異世界、現代知識は既にコモディティ化していました。~チートだと思った俺の知恵は「100年前の教科書」扱い~

入峰宗慶

第1話:二度目のログアウト

 スマホの液晶が放つブルーライトが、乾いた網膜に刺さる。

 深夜二時。六畳一間のアパートには、コンビニの袋がカサつく音と、遠くを走る車の走行音だけが響いていた。


 俺――佐藤(さとう)カズヤは、布団に丸まりながら、慣れた手つきでSNSのタイムラインをスクロールする。

 画面の中では、今日もどこかの誰かが、キラキラした日常や、もっともらしい成功論を垂れ流している。


『結局、今の日本の停滞は構造的な問題だよね。高学歴な連中がシステムに従順なだけの羊でいる限り、この国に未来はない。独学で本質を追う層がもっと評価されるべき。』


 自分の投稿に、一つ、二つと「いいね」がつく。

 その通知を見るたびに、肺の奥に溜まった澱少しだけ軽くなる気がした。


 本当なら、俺はこんな場所にいるはずじゃなかった。

 半年前に辞めた会社の上司は、俺の効率的な提案を「生意気だ」と切り捨てた。大学を中退したのは、教授たちが教壇で語る古臭い知識に、俺の時間がもったいないと感じたからだ。


 俺は周囲をバカにしていたし、周囲も俺を疎んでいた。

 けれど、それは俺が「この社会に適応しすぎた無能」とは違う、特別な視点を持っているからだ。そう信じなければ、明日、この部屋から一歩も外に出られない気がしていた。


「……腹減ったな」


 腹の虫に急かされ、俺は渋々起き上がった。

 スウェットのまま、サンダルを突っ掛けて外に出る。

 夜の空気は冷たく、街灯に照らされたアスファルトがひどく無機質に見えた。


 もし、今ここで死んだらどうなるんだろう。

 ネットのまとめサイトでよく見る、異世界転生ってやつが俺に起きないだろうか。

 歴史の知識も、現代の技術の理屈も、それなりに頭には入っている。

 火薬の配合、蒸気機関の仕組み、マヨネーズの作り方。

 この「クソゲー」な現実では使い道のない知識も、中世レベルの世界なら、俺を神に変えてくれるはずだ。


 そんな妄想をしていた、その時だった。


 交差点の向こう側から、暴力的なほどの光が迫ってきた。

 ブレーキの絶叫。

 身体が宙に浮く、奇妙な浮遊感。

 不思議と痛みはなかった。

 ただ、これでようやく、この退屈で不条理な世界から「ログアウト」できるんだという、安堵にも似た感情が胸をかすめた。


 気がつくと、俺は柔らかい光のなかにいた。


『……お疲れ様。あなたの人生は、ここで一度終了です』


 声が聞こえた。

 姿は見えないが、ひどく事務的で、けれど慈愛に満ちた女性の声。

 俺は直感的に理解した。これは、選ばれたんだ、と。


「……異世界、ってやつに行けるのか?」

『はい。あなたの魂には、再挑戦の権利があります。一つだけ、特別な力……ギフトを授けましょう』


 きた。

 俺は心の中でガッツポーズをした。

 ここで最強の剣術だの、膨大な魔力だのを欲しがるのは素人だ。

 俺は、この「脳」を活かして、文明そのものを支配したい。


「現代のあらゆる知識を、自由に取り出せる力がほしい」

『……知識、ですか?』

「そうだ。この世界の歴史、科学、経済……すべてのデータにアクセスできる力だ。それがあれば、俺はどんな困難も乗り越えられる」


 少しの沈黙の後、声は淡々と答えた。


『わかりました。スキル【現代知識のライブラリ】を。……どうか、新しい世界を大切に生きてください』


 再び光が強まり、俺の意識はホワイトアウトした。


 ――頬を撫でる、心地よい風。


 ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに青空が広がっていた。

 身体を起こすと、カサカサと草の擦れる音がする。

 周囲はなだらかな丘陵地帯で、遠くにはファンタジー映画で見たような、巨大な石造りの城下町が見えた。


「……まじかよ。本当に来たんだ」


 俺は自分の手を見る。

 指先まで、力がみなぎっている気がする。

 試しに、頭の中でスキルを念じてみた。

(……蒸気機関の設計図)

 脳内の暗闇に、緻密な図面が浮かび上がる。ボイラーの構造、ピストンの連動、すべてが手に取るようにわかる。


「勝った……」


 俺は低く笑った。

 この世界の人々は、火を起こすのに魔法を使っているんだろう。

 そこに俺が「科学」を持ち込めば、世界はひっくり返る。

 王たちに跪かれ、美少女たちに囲まれ、俺という天才を正当に評価する世界。

 最高の人生が、今、ここから始まるんだ。


 俺は意気揚々と、街へと続く石畳の道を歩き出した。

 道端で土をいじっている農夫がいたら、まずは効率的な農法でも教えてやろう。

 そんなことを考えながら、数十分ほど歩いた時だった。


「……ん?」


 違和感の正体は、道だった。

 石畳が、あまりに整いすぎている。

 ガタつきもなければ、泥跳ねもない。まるで、最新の土木技術で舗装されたかのような滑らかさ。


 やがて、街の巨大な正門に到着した俺は、そこで絶句した。


「……なんだ、あれ……」


 城壁のすぐ脇、巨大な石壁に、巨大な「光る板」がはめ込まれていた。

 それは、どう見ても広告用のデジタルサイネージだった。


『――祝・王都直通! 魔導リニア開通。チケット予約は各支部の端末から!』

『――獣人の方向け:体毛ケアの魔法エステ「モフリス」体験キャンペーン中!』


 広告の端では、魔法の杖を持った、現代風に垢抜けたアイドルらしき女の子がウィンクしている。

 

 呆然とする俺の頭上を、凄まじい風切り音が通り過ぎた。

 見上げれば、クリスタルのような翼を広げた巨大な飛行艇が、幾何学的な航路を描いて雲の間へ消えていく。


 門をくぐる人々は、マントや鎧を纏ってはいるが、その足取りはひどく現代的だ。

 一人の商人が、門番に「水晶の板」を提示した。


『――ピッ。スキャン完了。入管記録、更新しました。いってらっしゃいませ。』


 無機質な、聞き覚えのある電子音が石造りの門に響き渡る。

 

 俺は、膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。

 脳内の【現代知識のライブラリ】を、震える指先(イメージ)で操作する。

 蒸気機関……内燃機関……活版印刷……。

 

 検索結果の隅に、小さな、けれど致命的な「注釈」が表示されているのに気づいた。


『※これらの技術は、現地の魔導文明において「100年以上前に解決済み」または「魔導代替技術により旧式化」しています。』


 さらに、掲示板の端にある立て看板が、追い打ちをかけるように俺の視界に入ってきた。


『【警告】新規転生者の方へ

 許可なく「マヨネーズ」を販売することは、食品衛生法および意匠権の侵害にあたります。

 また「俺がこの世界を変えてやる」等の発言は、近隣住民への騒音迷惑となる恐れがあります。

 まずは落ち着いて、最寄りの「転生者更生支援センター」へ相談にお越しください。

 ――行政法人・異世界社会復帰機構』


 空っぽだった。

 俺が握りしめていた「最強の武器」は、この世界では、小学生の教科書に載っている使い古された歴史の一部に過ぎなかった。


 誰も俺を見ない。

 誰も俺を特別だとは思わない。

 

 俺は、ただの「流行遅れの知識を持った、無職の不審者」として、眩しすぎる異世界の街角に立ち尽くしていた。

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