第4話

 翌朝、目覚ましのアラームで起きた瞬間、まず最初にしたのは――自分の手を見ることだった。


 細い指。傷一つない甲。剣を握り潰してきたタコも、古傷もどこにもない。


(……夢じゃない)


 布団から上半身を起こすと、視界の隅に制服が見えた。


 一度畳まれて、また慌てて脱ぎ捨てられた形跡のあるブレザーとシャツ。

 ジャージのまま寝落ちした昨夜の自分に、軽く殺意がわく。


「……二周目、高校二年生。初登校、っと」


 洗面所で顔を洗い、鏡をのぞく。

 鏡の中には、十八年前と同じ――いや、そこから一日も進んでいない十七歳の神谷晴人がいた。


(中身だけ三十五歳。外見だけ十七歳。詐欺にもほどがあるな)


 自嘲しながら歯を磨き、制服に袖を通す。

 ネクタイを締める指は、思っていたより迷わなかった。体が覚えている、ってやつだ。


 リビングに出ると、母さんがいつものエプロン姿で弁当箱を詰めていた。


「あ、起きた? 大丈夫?」

「うん。たぶん。昨日はごめん」


 十八年ぶりの「昨日」が、ついさっきのことみたいに胸に残っている。


「ほんとよ。学校から電話来たとき、心臓止まるかと思ったんだから」

「二回目はないように気をつけます」

「“二回目”って言い方やめなさい」


 母さんが苦笑する。

 この空気も、匂いも、台所の雑多な音も。全部、一度失ったものだ。


 パンと目玉焼きとインスタントのスープという、いつも通りの雑な朝ごはんをかき込みながら深呼吸する。



 マンションの階段を降りて、通学路を歩く。

 見慣れたコンビニ、見慣れた公園。すれ違う制服の色も、全部知っている。


 ただ、一箇所だけ、足が自然とゆっくりになった。


 ――横断歩道。


 昨日、トラックに轢かれかけて、真っ白な空間に吹き飛ばされた場所。

 十八年前の「死にかけた場所」でもある。


 信号は、赤。

 歩行者用のランプが点滅している。


(……一応、確認しておくか)


 心の中でスイッチを押すみたいに、意識を一歩前に押し出す。


 パチッ。


 視界が一瞬暗転して、すぐに映像が流れ込んできた。


 ――青信号に変わった横断歩道。

 俺はいつも通り歩き出し、斜め前から走ってくる自転車に軽くよけられて、「すみませーん」と謝られ、「大丈夫です」で返す。


 ……以上。トラックもクラクションも、どこにもいない。


 そこで映像は途切れ、現実に戻る。

 信号が青になった。


 さっき未来視で見た通り、自転車が突っ込んできて、同じように「すみませーん」と謝られた。


「大丈夫です」


 予定通りのセリフを返しながら、胸の奥で小さく息を吐く。


(よし。トラックはいない)


 横断歩道を渡り切り、校門が見える角を曲がる。

 懐かしさを感じる校門と校舎。


 けれど、ここから先は――完全に未知だ。


 一周目の俺は、この日、この時間、この場所から先の記憶を、ほとんど持っていないのだから。



 二年一組の教室前まで来て、ドアノブに手をかける。

 クラスメイトも先生も、一周目と同じはず……なんだけど。


(……いや、一応覗いとくか)


 胃がキュッとなったので、反射的に《未来視》に逃げる。

 意識を、もう一歩だけ前に押し出す。


 パチッ。


 ――一分後の教室が見えた。


 ガヤガヤと騒がしい二年一組。

 朝のHR前、半分くらいの席が埋まっている。

 黒板には担任の癖の強い字で「一組」と書かれたまま。


 窓際二列目、後ろから三番目。そこが俺の席だ。

 そこに、俺が座っている。


 ……のはいい。問題は、その周りだ。


(……多くない?)


 自分の席の周囲に、人影が集中している。

 特に――女の子。


 黒髪ロングで、前髪をきっちり整えたクール美人。

 ハニーブラウンのゆる巻きで、明るく笑っているギャルっぽい子。

 薄茶のふわふわセミロングで、柔らかそうな笑顔の子。

 カーディガンをだぼっと羽織った、小柄なツインテール。


 全員、俺の席の周りに集まって、なにか話しかけている。

 映像の中の俺は、若干引きつった笑顔で、それに対応していた。


 一瞬で映像は途切れ、現実に引き戻される。


 目の前には、まだ誰もいない廊下と、教室のドア。


(……え? なにあれ?)


 今までの人生で、そんなモテイベ引いた覚えは一度もない。

 俺の行動次第で未来は多少は変わるはずだが――


 ベースの未来に「美少女四人囲みイベント」がある時点でおかしい。


(バグってない? このルート)


 不安と期待と、三十五歳の冷静さがごちゃ混ぜになった胃を抱えながら、ゆっくりと教室のドアを開ける。

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35歳で魔王を倒した元勇者、高校生やり直したら女神のクソ采配で魔王軍四天王がS級美少女に転生してついてきた Re.ユナ @Akariiiii

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