第2倭 参殿の変

  意宇国の北側、美しい紺碧の海沿いにある、一際大きな神殿に二人は向かっていく。

 『参殿の日』。それはハヤスサノヲ……彼らの父にあたる神威を通じ、『大いなる真理』へ、正しき清き『氣力(トゥム)』と『想念(イレンカ)』を捧げ、その力によって国家鎮護の権能を得る儀式である。そして普段離れて暮らしている義父王に目通りする日でもある。


(今回も正しき想念イレンカを送り国を守るチカラを……!)


 一層引き締めた表情でヤチホコは神殿内へと入ってゆく。門の横、滾々(こんこん)と湧く泉で穢れを祓い、最奥部の祈りの間へと進む。

 前方に座す先導者に合わせ、乾いた音を己が手より二人同時に四度発し、各御魂を呼び覚ます。


「守護神封・解! 氣力トゥム解放! ニス!」


 パキィンッ! 乾いた破裂音を立てて左腕の封環が外れる。掛け声と共に、竜輝であった刻同様の透明に輝く権能を全身より吹き上げる。


 「氣力トゥム解放! レラ!」


 スセリが同様に叫ぶと、ゆるりと空気が動き出し――うなりを上げ、スセリを包み込む旋風となって吹き上がる。


付与生氣呪ラムハプル=トゥム!」


 祭壇中央目掛け、吹き上がる権能が放たれる!


「畏みて献上し奉る! 我らが氣力トゥム想念イレンカを以って国と民に安寧を!」


 注ぎ込まれた氣力が限界を超え、身震いすると同時に勢い良く天に向かって放たれた!

 しばし間をおいて……山桜(カリンパニ)の花吹雪の如き力強く美しい慈雨が降り注いできた。


(……出来た、か)


 安堵の表情を満面に浮かべ大きく息をついた。


「二人とも良き氣力トゥムそして想念イレンカなり! 久しきである……息災であったか?」


 祭祀を終え、氣力を収め振り向いた老齢の先導者――意宇国貴(オウナムチ)はそう話しかけてきた。娘ほど齢の離れた二人の姉、タギリを娶るだけあり、柔和な佇まいと裏腹な精気と力強さを観じた。


(……残念ながら義父王さまにはまだ遠く及ばないようだ)


 思いをよそにヤチホコはその場に座して座禅を組み応える。


「はい! 義父王もお変わりなく」


「元気よ。 まだまだお義父さまにはかなわないけどね」


 ヤチホコの横に座りスセリも応えた。


「……されど二人共また更に錬積み練り上げしと観えるぞ」


 己との彼我の差を正確に把握している二人に対し、満足気に意宇国貴は言の葉を告げた。


「はい!」


 偉大なる現王の讃辞に対し、喜び露わに二つ返事で応えた。それを受けた意宇国貴は、穏やかに優しげ頷いて話そうとするも⸺鳴り響く軋轢音が遮った。

 清浄なる祈りの間の結界を、強引に引き裂き顕れんと欲すモノが奏でていた不協和音であった。


「なぜ? 権能チカラを奉納したばかりなのに!」


「――っ横へ跳んで下さい!」


 反射的に動いたスセリの飛び退きざまを狙い、ヤチホコは柄の握りを持ち換えて一閃放つ!


悪想念ウェンイレンカ! 坤(クゥェン)――地で北! まさか――!」


 意宇国貴は何かを悟り素早くその場を離脱する! 

 ヤチホコの放った剣撃は蠢く昏き塊を捉えるも――斬り裂く手ごたえはなく、ずぶりと濃密な泥に埋まり、粘り気に捉えられるような感触であった。


「っ――この感触!」


 ヤチホコが剣を引き抜こうとするよりも迅くそれは顕現する。不定形に脈動しながら蠢いて、一際高く造られた祈りの間の、天井付近まで膨れ上がり具現化していく。表面は油粘土特有のぬめりを帯び、暗緑色の粘液を垂れ流し、周囲の光を虹色に跳ね返す。大きく真横に薙ぎ払うように、丸太の様な尾を振り回し、幾本か柱をへし折り薙ぎ倒し、「グォリッゴォキィッ」と威嚇する様に、激しく歯軋りして軋轢音を撒き散らすそれは、意思を理解し難い、昏く濁リ淀む、かんばせに大きく開いた黄泉の洞穴とでも言うべきそれで辺りを睨み散らす。


「潜土蛇竜(トィヤラサラゥス)! ――やはり。 スセリ、こやつは『地』のモノぞ!」


「それなら……氣力トゥム解放! レラ! やぁっ! 螺旋勁モィ・コトゥィエ!」


 スセリの足元から、旋風の様に氣力が吹き上がり拳に駆け上がる。全力で跳び込み、拳と反対側の足で強く踏み込んで、肩口から腕すべてを捩じり込み、纏いし氣力ごと相手を穿ち抜く様に撃を放った! 潜土蛇竜トィヤラサラゥスの下腹部深くに埋まったスセリの前腕の風は、なおも激しく回転して渦紋かもんを深く刻み込んでいく! 堪らず大きく仰け反りながら飛び退き、螺旋のあぎとから必死で逃れる。すると傷を負いし箇所が見る間に修復されていき、地の底から響き渡る様な怒声をあげてスセリに襲い掛かる!


「ダメ! 奉納したばかりで氣力トゥムが――!」


「スセリちゃん! 僕にトゥムを!」


「わかったわ! 遣って! 付与生氣呪ラムハプル=トゥム!」


考えるよりも迅(はや)くスセリはヤチホコへと己のすべての氣力トゥムを付与する。強き権能へ反応するようにすぐさまヤチホコに狙いを変えて突撃してくる。


「――ヤチホコよ、己が剣に徹せ!」


観るや否や意宇国貴はそう助言する。


(――己の剣……そんな事も出来たのか! ならば――!)


 ヤチホコは意を決し封環を外し、己に残るすべての権能をふり絞らんと、集中してあの神呪を念ずる。


(風は竜巻となりて無を宿し、無より眞なる神威之力生ず……虚空ニスはすべての始まりの力! レラを激しく舞わせよ! 我が剣に宿りて敵を討ち祓え!)


「破邪之剣閃(カムイトゥィエ)――!!」


 透明に輝く亀裂が世界を両断していく! それはあの黄泉の洞穴をも斬り裂いた。

煮えたぎる様に泡立つ音を立て、潜土蛇竜トィヤラサラゥスは融解していく……。汚泥にも似た残骸は、風に吹かれる砂の様に崩れ去り、世界の理に還る様に霧散し、清浄な気配が祈りの間に戻った。


「ハァ……ハァ……やったわね、――ヤチッ!」


 半壊した祈りの間で、安堵の笑みを漏らし呼びかけようとしたスセリが、慌ててヤチホコに駆け寄る。観ると剣を杖に辛うじて立つも、朦朧として、今まさに崩れ落ちようとしたところを必死でスセリが抱きかかえる。


「……『黄泉の眠り』である……ニスの遣い手故の……」


「ぎ、義父王、そ、それは……?」


 必死に意識を繋ぎ留め尋ねる。既に半目は閉じ、身体の自由は全く効かない。


「……あの潜土蛇竜トィヤラサラゥス祓えし今ならば、必ずや儀の完遂なるであろう。ヤチホコ、スセリよ……『神前比武』の儀に挑むが良い!」


 こちらに来た刻からしばしば聞いてはいた。危険だが、儀を完遂したモノは、晴れて己の属性の精霊王……『自然の盟主』と契約叶うと。


「……遣えると認めてもらえたのですね、この権能チカラを」


 先程以上に優しい笑みを浮かべ意宇国貴は応える。良く観ると、拳を握り込み過ぎて手には血が滲んでいた。


「……忍辱の行が一番堪えるであるな……二人とも良くぞ祓えた! 素晴らしきなり! しかし……これはあの北に巣食うモノたちが再度蠢く予兆なり」


(――なんだって? 僕は……聞いただけだが狡猾に戦力を分断し『下伽耶(アラカヤ)』を滅ぼしたと言う……しかし――)


 耳を疑うような表情で激しく思考を廻らせていると、意宇国貴がその先を繋ぎ語る。


「左様。己が雪辱を晴らしし愛娘、ミチヒメがあの『乱』はすべて解決させた筈である。――しかしあの潜土蛇竜トィヤラサラゥス……そしてクゥェンを示す北の方位、間違いあるまい」


 理解した。己がすべきこと、それは真の属性の遣い手たらんと精霊王達と契約できる存在になること――! その為に――。


「わかりました、挑み……ま……す」


 そこまで応えるとヤチホコは微動だにしない深い眠りについた……。


「ヤ、ヤチ!」


 優しく肩に手をかけ意宇国貴が応える。


「……案ずるでない。『黄泉の眠り』は、ニスのモノが真なる遣い手になるまでの枷である。故の『守護封環セレマク=アカム』。横の寝所にて二人暫し休まれよ」


「ありがとうお義父さま。……皆に任せてそうさせてもらうわ」


 大きく裂けた屋根からは朝と変わらぬ太陽トカㇷ゚チュㇷ゚が優しく力強く降り注ぐ。


「元気で強い太陽トカㇷ゚チュㇷ゚! きっと大丈夫よね? ヤチ」


 我々には大事件でも世界には……ではなく、きっと『変わらない』を見せて安心させてくれているのだと――そうスセリはヤチホコの手を握って想念を抱き、降り注ぐ光を見つめていた。

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神威(カムイ)の流転と聖なる詩片 @kamuypirma

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