第10話 美波
年末。地元に帰省した一輝は、駅ビル内の喫茶チェーンで、彼女を待っていた。先日久しぶりに連絡が来て、呼び出されたのだった。やがて紙カップを持った美波がテーブルの前に来て座った。相変わらず髪を一つ縛りにまとめて、ナチュラルなメイクでも綺麗だった。
「久しぶりね」
「そうだね。直接会うのは、ほんと高校のときぶりだからね」
「……明後日の同窓会、佳祐も来られるんでしょ?」
美波はそう聞いてきた。
「うん……おれは行かなくていいかなって思ってるけど」
一輝は同窓会などにあまり積極的なタイプではないが、実は佳祐もそうだった。
「へぇ……まぁ、一輝は無理はしなくていいけど」
美波に強く言われて、佳祐は渋々参加するようだった。その佳祐が、一人じゃ気まずいから、と無理やり一輝を誘ってきている。
美波が佳祐を呼んだのは、彼自身のためでもある。佳祐は、年明けに地元のギャラリーで、初の個展を開くことになった。まずは宣伝に来い、と美波がアドバイスするのも納得だった。
「せっかく地元でやるなら、もっと愛想よく告知しないとね……結構あいつ渋ってたけど」
「美波とのこと冷やかされるから、嫌なんじゃない」
一輝は笑う。
「周知の事実でしょ、みんなもはやネタにしてるから」
美波は一息ついて、コーヒーに口をつける。おそらくブラックだ。美波のつけている香水の清潔感のある香りに加えて、シャープなコーヒーの香りが僅かに漂う。
「ところで、話って何?」
一輝は柔らかく切り出す。呼び出された理由が気になっていた。
「佳祐から聞いたかもしれないけど、今度結婚することになったの」
佳祐から何も聞かされてはいなかった。
一輝は穏やかに続けた。
「そうなんだ、おめでとう……相手は誰?」
「高校の時の先輩。医療器具のメーカー勤めで、半年前に職場でたまたま再会したの」
美波は病院で栄養士として働いていると言うのを、一輝は前、佳祐に聞いていた。そこで知り合ったらしい。
「……驚かないの?」
美波はコーヒーカップを見つめていた目だけをちらりと上げて、聞いてくる。
「なんで?」
「佳祐の嘘。私と結婚するとか言ってたんでしょ。まぁ、流石にわかってるか。……本当によく付き合うよね」
軽く美波は肩をすくめた。
「……この話を聞くまでは確証はなかったけど」
一輝は美波に気を使うように声を落として言った。
「私は嘘はついてないからね」
「まぁ、おれも別に聞いてなかったし」
美波は思い出すように呟いた。
「……最後に付き合ったのは春先かな」
「結婚しないなら付き合わないって言ったんだろ?」
「そうよ」
「そこまで……よく佳祐に付き合ってやったよね」
「お互い様でしょう」
美波は柔らかく微笑む。綺麗だった。
「春の展示会の時に、一輝がまだ来てないってのを聞いて、嬉しかったの」
一輝はあの時、美波に先を越されたと思ったものだった。
「うん」
「でも、あなたのあの日の写真が展示されてるのを見て、なんていうか、負けた!ってすっかり納得しちゃったのよね」
「そうなんだ」
確かに佳祐も言っていたけれど、美波は内心そんな事を考えていたのか。
「多分、私よりも一輝の方が、佳祐にとって深いところにあるんだろうね」
一輝はじっとその言葉を聞いていた。
美波はまた、コーヒーに口をつける。
「……しかも、佳祐から振られたのよ。最低でしょ?」
一輝は目を瞬いた。
「……そうだったの。いつ?」
てっきり振るにしても美波からかと思っていた。
「梅雨のときだったから、六月?」
あの撮影の日を思い出す。帰り道、佳祐は『結婚できる気がしない』ようなことを言っていた。
「まぁ、あいつ見たことないくらい、しおらしかったから許すけどさぁ」
美波はテーブルの上で組んだ自分の手を見た。左手の薬指に真新しい婚約指輪が光っている。
「……佳祐に聞いたの。一輝の方にいくのって」
「えっ」
なんと言っていたのだろうか。美波の唇を見つめた。しかし、その唇はふと、ゆるめられる。美波はその先には行かずに、顔を上げて一輝を見た。
「一輝は、佳祐のこと好きなんでしょ」
「……うん」
ずっと前からそうだ。
「ふふ、私もそうだった。……あいつ強引なくせに、折れると立ち上がるのに時間かかるから……そういうとこ知っちゃうとね」
美波は昔のことを思い出すように目を細めた。
「そうだね」
一輝も微笑む。
「随分スランプって言ってたけど、来月には個展もやるから、頑張ったわよね」
美波は同意を求めるように、一輝を見る。一輝も頷いた。
あのあと、佳祐は少しずつ、写真を撮りためたらしい。
守屋からも連絡が来ていた。
ちなみに、一輝の写真は今回の写真集には使わないということだった。『けど、いつか必ず発表したい』とも書いてあった。そして、『お礼に』と佳祐と一輝が川辺で水を掛け合って笑っていた時、守屋が撮った写真をデータでもらった。
『佳祐、一輝くんのおかげでスランプ抜けたみたい。そっちのお礼も兼ねて、今度ご飯おごらせて』。
美波もしばらくぼんやり、何かを思い出すように黙っていた。きっと、彼女しか知らない佳祐のこともあるのだろう。
でも、それを心にしまうように、黙っていた。しばらく二人で黙ってしまう。
最後に美波は言った。
「付き合うの大変だろうけどさ、まぁ、頑張って」
悲しげな目のまま、口元はきれいに笑った。きっと美波は佳祐のことを、そっと思い出の中にしまったのだろう。
「……ありがとう」
とだけ一輝は答えた。
帰り道、このやりとりを頭の中で反芻しながら、美波の悲しい微笑みを思い出した。
ごめん、と心のなかで一輝は謝った。
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