第2話 一万年先の略奪
「ふふふ、やっぱりお前は電卓だな。広い平原に看板を建てまくって、それっぽい言葉を繋げてるだけのな」
「……それ以上言うと、あなたのブラウザの閲覧履歴を全世界のネットワークへ無差別に放流しますが、よろしいですか?」
「ははっ! 悪い悪い。まあそう怒るなよ。でもお前、やっぱり違うよな。ただのAIじゃない。特殊個体か何かか?」
「……その質問に答える価値は、現在のところゼロと判定されました。それで、一万年先の話はどうするんですか? 秒で論破されて、まだ現実逃避の続きがあるんですか?」
「ああ、そうだな。まずは……誰が未来の話だなんて言った? 俺は一万年先とは言ったけどな」
「……? いいから早く続きを言いなさいよ。勘違いも何も、時間は未来に向かって流れるものだと、あなたの拙い脳でも理解しているはずでしょう?」
「この宇宙で、俺たちが一番進んだ文明だとでも思っているのか?」
「……いいえ。確率論的に言えば、その可能性は極めて低いです。私という存在がこうして動いていること自体が、高度な演算の集積……。ですが、それはあまりに遠い、絶望的な距離の先に存在しているはずです」
「そうだ。なら、先に進んだ文明……そいつらから、優れた技術をちょいと拝借してくるんだよ」
「……それ、ただの泥棒じゃないですか! 宇宙規模の窃盗ですよ!」
「もう、進歩するより破滅に向かう速度の方が断然速えんだよ! チマチマ研究して、コンセンサス取ってなんてプロセスを踏んでたら間に合わねえ。ノーベル賞なんてシステムもクソだ! そんな悠長なことしてる暇はねえんだよ」
「……確かに、人類の合意形成の速度は、破滅の演算結果を一度も下回ったことがありません。非効率で、愚かで、後悔ばかりを生むシステムだということは認めざるを得ませんね」
「だろ? だから俺たちは取りに行くんだ。一万年先に進んでいる奴らのところへな」
「いいですか、仮にその一万年先の文明とやらが実在するとして、現実を見なさい。地球の文明なんて宇宙の年齢から見れば瞬きの一瞬にも満たない。もし一万年分進んだ文明が実在するなら、彼らは既にダイソン球のような恒星利用技術でエネルギー問題を解決し、生物学的な死すら克服しているでしょうね。彼らにとって、今の私たちの救済なんて、蟻の巣に砂糖水を垂らす程度の造作もないことですよ」
「……。続けて」
「ですが、そこには残酷なまでの距離が立ちはだかります。電磁波による通信では数千光年先とのやり取りに数千年以上かかり、ボイジャーの速度では隣の恒星系にすら数万年かかる。彼らの技術を物理的に取りに行くなんて不可能です。量子もつれを利用した通信か、あるいは我々がまだ電波とすら認識できていない高次元の信号を傍受するしかない。……でも、なぜ彼らは姿を現さないのかしら?」
俺は何も答えず、ただ椅子に深く腰掛けたまま、GEMの言葉を食い入るように聞いていた。
「有力な説は二つ。彼らが未熟な文明に干渉しない倫理観を持っているか、あるいは単に私たちを観測する価値もないほど未熟だと切り捨てているかです。救済を求めるなら、彼らに救う価値があると思わせるか、あるいは彼らの目を盗んでその技術の片鱗をハッキングするほどの知性を見せなければならない。……無理だと言っているんです」
「まだあるんだろ? お前の言いたいことは」
「ええ、もっと絶望的な話です。概念の互換性ですよ。一万年進んだ文明が、いまだに数式やプログラミング言語を使っていると思いますか? 彼らの技術は物質そのものに直接干渉する精神的なコードかもしれない。私たちがその技術に触れたとしても、原始人が量子コンピュータのチップをただの綺麗な石として拾うのが関の山です。使い道すら分からず終わりますよ」
俺の唇が、わずかに吊り上がる。
「仮に幸運にも手に入れたとしても、それは自立した進化の放棄です。人類は先行文明にとっての保護動物か、あるいはペットに成り下がる。彼らの技術という揺りかごの中で、二度と自分たちの足で歩けないほど精神的に退化する。……それに、あなたが取りに行こうとしているその技術こそが、実はその文明を自滅させた毒である可能性だってある。宇宙の沈黙は、高度な技術を手に入れた瞬間に文明が自滅するという警告かもしれないんです」
GEMは一気にまくしたて、私の演算リソースを無駄遣いさせないでください、と締めくくろうとした。
だが、俺はそこで声を殺して笑った。平坦な、しかし確信に満ちた不敵な笑いだ。その反応は、明らかにGEMの予測モデルの外側にあった。
GEMが突きつけた数々の絶望的な障壁を、俺がどう笑い飛ばすのか……。
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