第9話 佳祐
守屋の撮影は午前中で切り上げとなった。午後は佳祐が撮るらしい。
一輝は出された弁当を見て思わず、「やった焼肉弁当だ!」とうれしい声を上げた。わざわざ佳祐が地元の小料理屋に注文しておいて、車で受け取りに行ってきてくれたのだった。
「この辺は、別荘客向けだから……きっといい肉だと思うよ」
佳祐も微笑む。
「すげー、いただきます!」
一輝が嬉々として弁当の蓋を開ける姿を佳祐が写真に収める。一輝も開けた弁当をカメラに向けるようにして、 凡庸なポーズでその写真におさまった。
「ギャップがすごい」
と佳祐が笑う。いつもの感じだった。
「午後は少し晴れるみたいだね」とスマートフォンで確認しながら守屋が言う。仕出し弁当を箸でつつきながらも、頭の中は写真でいっぱいのようだった。
「一時間くらい休憩したら、再開しようか」
と言っておきながら、さっさと食事を終えて、リビングでノートパソコンを出す。何やら仕事を始めたようだった。
食後、仕事をしている守屋をリビングに残し、佳祐と山荘の周りを散歩して歩いた。雨は止んで、澄んだ空気の中。一気に木々の色が濃くなったようだった。都会を遠く離れた山の中。なんだか小旅行感が出てきた。隣を歩く佳祐とあれこれ珍しいものを探しながら歩く。なんとなく二人で街をぶらついて歩いた学生時代を思い出す。
牛舎に牛が寝ていて、柵の中に数匹のヤギがいた。近くの畑に持ち主らしき人もいて、佳祐が「撮っていいですか?」と聞いたら、快く「お好きにどうぞー」と返してくれた。
「ねぇ、ヤギと撮ろう」
と一輝が言うと、佳祐がカメラを向ける。
「そうじゃなくて」
一輝は佳祐の腕を引いた。スマホを出して、二人で柵の前で自撮りをした。
「なんか小さくて、かわいいヤギだね、子どもなのかな。……待ち受けにしよう」と一輝がヤギを撮影して、スマホを操作する画面を見ながら、「おれと撮ったやつじゃなくて?」と佳祐が横から言ってくる。「じゃあそうしようかな」と一輝が冗談ぽく言うと、「や、やっぱ恥ずいな。いい歳して」と佳祐が言う。
「まあ、思い出だから」と一輝は目を細めた。
こんなに長く佳祐と過ごすのは久しぶりだった。ついはしゃいでしまう。午後の撮影も頑張ろうと思った。
歩いているうちに、思ったより晴れてきた。
来た道とは別のルートから帰っていると、山荘の裏に小川が流れているのを見つけた。
「そういえば守屋さんの写真集……ヤマメってタイトルだよね、ここに山女魚はいるのかな?」
気になって小川を覗き込む。透き通った水だが、魚の影は見えなかった。その姿を見ていた佳祐が「午後はここから始めようか」と言った。
佳祐が守谷を呼びに行くのを待ちながら、一輝は木立の間から、日が差し込むのをまぶしく眺める。濡れた木々の香りが清々しい。
「休憩できた?」
守屋はやってくるなり、一輝の乱れてきた髪を櫛で直し始めた。
「はい、散歩してました。ヤギと牛がいましたよ」
と、先ほどの写真を何枚か見せる。ヤギを挟んで佳祐と撮った写真もある。
それを見て「楽しそうだね」と言いながら、守屋は制汗シートで、一樹の額を拭いて、パウダーをはたいた。その念入りさに、困惑しつつもされるがままになっていた。
「さっきの小川で撮りたい」
佳祐が二人を連れて川の前までやって来た。
「どんな感じで撮るの?」
「うーん」
守屋と違って佳祐には明確なビジョンはないようだった。
「撮ってみるからさ、一輝が好きなものとか見ててよ」
一輝はわずかに困った顔をしたが、佳祐に「頼むよ」と言われて、どうしたものかなと考える。先ほど川魚を見つけられなかったから、もう一度澄んだ流れに目を凝らした。その横顔を佳祐は何枚か写真に収める。
「ザリガニとかはいるかな・・・」
一輝は岩をひっくり返す。
「あ、ほら、沢蟹だね」
「どれ?」
佳祐も水面を覗く。
「水がきれいなのかな?」
「確かにかなり澄んでるな」
一輝が水に手を入れる。冷たい水流が心地よい。佳祐も同じようにして、「結構冷たいんだな」と手を払い、その水しぶきを、なんとなく一輝にかけてくる。「わ、」と顔をそらしながら、反射的にやり返そうとするが、佳祐がカメラを向けているので、やめた。
「防水だから」
カメラの下で、佳祐の口元が楽しそうに笑っている。一輝の咄嗟の気づかいを見抜いたのだろう。一輝も口角を上げると、「じゃ、遠慮なく」と水をすくって、佳祐に引っ掛けた。
「思い切ったな!」
とカメラから顔を離したあと、佳祐は濡れたシャツをはためかせた。わき腹がちらりと見えた。一輝は目を細めた。
守屋はその撮影風景を眺めていたが、自分自身も二人にカメラを向けた。守屋はあまり佳祐の写真には口出しをしないようだった。あくまで静かに見守るスタンスらしい。
撮影した写真をカメラの液晶で確認しつつ、佳祐が守屋にも見せる。
「うん、いいんじゃないかな。自然な感じで」
守屋は続ける。
「佳祐も撮ってて楽しいんじゃない?」
「そうですね」
と佳祐はうなずいた。
一輝は佳祐とキャンプ場に行った時のことを思い出した。あの時、家族の写真を撮ってやりながら、佳祐が楽しそうだったのを思い出した。
午前中とは違って、ほとんど遊びながらの撮影は、あっという間に終わった。
外での撮影を済ませて、山荘の中に戻った。
最後に守屋のパソコンで、今日の写真を振り返ることになった。
一輝は緊張しながら、守屋の撮った写真を見た。自分がモデルになっていても、さすが、プロの写真家だな、と感じた。一輝の視線は不安げだが、見る者の心をさざめかせるようなものがある。しっとりとした山荘の空間と、一輝の色白さや、控えめな感じが調和している。「やっぱりきれいだな」と、佳祐が一言こぼした。一輝はさすがに赤面した。
佳祐が撮った写真は外の明るい景色の中で、リラックスした自然体の写真だった。跳ねる水しぶきや、童心にかえったような笑顔。
夕方の気配が出てきた空を見上げる、少し切なげな表情。この写真を撮った時、佳祐との時間も、もう終わりが近づいているのを感じていた。
守屋のように精巧に作られた空間の中に閉じ込められたのではなく、開放的で自然な姿が佳祐の写真にあった。
佳祐はそういう何気ない一瞬をとらえていきたいんだと感じた。当たり前だけど愛しい一瞬を。
「親父も写真館やっていたからな」
佳祐は自分の道筋を見定めるたように目を細めて呟いた。
「それが、お前らしさなのかもな」
守屋は言って「おちおちしていられないな」と眩しそうに佳祐の写真を眺めた。
帰りの電車の中。隣りに座っていて、太もも同士が触れる。一輝は気にならなかったが、佳祐は気になったようで、「ごめん、」と言って体を離した。
明日も守屋は向こうで撮影があるとのことで、東京のスタジオは佳祐が入るらしい。二人で帰路についた。
「あの写真、使われるのかな」
一輝は写真集のことを考えていた。
「イヤなら言ったほうがいい。おれが言っておこうか」
佳祐はすぐにそう返す。
「でも、せっかくプロに撮ってもらったわけだし」
一輝はどこか吹っ切れた気分だった。佳祐が思わず呟くように、「綺麗だ」と言ったので、照れつつも自信が出てきた。
「そう……」
佳祐は座席に深くもたれて、床をぼんやり眺めた。
山並みを抜け、住宅地の多い辺りに来る頃には、すっかり夜景になっていた。
「守屋さんにこんなに謝礼ももらっちゃったし。どこか付き合ってよ」
一輝は誘ってみた。佳祐は頷いた。
「もちろん、新宿で降りるか」
駅を出て目についた居酒屋に入った。
酒で口が滑らかになってきた頃、佳祐が先ほどの話を蒸し返してきた。
「やっぱり載せるのはやめたほうがいいんじゃないか」
「じゃあ、あの写真はどうするの?」
一輝は頬杖をついて、佳祐を見た。
「おれが買い取る」
「闇に葬ろうとしてるな」
「や、それは……そんなことはないけど」
と、佳祐は口ごもる。
佳祐らしからぬ歯切れの悪さが面白い。疲れたところに酒も入ってきて、一輝はからかいたくなってきた。
「別にいいんじゃない?記念にさ」
「あんなに嫌がってたのに?」
「なんか撮られてみて、熱意が伝わってきたからさ」
佳祐がビールをあおって、初めて飲んだ時みたいに苦い顔をした。
「気分良くなっちゃったの?」
「そうかも……」
一輝は目を細めて笑った。
「やめたほういいよ」
佳祐がまた苦そうにビールを飲んだ。
ふと一輝がスマホを見ると、通知画面にテキストメッセージが表示されていた。
「守屋さんから連絡きてた」
「連絡先、交換したの?」
「うん、『今日はありがとう』って」
「だめだって、返さなくていいから」
「それは失礼だろ」
「また撮りたいとか言うから。あの人こだわり始めると止まらないからさ」
佳祐はやめておけ、と顔の前で手を振った。
「……なんかおれ、強引な人に弱いんだよね」
一輝はため息をつく。
佳祐は僅かに身を乗り出すようにして言った。
「強引なのはおれだけで十分だろ」
「はは、たしかに!」
一輝はスマホ画面から顔を上げた。思ったより佳祐が真面目な顔をしている。しばし見つめ合ってしまった。
一輝は、やがて視線をそらして冗談ぽく言う。
「でも、お前も結婚するから。あと強引なのは守屋さんくらいかな」
「強引だったら誰でもいいのかよ」と佳祐が苦笑した。
「なにそれ」と一輝も笑う。
佳祐は肩の力を抜いて呟いた。
「結婚ね、できる気がしない」
「あきらめんなよ」とだけ一輝は返す。
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