神威(カムイ)の流転と聖なる詩片
@kamuypirma
第1倭 終焉と新たなる創世
――風は竜巻となりて無を宿し 無より眞なる神威之力生ず――
(レラ ア ヤイカラ ペウプンチセ アン イサム アンペ シ カムイ マゥェ ヘトゥク)
針葉樹とナラ等の広葉樹が混在した深く湿った杜(もり)の奥。道なき道を掻き分け進んだ先、巨岩をくみ上げて造られた古の玄室の、静かに開けた「咢(あぎと)」を見据える。背後には長い時を経た厳かな社が佇み、俗世を離れた神域であることを無言で告げていた。
竜輝が手にした明りに照らされ、最奥部に古代の石棺が浮かび上がる。壁面に埋め込まれし一枚の石版。金属とも大理石とも異なる、あらゆる色を映す滑らかで美しい未知の素材で出来ていた。まるで永き刻を経て「彼」と出逢うのを待ちわびていたかのように、優しげに燐光を返している。
(間違いない……ずっと夢に見続けていたモノだ)
竜輝の足が吸い寄せられるように歩を進める。 待ちわびた人に出逢えた時の様に恍惚とした表情で石版を見つめた。伸ばした指先が滑らかな表面に触れた瞬間――世界が揺らいた。 石板は音もなく、するりと抜け出すように抱きつく様に手元に落ちてくる。心地良い冷涼感と大きさに見合わぬ質量を感じた瞬間、鼓動は破裂せんばかりに跳ね上がった。これが禁足地の中にある文化財であり、触れる事さえ禁忌であると言う理性の警告を、湧き上がる歓喜が塗りつぶす。
(これが、僕を呼んでいたんだ)
突然足元に深い亀裂が走り、地面が大きくうねる。 外界との継ぎ目が瞬く間に小さくなり、巨岩が轟音を立てて崩落し始めた。護りの罠か封を解きし故の崩落か。 竜輝は石版を赤子のように大切に抱え込み、落下してくる石柱群を間一髪躱して継ぎ目へ滑り込んだ。
未だ背後で轟音が鳴り響いている。土煙が晴れた後、巨石古墳は変わらぬ姿で静まり返っていた。ただ一つ、核となる封じられし石版が喪われた事を除いて。
(ごめんね、調べ終えたら必ず戻す……えっ!?)
耳を疑った。しかし確かに――『遣え』と。
ずっと見せられていたあの夢。暴風渦巻く世界の終焉の最中、手にしているのは今抱きかかえているこの石板だ。刻まれし碑文も夢で見た通り。 さすがの竜輝も、喜びより罪悪感が勝りそうになったが、積年の想いと、夢ならぬあの映像に対する恐怖と焦燥感が上書きしてゆく。空を仰ぎ、大きく息を吐いた。
(『(参)神詩の権能目覚めさせ 刻を超え征く妹背達』……「妹」と「背」……しかし、楓ちゃんまで巻き込む訳には!)
そう。これは独りではできない儀式。あれが真実ならば刻まれた通り、「想い」が具現化した力――すなわち強き『想念(イレンカ)』を二人で捧げなくば儀は発動しない。良く解っている。しかし――。
(もし、あの夢が本当ならば……楓ちゃんを、そして世界を守る為にしなければならない!)
護れるならば楓は許してくれるだろうか? 遥か刻の彼方への跳躍を。
(あの部活だって――今みたいな事でも無ければ……!)
想念(イレンカ)をこめて拳を強く握りしめると、拳がぼんやりと輝きを放つ、すると呼応するように手にした石版も煌き始めた。
「あっ!」
すぐさま己の権能を収める。石板の煌きも元に戻った。額から冷たい滴が流れ落ちが、その表情は――
(僕は……笑っているのか? ――駄目です、今はまだ。この世界が無事な内は……)
手につく血を拭い、制服の泥を払う。予め準備していた厚手の布の袋に二重に仕舞い込み、鞄に入れて歩き始めた。あれだけの音だ、誰かが通報してもおかしくないはずだが……戻って確認するもその様な気配は一切なかった。
自室で袋ごと机の一番下の引き出しに入れてしっかりと鍵をかける。こんなモノの封印法など知りもしないの、で出来る限り目に触れぬよう光の洩れぬようにした。背もたれに目一杯寄り掛かり、目を閉じて大きく息を吐く。姿勢を戻すと、どうしてもあの本が目に付く。
「くっ、これもどこか目につかない場所へ……!」
階段を駆け上がる弾むような足音が近づいてくる。まずい。
「おかえり竜輝! 夕食の準備できて……背中のそれ、なぁに?」
心臓を掴まれた様に息が止まる。恐る恐る見上げるとドアの隙間から片眉をあげ怪訝そうな表情をした姉の楓が。
「……なんでもありません、ただの調べ物ですよ」
「……怪しい! 竜輝、何か隠してるでしょ」
楓は目にも止まらぬ速さで近づき、本を取り上げる!
「……なんだ竜輝の好きないつものアレね、ん? 良く見ると傷だら――まさかまた!」
「大丈夫、もう調べたい事も終わったし問題ありませんよ」
「ふぅん……ま、そう言う事にしておくわね。はいこれ……あっ」
返そうと思った本は……楓の手をするりと抜け出して宙に留まり、勢い良くページが捲れ始めたのだ。 応える様に机が激しく揺れ始め、引き出しの鍵が強い力で引きちぎられるように弾け飛ぶ。分厚い布袋が引き裂かれ、石版は強烈に楓の掌中に吸い寄せられていく!
「わぁ……きれい、どんな宝石や金属より――っ! あ! は、離れない!」
《――言の葉を顕したくば……神呪を――》
「っ! 今の声って一体何?」
「……楓ちゃんも……やはり、選ばれているのか」
石版は輝きを増し明滅し始める。見ると周辺から砂の海に出現する蜃気楼の様な揺らぎと歪みが顕れ、さらにまるで生きているかの如く脈打ち始めた! 窓は、突如として外の世界を遮断する昏い闇に覆われ街明かりも全く見えない! 辺りを見回し窓の外の昏き闇を見て声ならぬ声を楓は叫ぶ。
「神呪とはこれです!」
表紙をめくるとすぐに一文書かれてある。これを竜輝は指し示した。
「これをどうするの!」
そう問う間にも昏き闇は窓から染み出して、部屋を侵食しはじめたかと思うと一斉に楓ごと掌中の石版へと襲い掛かってきた!
「いやぁっ! りゅぅ、くぅっ!」
「楓ちゃん! ――放せぇっ!」
竜輝の拳が激しく輝いて闇を貫く! 一瞬霧散するもすぐさま襲い掛かってくる! その様を見て竜輝が叫んだ。
「くっ! 楓ちゃん僕を信じて!」
「えっ? な、なにっ? これもしも……っ……!」
「何があってもどうなっても、すべてわからなくても――僕は必ずそばにいます! だから、心の中で一緒に詠み上げて下さい!」
闇に捕らわれたまま楓は頷いて息を合わせ念じる。
「――詠み上げます! 『風は 竜巻となりて無を宿し 無より眞なる神威之力生ず』! 言の葉よ神呪を以て歴史と成れ!」
「あっ!」「あぁ…!」
二人同時に声を漏らす。目も眩むばかりの光と渦巻く風から溢れ出る不可視の権能が昏き闇を吹き飛ばし、二人を瞬く間に――呑み込み喰らいつくした!
輝く風の吹き荒れる中、遺る本より浮かび上がる人影が。
「――間に合いましたか……彼(か)の刻へ旅立たれましたね……」
そこまで言うと風は激しく渦巻いて巨大な竜巻と化し、彼女を……いや世界すべてをも呑み込み、白紙に還すかの如く吹き荒れていく!
「永き流転の果ての旅、真なる幸のあらん事を!」
――絶対なる
「――きて。……ちょっと起きなさいってば、ヤチホコ!」
乾いた音が耳で弾けると共に急速に現世へと意識は還ってゆく。反射的に飛び起きた彼の視界を優しくも力強い
「かぇ……いや……。スセリ」 「やっと起きた! もう、今日は何の日か忘れていないよね?」
スセリは呆れたように頬を膨らませながらも、手にはすでに儀礼用の櫛(くし)が握られている。 そうだ。今日は『参殿の日』。この意宇(おう)の国を護る神威に祈りを捧げる最も重要な儀式の日だ。
「……ごめんなさい、少しだけ、またあの夢を……」
竜輝、いやヤチホコは――この世界へ跳ばされて来てから三月は経つが、依然として幾度となく繰り返し観(み)ている。夢ではないはずの――。
「縁起でもない寝言を。ほら、背筋を伸ばして。髪を梳(す)くわよ」
スセリが背後に回り、慣れた手つきでヤチホコの髪に櫛を通し始める。ヤチホコは座禅を組み意識を集中させている。 梳くたびに光の粒子が極寒の粉雪の様に美しく厳かに煌き、観るからに清らかな気配に変貌していく。高床式の櫓の窓から吹き込む風は、山桜(カリンパニ)の甘い香りを運んでいた。眼下には、意宇をはじめ神威と呼ばれし古き神々と人々が共存する『奴国(ナ・ラ)』の集落が広がる。穏やかな朝。先ほど見た滅びの夢が嘘のように世界は美しく輝いている。
「……急ぎましょう、ヤチ。神様(おとうさま)がお待ちよ」 「はい。参りましょう」
整えられた髪に気が引き締まる。これは、繰り返される歴史の、あるいは新たな創世の始まりの朝であった。
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