Ei 舞い ナハト

凛々レ縷々

Ei 舞い ナハト

 205X年、世界の人口増加はピークへ近づく。


『人の身体は殻である』そうWHOだかが言った。



 この衝撃的な発表で世界の人々を驚かせたのは想像に容易い。


 もし当時、わたしがこの発表を直接聞いていたとしても何の驚きも感じない。それどころか今更なにをと思うほどであった。この世界には97億人もの人がいる。その事実の方に驚きを感じたほどだ。


 誰一人として会ったことはないのに……。



 きっと世界が広すぎるからなのだろうと思う。それとも未だから出たことがないからかも知れない。偶然にも近くに誰かが居たという体験をした人もいるが希で、殆どの人は誰とも会うことはない。だから、わたしが特別じゃないと分かって貰える筈。



 自分のことはわかる、それ以外のことは知らない。


 言葉というのは分からない。いらない。伝えることもない。


 食べる必要もないから排泄もしない。


 何より二酸化炭素も出さない。



 こんなので生命というのだから不思議だ。種だと思われそうだが土に埋まるほどでもない。何より97億人が土に埋まっているのだとすると世界は埋葬するために存在していることになる。


 だから、わたしは『殻』に包まれたまま化石にもならずに生きている希有な存在。この真核細胞に浸漬した一粒の構成体となって閉じ籠もり、外界を遮断した世界に快楽さえ感じている。この体験をしてしまうと、他者との接触に畏怖の念を抱きはじめてしまい、果てはずっとこの殻に閉じ籠もっていたいとさえ感ずる。


「 ………… 」


 ブボワゥン ブボワゥン


 音が聞こえる。きっと聞こえているんじゃなく、振動し伝わってくる。何とも重くて揺れるように深くから響く。それが日々続くのは世界が五月蠅くて、騒がしいからかもしれない。ここを出てはいけない。



 世界の情勢はこの殻の中から受信し、交信はしない。


 それは望まない、不要だ。


 この細胞膜から出ていく必要はない、ミトコンドリアだってそうしている。



 多くのことを考える力は無い。けれども、しかし、不安はある。無精卵のように殻は割れないままなのだろうか? 不安を払拭しようと抗い、虫のように単為生殖たんいせいしょくをすることは無いと信じている自分がいる。WHOだかが言うように、この身体が殻だとするならば、何れ突き破って生命が誕生してしまうのだろうか?



 考えると怖くてその日から、わたしは眠れなくなってしまった。

 身体が割れて、中から無数の幼体が飛び出すのだろうか? それとも一つだけなのだろうか?


 沢山飛び出すのと、一つだけ飛び出すのをどちらか選べと問われれば無論、一つにして欲しい。沢山飛び出すのは止めて欲しい。結果が同じであっても。


 わたしは身体が割れて幼体が出てこない方法を考えることにした。いや、正確にはそれしか考えられなくなってしまったというのが正しい。自分との戦いだった。この殻を破らせるということは敗れることと同じ。そこに自分がいなくなってしまうのと同じ。


 今まで気付かなかったがは甲殻類なのだろうか。この殻が外骨格であるのならばきっとそうだ。疑う余地はない。甲殻の内側に存在する生命なら身体は殻で間違いない。


 だが違う、疑心暗鬼だ。どうやら指や足は節足ではなさそう。安堵で溜め息がでそうになる。あくまでそんな気がするだけで時期尚早だろう。ぬか喜びするほど単純でもない。


 そんな答えのない生活にも終わりというのは何れ訪れる。この安住の地が破られる日が訪れてしまうのだ。物事には始まりと終わりがある。その終わりに殻が割れてしまう。それが誕生というのなら、わたしの存在は何なのだろう。


 いつの間にか、わたしは外界でこの身を守れるか不安と恐怖にさいなまれる。他人との接触、摩擦、生存競争に怯えていることに気づく。それは安住の地を追われた者のように。


 幸いこの生命線とでも言うべき接続端子を切り離せば、ここでの記憶が全て消されて心配事はなくなるという。新しい世界が待っている。恐ろしいのか、素晴らしいのか今は分からない。



 こうなって欲しい、ああなって欲しいと願い続けている。


 そうであって欲しいと。


 おおくの期待が込められている。


 希望といった方が良いのかもしれない。



 今、端子が抜かれた ――――



 もうここで生活した記憶は全て綺麗にクリアされた。


 何も覚えていない、真っさらだ。


 生命が誕生した瞬間、産声を上げた瞬間に。


 願いよりも、良かったと、ありがとうと声があがる。


 誕生の日を祝う。


 また卵からはじめよう。


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