第4話 サービス開始
極彩色の星々が見守る中で二人の宇宙人が握手を交わしたその日から、約二週間後。
――六月二十日。土曜日の午前九時。
『アナザーワールド』がサービス開始を迎えた。
開発会社が絡んでいる都合で、日本・アメリカ・中国の三か国が諸外国に先んじてサービスが始まる。既に市場に仮装通貨『メルフロス』は出回っており、日付が変わった時点では既にストアにアプリケーションが並んでいた。起動するとログイン画面で待機させられることになるが、一足早くキャラクタークリエイトをすることができるらしく、八時に起床した翡翠は五十分かけて満足のできる仕上がりでアバターを作り終え、待機エリアとは思えないほど精巧に作り込まれた喫茶店の中で、瞑想しながら時を待つ。ブラインドの向こうから差し込む陽射しと、本物と遜色ない聞こえ方のBGMに、手元を照らす暖色の照明。珈琲の香りに、本物と遜色ないような手触りのレザーのソファ。手元の液晶パネルには商品が表示されており、ボタンを押すと、直後、それが厨房からアニメ調のアバターのウェイトレスによって配膳された。
そのモデリングは翡翠が今までプレイしたどのゲームよりも精巧で、動きに合わせて揺れる髪は本物をそのまま抜き取ったような様子で、目を瞑らなければ膨れ上がった胸の期待が自分を呑み込んでしまうのではないかと思うほど、高揚に胸が高鳴る。
――そして。
【サービスが開始しました。サーバーにログインします。】
視界に表示されたポップアップに書かれた文字に、翡翠の――ジェイドの心臓がバクンと一際大きく跳ねる。期待に期待を膨らませ続けたゲームを始める時の、あの待ちきれない感情。どうしようもない焦りに手が汗を握る感触と共に視界が暗転し、次の瞬間。
【アナザーワールドへようこそ】
ポップアップの文字が歓迎に書き換わり、喧騒が身体を包み込んだ。
肉体は、気付けば木造建築のホテルのような一室にあった。本物と比べても遜色ないリアリティを醸し出すベッドやソファ。サイドテーブルの上の紅茶は湯気を上らせ、茶葉の香りも。視界の右下にはアバターのHPとSPを示す緑と青の半透明のバー。
間違いなくここは全ゲーマーが待望したもう一つの世界であり、それに歓喜する者達の産声のような雄叫びが別室から聞こえてくるのも道理というものだ。恐らく、設定的に一プレイヤーに一つの部屋が貸し与えられ、超高階層に物理法則を無視した大規模なホテルになって、更にそれがサーバーの数だけ存在する、といった具合なのだろう。
ジェイドも思わず拳を握り締め、この世界を堪能しようとして――
【メインクエスト:派遣された冒険者】
視界の左上にある小さな白いアイコンを囲む円形インジケーターがグルリと光って一周したかと思うと、そんな文章が視界上部に表示された。その文字でハッと我に返るジェイド。
楽しみたい気持ちは充分にあるが、この世界には稼ぎに来たのだ。
そうなると当然、金の鉱脈には誰よりも早く入るべきであり、故にジェイドは急いで虚空に指を滑らせる。視界上部右側で摘まむように人差し指と親指を合わせ、下にスライド。表示されるのは洗練されたUIのメニュー画面。一切迷うことも無く『クァンタム・クラウン』で登録しているフレンド一覧を呼び出し、ログイン中の『Garnet』にフレンド申請を送る。
直後、承認。ほぼ同時にパーティ申請を送りながら、ジェイドは喧騒の消えないホテルの一室を飛び出し、無限にも思えるような廊下に響き渡る数多のプレイヤーの歓声を聞きながら駆け出した。この歓声の一つ一つが、この大作ゲームのサービス開始を待望したプレイヤーだ。そう思うと形容しがたい感情が胸の奥から湧き上がる。
絨毯を敷いた廊下が靴を押し返す。足音が反響する。リアルな木造の香り。光。
長い廊下を経て一番乗りでエレベーターに飛び乗ったジェイドは、誰かを待つことなく急いでクエストマーカーが付いている一階を連打。目的地までの進路をパーティクルで示してくれる親切設計らしく、迷うことは無い。が、ボタンを押した直後に二十八階から一階に着いたのには驚かされた。なるほど、無駄な待ち時間も割愛してくれるらしい。
「――ジェイドか⁉ 今猛烈に感動してるところだが、早い内に合流しとこうぜ!」
いつの間にかパーティ申請を受諾していたガーネットの感動の冷めやらない声がボイスチャット経由で届く。どうやらパーティメンバーとは自動的に音声が通じ、当然、相互にオフにすることもできる上、近付いた場合には肉声で会話できるという仕様になっているらしい。
表示されたヘルプを流し読んだジェイドは、大理石の床でできたホテルエントランスのフロントスタッフに一礼され、ドアマンに扉を開けてもらいながら返す。
「パーティを組んだらサーバーが自動で合うらしい! 取り敢えずホテルを出ろ!」
言いながら外に出ると――青々とした空がジェイドを迎えてくれた。
目を焼くような眩しい日差しと、悠々、空を泳ぐ白い雲。石畳の大通りには西洋風の建物が無数に立ち並び、様々な格好をしたNPCがまるで一つの命のように行き交っている。時折、車が走っているがその数は多くない。産業革命前後といったところか。遠くには石炭なのか何なのか、物を燃やして上がっているのだろう霧の如き煙。
――《産業都市ロベニール》。
小さく洒落たフォントのエリア名が視界の片隅に表示され、暫し、呆然と立ち尽くす。
すると、気付けば隣に一人の男が立っていた。背丈は随分と高く見上げるほどだ。顔立ちは洋画から引っ張ってきたとでも言いたげな彫りの深い美形で、メタリゴナファ星人とは比べるまでもない金髪の優男だ。纏う服装は初期設定の『来歴』に起因するのだが、『剣客』辺りでも選んだのだろうか。如何にも剣士然とした、鎧を剥がした無難な軽装だった。
彼の頭上に表示されているプレイヤーネームは『
パーティメンバーを示す青文字だ。
ジェイドと同じように景観に見惚れていた彼は、やがて視線をこちらに向ける。
「すげーな、今まで数十とVRゲームに触ってきたが、ここまでの作り込みは……」
距離が近付いたが故に肉声で聞こえたその声は、途中で驚きと共に途切れた。
こちらを見たガーネットはあんぐりと口を開けて絶句し、目を丸くしている。
そんな彼の柘榴石のような瞳に映るのは――女だった。女性のアバターだ。
真っ黒な髪は太い三つ編みで一つ結びにされて、その背はガーネットより二十センチは低いだろう。顔立ちはどこか儚さを醸し出すものの、同時に鋭さも併せ持っている。
そしてその華奢な身体を覆うのは、黒いセーラー服。
選択した来歴は『女学生』であり、およそ冒険者には相応しくない。
「――こりゃまた、随分と素敵なアバターを作り込んだもんだな」
やれやれと苦笑するガーネット。『エリブラ』では分からないような表情の機微。
ジェイドもその端整な女顔でニヤリと笑うと、控えめな胸を押さえて返す。
「可愛いだろ。俺の初恋、最推しギャルゲキャラの『
「そうだな、中身がお前でなければ素直に可愛いと言えたんだが」
「ここまで自由度の高いキャラクリなら、作らなきゃ彼女に失礼ってもんだ」
中学時代にプレイした全年齢名作VRギャルゲ『ドキドキ!純愛シミュレーション~平凡な僕がクラスのあの子に告白されちゃった⁉~』の専用ルートを持たないサブヒロイン、橋田桜子。多感な年頃だった翡翠は初めて彼女と出会った際に一目惚れをして、そして攻略ルートを持たないことに絶望して、以降、誰に頼まれるでもなく宣伝大使の如く橋田桜子のキャラクリを繰り返して存在を広め、専用ルート付きの続編が出るのを待望しているという事情があった。
「――なんて話してる時間が勿体ないな。行くぞ」
今時、VRで男性が女性アバターを使うのも、その逆も珍しいことではない。
ふっと笑って切り替えたガーネットは、クエストマーカーが示す先、『冒険者ギルド』の方を見て頷く。それから、一斉に走り出した。
「ああ、金の鉱脈を掘り尽くそう」
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