を裏切る人物だった。


 清楚な白のワンピースに、手入れの行き届いた黒髪。ブランド物のバッグを控えめに持ち、少し怯えたように上目遣いでこちらを見ている。どう見ても、どこかの企業の受付嬢か、良家のお嬢様だ。


「あの……『K』様、でしょうか?」 「そうだ。君がレイナさんか」 「は、はい……」


 彼女は頬を朱に染め、モジモジとしている。とてもアプリで『便器にしてください』と書いていた人物には見えない。マキは小声でキリシマに耳打ちした。 「キリシマさん、人違いじゃないですか? 普通の子ですよ」 「甘いな、マキ。彼女の爪を見ろ。綺麗にネイルしているが、親指の甘皮周辺がささくれ立っている。強い抑圧とストレスの証拠だ。彼女は今、マグマを溜め込んだ休火山なんだよ」


 キリシマはICレコーダーを取り出し、テーブルに置いた。 「単刀直入に聞こう、レイナさん。君は社会的地位もあり、容姿にも恵まれている。なぜ、見ず知らずの他人に虐げられたいと願う?」


 彼女はビクリと肩を震わせ、俯いた。 「……普段、私は『完璧』でいなきゃいけないんです。親の期待、職場での評価……。私という人間じゃなく、私の『役割』しか見てもらえない」 「なるほど。『役割』からの逃避か。自己の存在を他者に委ねることで、自我の重圧(プレッシャー)から解放されたいと?」 「……はい。私を、モノのように扱ってほしい。言葉責めでも、道具扱いでも……思考ができなくなるくらい、私を壊してほしいんです」 「いいだろう。その『現象』、記録させてもらう」


 ◇


 十分後。  ホテルのキングサイズのベッドの上で、レイナは両手を自前のネクタイでヘッドボードに拘束されていた。  照明を落とし、間接照明だけが彼女の滑らかな肢体を浮かび上がらせる。  キリシマはあえて直接的な挿入を行わない。彼が選んだのは、徹底的な「感覚遮断」と「焦らし」による脳へのアプローチだった。


 目隠しを施されたレイナの視覚は奪われている。その状態で、キリシマは氷を含ませた指先で、彼女の敏感な首筋から脊柱起立筋に沿って、ゆっくりとなぞり下ろした。


「ひゃうっ!?」 「観察開始だ。……体温上昇、37.5度前後か。立毛筋が収縮し、鳥肌が立っている。これは寒さではない。『闘争・逃走反応』による交感神経の過剰興奮だ」


 キリシマは冷静に分析しながら、今度は熱い吐息を彼女の耳の裏に吹きかける。  冷たさと熱さ。矛盾する温度刺激が、視覚を奪われた彼女の脳を混乱させる。


「あ、んっ……! な、なに……わからない、怖い……でも……」 「怖いか? だが逃げようとしていないな。君の大腿直筋は弛緩している。脳は恐怖を感じているのに、身体は受け入れている。この矛盾こそが快楽の正体だ」


 キリシマの手が、彼女の太腿の内側、薄い皮膚の下に動脈が脈打つ場所へと這い進む。  直接触れるのではない。指先が触れるか触れないかのギリギリの距離を保ち、産毛だけを刺激するようなフェザータッチ。  焦らされた神経が過敏になり、レイナの腰が勝手に跳ねる。


「あ、あっ……! だめ、そこ……もっと、強く……!」 「まだだ。まだデータが足りない。今、君の脳内では『β-エンドルフィン』と『ドーパミン』が同時に分泌されているはずだ。恐怖や苦痛を感じた際、脳がそれを中和しようとして麻薬様物質を出す。いわゆる『ランナーズハイ』に近い状態だ」 「そ、そんな説明いいからぁっ……! 早く、早くぅ……!」 「よくない。君は今、何を感じている? 屈辱か? それとも安らぎか?」


 キリシマは彼女の秘部に指を這わせる。  そこは既に、溢れ出した愛液で濡れそぼっていた。粘度は高く、糸を引くほどに熟れている。独特の甘く生々しい雌の匂いが、ホテルの空調に乗ってマキの鼻先まで漂ってきた。  それは理性が溶け出した証拠だった。


「ひグッ、ああっ……! わ、私……私は……モノです……ただの、穴ですぅ……!」 「そうだ。思考を捨てろ。君はただの有機的な反応機構だ」


 キリシマが指を一本、中へと沈める。  温かく、吸い付くような膣壁の収縮。通常の性行為とは比較にならないほどの強い締め付け(圧迫)が指を襲う。 「すごいな……。膣壁の蠕動運動が不随意に行われている。意識とは無関係に、臓器が異物を求めている証拠だ」


 彼はもう一本、指を追加し、Gスポットと呼ばれる神経の集中箇所を、硬い指の関節でグリりと抉った。


「あ゛あ゛あ゛っーーー!! イ、イクッ! 壊れるぅっ!!」


 レイナの身体が弓なりに反り、拘束された手首が限界まで伸びる。  目隠しの下から涙が溢れ、口からは涎が糸を引く。  理性が完全に崩壊し、獣のような咆哮が部屋に響き渡る。  それは退廃的でありながら、人間が皮を脱ぎ捨てた瞬間の、ある種の宗教的な崇高ささえ感じさせた。


(続く)

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