第2話:特別ではない俺たち

「……おい、動くな。スキャン中だ」


 呆然と立ち尽くす俺の前に、パトライトを回転させた魔導二輪車が滑り込んできた。

 降りてきたのは、光沢のある制服に身を包んだエルフの女性だった。

背中には「広域治安維持局」の文字。彼女は手慣れた動作で水晶端末を俺にかざす。


「未登録の生体反応。空間歪曲の残留魔力あり。……よし、当たりね」

「あ、あの……俺は……」

「わかってるわ、転生者さん。まずは深呼吸。混乱してるでしょうけど、ここは安全よ。今から『異世界社会復帰機構』の分室まで案内するから。はい、これ、低血糖防止の魔導飴。舐めて」


 差し出されたのは、どこにでもあるイチゴ味の飴だった。

 神として崇められるどころか、迷子扱いだ。

 俺は屈辱に震えながらも、他にどうしようもなく、彼女の操る二輪車のサイドカーに押し込められた。


 連れて行かれたのは、王都の隅にある役所のような建物だった。

 清潔なロビーには、同じような境遇らしき連中が数人、パイプ椅子に座って待たされている。


「お次の方、佐藤カズヤさん。3番窓口へどうぞー」


 事務的な声に呼ばれ、俺は重い足取りで窓口へ向かった。

 担当者は、眼鏡をかけた中年人間の男性だった。彼は俺が座るなり、膨大な書類の束を整理しながら口を開く。


「はい、佐藤さんですね。まずは住民登録と、ギフトの申告をお願いします。ああ、嘘を言っても無駄ですよ。鑑定魔導具で一発でバレますから。正直に言ってください。それがあなたの、この世界での『ランク』に直結しますからね」


「ランク……」

 俺は唾を飲み込み、胸を張った。「【現代知識のライブラリ】だ。あらゆる科学技術、経済理論を網羅している。この国の発展に、計り知れない利益をもたらすはずだ」


 担当者は、カチャカチャとキーボードを叩く手を止め、眼鏡を押し上げた。

 その目は、ひどく冷めていた。


「あー……『ライブラリ系』ですか。今月で12人目ですね。佐藤さん、一応言っておきますが、それ単体では『非実用スキル』に分類されます。今の異世界は、知識そのものより、それを魔導回路に落とし込む実務経験の方が重要なんです。……大学中退、事務職経験半年。正直、厳しいですね」


「なっ……! 知識があるんだぞ!? 蒸気機関だって、電気の仕組みだって……!」


「それ、小学校の理科でやりますよ」

 担当者は溜息をつき、横の個室を指差した。

「……隣を見てください。あなたと同時にあっちの丘に転移してきた、一条いちじょうさんという方です」


 パーティションの向こう側。

 そこには、俺と同年代の男が、数人のスーツ姿の男女に囲まれて握手をしていた。


「一条さんは元・外科医で、さらに趣味で回路設計をしていたそうです。彼の持つ【精密治癒】のギフトと現代医学の知識は、我が国の魔導医療を数十年進めると期待されています。彼は今、国立病院の特別顧問として年俸一億ルピで迎えられることが決まりました」


「…………」


「翻って、佐藤さん。あなたは……そうですね。現状、即戦力として紹介できる職場はありません。まずはこの『再教育キャンプ』で、この世界の基礎マナーと初歩魔導を学んでいただきます。月々の生活保護費は出ますが、それだけではまともな飯は食えませんよ」


 一条という男が、晴れやかな顔で部屋を出ていく。

 彼は俺と目が合うと、少しだけ申し訳なさそうに会釈をして去っていった。

 その謙虚さが、何よりも俺を惨めにさせた。


「ふざけるな……! なんで俺が……! 俺の方がアイツより先に……!」

「佐藤さん、声を荒らげないでください。ここは公共の場です。それに、一条さんはあなたのことを『一緒に頑張りましょう』と気遣っていましたよ」


 担当者の声から、丁寧さが消えた。

 

「態度を改めないなら、支援ランクを下げざるを得ません。この世界は、前向きに努力する転生者には寛容ですが、過去の栄光……それも自分の実力でもない知識に縋って威張るだけの人間には、ひどく冷たい場所ですよ」


 俺は、何も言い返せなかった。

 前世で、SNSの匿名性の陰から「構造的欠陥」だの「低能」だのと吐き捨てていた言葉が、ブーメランのように自分に突き刺さる。


「……さて、今のあなたに紹介できる、宿舎付きの『現場仕事』が一つだけあります。人手不足でね、種族を問わず、体力と根気さえあれば誰でも歓迎だそうです」


 差し出された紹介状。

 そこには、俺がかつて最も見下していた「現場作業」の文字が並んでいた。


「……嫌だ。俺は、もっとホワイトな……知的な仕事を……」

「なら、一文無しで外に放り出されるだけですが。……どうします?」


 窓口の男の瞳に、俺は映っていなかった。

 ただの、処理すべきタスクの一つとして扱われている。


 俺は震える手で、その紙を掴んだ。

 

 翌日。

 俺が辿り着いたのは、華やかな大通りからは想像もつかない、悪臭の漂う下水道の入り口だった。


「――おい、お前が新しい『新入り』か?」


 泥だらけの長靴を履き、耳の欠けた巨大な狼の獣人が、面倒そうに俺を見下ろした。

 

「……ああ。佐藤、です」

「佐藤か。いいか、ここではお前の前世が王様だろうが天才だろうが関係ねえ。ドブに落ちれば、みんな同じ汚物まみれだ。……ほら、シャベルを持て。仕事だ」


 俺の二度目の人生は、最底辺の泥をさらう音と共に、幕を開けた。

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