第2話 巌流島の戦い
「それを言ったら
「口も持たない産廃種族が! ぎゃあぎゃあ喚くな!」
刹那、橋板の木材が爆発した。
そう錯覚するほどの速度で、ガーネットがジェイドの目の前に肉薄した。それを認識した瞬間には既に神速の片手剣が横薙ぎにジェイドの首を狙っていた。だが、軌道が素直だ。
ふっと息を吐いたジェイドは左手の片手剣を軌道に添え、甲高い金属音と二条の銀光が極彩色の星の下、薄暗い橋の上で飛び散る。微かに散った火花でお互いの驚きの顔が照らされた。
――認めよう。認めざるを得ない。単純な
最強を自負するだけはある。正直なところ、今の一撃で負けを予感させられた。
しかし、そんな冷や汗をかくジェイドに対して、ガーネットの方も今の一瞬で身体から全ての油断を拭い去り、弓を引き絞るように集中力と緊張を高まらせ、隙を消した。
『エイリアン・ブラザーズ』はVRMMOの中では珍しく、所謂『スキル』や『魔法』のようなものを持たない。戦闘のダメージや動きは原則として当時の限界を追求した物理エンジンから為される運動エネルギーによって計算され、あるのはただ、種族間で異なる成長を遂げるステータスと、種族ごとの身体的特徴。そして、種族による装備制限の存在しない無数の装備。
所謂、『ビルド』と呼ばれる『自分だけの個性的な育成方針』といったゲーマーの浪漫を廃し、ただ、一つの世界として戦い方の完全な自由を授けた世界。故に、一度剣を交えれば、相手がその自由の中でどのような腕を磨き上げてきたかが分かるというもの。
手練れだ。お互いにそう確信した。
瞬間、ジェイドは右手のスペースガンを
「……これを避けんのかよ」
唖然とするジェイドの目の前で、跳躍をして弾丸を躱したガーネットが身を丸める。
そして、開放する勢いに乗せて、頭の触手を十一方向からジェイドへと叩き付けた。
当然ながら黙って食らってやる道理が無い。鋭く身を引いて回避しようとして――僅かに切っ先が掠ったせいか、距離を置いたジェイドの視界の端でHPバーが数パーセントほど削れる。
「そっちこそ、何だ、今の早撃ちは。見たことないぞ」
唖然とするガーネット。ジェイドは先手を貰った悔しさを噛み締めながら銃を指先で回す。
「……小技だよ。このゲームのエイムアシストは『距離に比例して強くなる』。そんで、『アシストは攻撃中の対象に対して作用する』。つまり、『至近距離で白刃戦をしている最中、スペースガンを抜かずに引き金を引くとゲームが許す最速の動作で早撃ちをする』んだ」
――と、自前の攻略サイトに書いているのにそのページの閲覧数は累計で五十件程度だ。
泣きたくなりながら淡々と仕様を説明すると、ガーネットは咎めるでも驚くでもなく、ただ、感心したようにジッとジェイドを見詰めて――それから、片手剣を構えた。
「久しぶりに、歯ごたえのある相手と戦えそうだ」
「こっちの台詞だ。認めるよ、ガーネット。お前は今までで最強のボスだ」
「お褒めに与り光栄だ。ルールは無用でいいか?」
「アイテムは禁止でいいだろ。じゃないと朝まで付き合うことになりそうだ」
このゲームの回復アイテムはクールタイムが設定されていない。理由は単純で、戦争による多数対多数があるため瞬間的な被弾を想定していることと、それでいて難易度維持のためにそもそも回復アイテムの入手手段が貴重であることが挙げられる。しかしながら、何年もこのゲームを続けていれば回復アイテムは蓄積されていき、逃げ回りながらポーションを飲むだけで、丸一日は戦い続けられる可能性すらあるのが、今のこのゲーム。
もっとも、それは彼我の力量差が均衡している場合にのみあり得る話だが。
「了解。それじゃあ、いくぞ――」
直後、両者同時に橋を蹴って再び剣を交える。人間離れした勢いで繰り出されるガーネットの剣は、速度、そして威力共にジェイドの短剣を大きく上回る。故に、ジェイドの短剣は攻撃ではなく、あくまでもその全てを凌ぐために振る。繰り出される幾重もの神速の斬撃を、しかしジェイドは軽量武器故の素早く無駄のない動作で逸らし、躱す。
合計八度の斬撃を全て紙一重で弾き逸らし、淡い火花が互いの顔を照らす。
そして、九度目の剣を逸らした時だった。
――崩れた。
少し勢いを乗せ過ぎたか、ガーネットの体勢が極僅かに乱れる。そこに、本物の火花を見せてやると吠えるようなスペースガンの早撃ち。
躱せるような体勢ではない。今度こそ決まったか――そう確信した次の瞬間。
ガーネットの頭部に生えている触手が凄まじい速度で唸ったかと思うと、亜音速でスペースガンのエネルギー弾を受け止めた。肉の焼け焦げる香りと皮膚の蒸発する音。しかし胴体に命中した時とは比べるまでもなく短いガーネットのHPの削り具合。
そして、ジェイドが怯んだ束の間に、ガーネットの触手の残る十本が束になる。極太の丸太のように纏まったそれらは、風切り音を上げながらジェイドの右脇腹を抉ろうとして――紙一重で仰け反るように膝を折って身を屈ませたジェイドは鼻先を掠める焦げた触手の香りに顔を歪めながら、身を起こす勢いで跳ね上がって、追撃の片手剣を靴底に掠め取る。
そして驚愕に強張ったガーネットの顔面を、身を翻す勢いを乗せて思い切り蹴り付けた。
炸裂音と共にガーネットの身体が大きく後方に吹き飛び、ようやくまともなダメージ。
「完全に決まったと思ったんだけどなァ!」
橋桁に靴を滑らせながら、何が楽しいのか声高に吠えるガーネット。
対するジェイドも冷や汗と共に肩を揺すり、可笑しそうに叫び返す。
「そりゃこっちの台詞だ! 何だよ、その触手。R18の後にGが付くじゃねえか!」
『エイリアン・ブラザーズ』は非常に練られた世界観と、複数人の協力を仰がなければ押さえきれない程のビルド数が最大の魅力だ。当然ながら、個人で攻略サイトを運営しているジェイドは、最も不人気なメタリゴナファ星人の触手の能力を知らない。
すると、ガーネットは「ふっふっふ」と芝居がかった雰囲気で不敵に笑いながら剣を構えて触手を揺らし、ジェイドはそれを受けて短剣を握り直して身を深く沈める。
両者、同時に疾走。そして中間地点で凄絶な金属音が炸裂し、火花が橋を彩った。
「お前、メタリゴナファ星人の特徴を知らないのか⁉」
剣戟の最中に随分と楽しそうなガーネット。ジェイドは鋭い太刀筋と雑談に軽々応じる。
「悪いな、過疎化後のアップデートで追加された不人気種族には疎くて!」
ついでに言うと、過疎化が進んできた頃の追加種族故に情報量も足りていない。
「なら教えてやるよ! いいか、初期状態のメタリゴナファ星人は最弱で没個性。ただし、図鑑に載っているメタリゴナファ星人のプロフィール――」
「――雑食だろ? そんで、『食事による強化の恩恵を受けやすい』だ」
何となく記憶を辿ったジェイドが話を継ぐと、「詳しいな」と嬉しそうだ。
そして嬉しさついでに弾丸と見紛うような、正確で凄まじい速度の刺突がジェイドの肩口を掠める。ミリ単位で削れるHPバーには目もくれず、ジェイドは反撃に腕をスペースガンの銃床で叩いた。どちらも牽制程度にしかならない、僅かな削り合い。
「その通り! 鉤爪のような手で食べ物を絞って目から注ぐ! これが俺達の食事だ!」
「だが料理システムが実装される前にアップデートは終わっただろ⁉ しかも辛うじてクエスト配布される料理ってのも大抵は時間制限付きのバフ効果だ! 少なくとも俺の知っているメタリゴナファ星人は、そんな趣味の悪い触手を頭からブラブラさせてないんだが」
鋭いガーネットの蹴りがジェイドの腹部を穿ち、距離が空く。
この距離は銃火器の独擅場だ。ジェイドは吹き飛ばされながら驚異的な集中力で引き金を六回引く。両脚に二発と頭部に二発、両肩に二発。しかし、ガーネットは鋭く駆けながら亜音速のエネルギー弾を最小限の動きで躱して目の前に。そして大きく足を引いて、大袈裟な蹴りの構えを見せた。――露骨過ぎる。そう思いながらカウンターに短剣を構えようとした瞬間、凄まじい速度で触手が五本唸り――その手から武器が弾き落された。
直後、頭上から垂直に振り下ろすように回転を加えた蹴りが降り注ぎ、ジェイドの脳天を叩く。一気に二割のHPが削られ、そして歪んだ視界に
ジェイドの首を目掛けて片手剣が横一文字の銀閃を瞬かせた。
飛散する緑の血液。紙をハサミで切るような、宇宙人の皮膚が破れる不愉快な音。
両者の間には紙一重で間に合ったジェイドの右手が舞っていた。空間を泳ぐ金魚のように、カエルのような手が血の尾ひれを付けて揺蕩っている。勝利を確信するガーネットと、敗北を予感するジェイド。欠損部位の治療はポーションでは不可能だ。故にこの戦闘中、この右手が戻ることはなく――次の瞬間には、ジェイドは左手だけで彼に勝つ手を考え始めていた。
「
その思考を遮るように、ガーネットが唐突にそう呟いた。
一瞬、何を言っているのかを理解し損ねてジェイドが「は?」と間抜けな声を上げる。
するとガーネットは勝ちを確信して肩の力を抜きながら、剣の切っ先でジェイドを指す。
「メタリゴナファ星人は殺した相手を捕食する。『エイリアン・ブラザーズ』に実装された全種族で、多分、唯一、PKによって独自経験値を獲得できる種族だ」
ジェイドは驚きに停止しかけた頭脳を慌てて動かし、手の無い手首で口を押さえる。
メタリゴナファ星人の実装は過疎化した後だ。当然、その頃には大半の古参プレイヤーが高レベルになっている。そして、このゲームは別のアバター間でレベルや資源を共有しない。何より、メタリゴナファ星人は没個性でアップデートの割を食った産廃種族だ。それらの事実を一つに結ぶと、今まで、その種族でプレイヤーキルを試した人間は、非常に限られている。
故に、それは彼しか知らない事実なのかもしれない。
「……殺した数に応じて新しく触手が生えてくる、ってところか?」
仮説を提示すると、ガーネットは鋭利な爪でジェイドを指しながら大きく頷いた。
「ご明察――二の乗数で一本ずつ増えていく」
「なら、二の十一乗……二千人以上はキルしてるってことか。道理で手強い訳だ」
『エイリアン・ブラザーズ』のサービス開始から既に十年が経過しようとしている。サービス開始時から毎日一人はキルしていても充分に達成できる、現実離れした現実的な人数だ。
そんな相手が、種族特有の強力な『特徴』である触手を持っている。
なるほど、これはいよいよジェイドが今までプレイしたあらゆるゲームで最も強力なボスかもしれない。特に――デスペナルティを受けている気配が無いのが異常だ。このゲームでは
「お前、今まで、無敗か?」
左手のナイフ一本で戦うことになる。故にジェイドは深く身を屈めて構えつつ、問う。
それに呼応するようにガーネットは幾つもの触手をうねらせ、片手剣の切っ先を爪で撫でた。
「ああ、無敗だ」
「上等」――問答は終わり、二人は同時に駆け出す。
ガーネットの眼前まで一気に肉薄したジェイドは、今度は先手を打って刃を彼の眼球に走らせる。当然、攻撃に構えていた片手剣でガーネットはそれを弾き、
先程まではガーネットの攻撃をナイフで捌いて、カウンターにスペースガンという受け身のスタイルだったが、片手が消えた今、このナイフ一つで残りHP七割を削り切る必要がある。
――間隙を縫うようにガーネットが片手剣をどうにか攻撃の隙に差し込もうとするが、ジェイドがそれを最小限の動きで逸らして捌き、そして彼の頭部を狙って刺突を繰り出す。すると無法とも思えるような動きで一部の触手が即座にそれを防ぎ、残りがジェイドを突き刺そうと吠えるように降り注いでくるが――それを背中で掠め取りながら避け、足下に屈み込む。
そして、振り下ろされた触手の数々を尻目に見ながら、ぼそりと呟いた。
「やっぱり――か」
無敵に思われる十一本の触手。ようやくそこに活路が見えた。
そんなジェイドの背中に振り下ろされる漆黒の剣。しかし、ジェイドは失血中の右手首をドチュ、と橋桁に突き立てると、ブレイクダンスの要領で背中側に回る。
「どうした! やっぱり俺には勝てねぇってか⁉」
「ああそうだ。お前は『やっぱり俺には勝てねぇ』よ」
ニヤリと言い返してやると、何故だかガーネットは嬉しそうに「ほざけ!」と叫んで身を翻す勢いを乗せ、剣で横一閃。警戒していたものの、予想を遥かに上回る反応速度に面食らいながらジェイドは短剣でそれを受け止めつつ、ダメージを殺すために攻撃の方向へ自分で吹っ飛ぶ。物理エンジンが『攻撃を受け止めた』と判定したらしく、削りダメージはゼロ。
橋から道路に出たジェイドは、着地すると同時に足下の自分の影が膨れ上がるのを見る。
頭上。極彩色の星を逆光にメドゥーサの如き触手を泳がせたガーネットは、弓を絞るように身を引く。そして振り下ろされる、強烈な垂直斬り。ジェイドの肌を掠めたそれは石煉瓦を穿って辺りに撒き散らす。凄まじい轟音が鳴り響きながら、破片が周囲の家屋を壊した。
「過疎ゲーだ! どうせ初心者なんて居ない、もっと広く使おうか!」
言いながらジェイドは中央を流れる川の小型ボートに飛び乗り、
「いいねぇ、楽しくなってきた! このゲームやってきた中で、今が一番楽しいぜ」
言いながら同じボートに飛び乗ってきたガーネットの剣がジェイドに躱され、ボートを叩き割り、水とエンジンオイルが飛沫となって飛散する。金属片を隔てて弾けるような視線を交わした後、お互いに川の対岸の岸へと着地して、川を挟んで駆けながら、お互いの隙を探り合う。
同感だった。ジェイドも――久しぶりに心からゲームを楽しんでいた。
「正直なところ、触手が増えたメタリゴナファ星人は全宇宙人の中でも最強格と言っていい」
街灯に照らされた道を二人が走り、幾重にも伸びる影が生まれては消えていく。
「だが――手数が本数分だけ増えるってのは嘘だ」
「ほう! 嘘か! 嘘ってのは弱小種族アポチュジョジョン星人の特権じゃないのか?」
「口も持たない産廃種族が一丁前に喚きやがる。いいか? 人間の腕は二本だ! 基本的に」
「多方面への配慮を欠かさないな」
「だが――例えば俺は今、もう十一本の腕を渡されても有効活用はできないと思う」
ジェイドがそう言い切ると、お互いの駆ける足音だけが夜の街に木霊する。
ガーネットは嘲笑しているのか、驚いているのか、感心しているのか。分からないが押し黙ったままジェイドの言葉を待った。
「だから仮説を立てた。お前のその触手は腕のように自由自在に動かすものではなく、もっと大雑把に手動と自動を切り替えるものだと考えた。手動では大雑把に攻撃対象や防御のタイミングを指示し、自動では指定された条件で指定された動きをするというもの」
「そして」と、ジェイドは細めた眼差しで彼の無法に見えて心許ない触手を見た。
「自動制御は大雑把かつ緩慢だ。少なくとも、俺が近付いた瞬間に自動迎撃することはできないし、攻撃のインターバルも長い。だから、お前の手数は実質的に、二本分しか増えていない。主力としては計上しにくい自動制御と、意識を割かないといけない手動制御」
それらはあくまでも仮説に過ぎなかったが、そうでなければ勝つことは極めて難しいし――そうであることを看破して戦略を立てれば、然程、理不尽なボスでもない。
「その仮説を持って、さっき切り結んだ。そして今はそれを確信している」
先程の衝突。もしも十一本を縦横無尽、自由自在に操れるならそこで決着がついていた。
そうでないということは、そうできないということ。
看破したジェイドに対して、ガーネットは取り繕うことも虚勢を張ることもしない。ただ、静かに――敬意を含んだ眼差しを送りながら、しかし不遜にこちらを見る。
「俺は今――感動している。まさかそこまで見抜いてくる奴が居るとは思わなかった」
そして、街の北端に差し掛かろうという頃、満を持してガーネットが歩調を崩す。まるで転んだのではないかと錯覚するほど着地した足をバネの如く曲げて深く身を沈める。
――来るか。そう身構えた次の瞬間、死神は彼岸から此岸へ。
首を撥ねる軌道を剣がなぞる。だが、添えた短剣がその軌跡を虚空へと引き直す。
凄絶に炸裂する火花。それらを掬い取るように、今度はジェイドの切り返し。鋭利なナイフがガーネットの首元を目掛けて刺突を繰り出すが、二本の触手がそれを弾く。
その隙を縫うように反撃の片手剣がガーネットから振り下ろされる。
しかし、ジェイドはそれを躱さない。代わりに、ぐっと深くガーネットへと肉薄した。
振り下ろされた片手剣で自分の腹周りに詰め寄った小柄な宇宙人を斬るのは中々難しい。切っ先はジェイドの肩を掠めてる程度に留まり、視界左下のHPバーが数パーセントほど削られ、バーが赤色に変色してパーティクルを撒き散らす。
だが、差し違えるように、ガーネットの腹に深々とジェイドの短剣が突き刺さっていた。同じように黄色い粒子を散らしながら彼のHPバーが削られ、嬉しそうな呼気が口の無いメタリゴナファ星人のどこかから漏れ聞こえてきた。
「確かに俺はメタリゴナファ星人の『特徴』を知らなかった――でも、お前はアポチュジョジョン星人の『特徴』を知っているな? お前の言う通り、小柄で筋力に欠く。だが、」
ピッタリと肌が触れ合うほどに肉薄したまま短剣で刺突と斬撃を繰り返す。
どうにか距離を置こうとバックステップしながら、超近距離で使い物にならない片手剣に代わって、触手で辛うじて致命傷を避けるガーネット。彼は余裕のない声で答える。
「代わりに全宇宙人最高値の敏捷性、だったか?」
ジェイドはふっと笑って、下がろうとするガーネットを上回る速度で距離を詰め続ける。
「――お前の触手を今の手札で対策するのは難しい。が、無い物ねだりをするのは趣味じゃない。お前の手札は、俺の知る限り最高峰の剣技と、二パターンの触手……その下品な触手を止められないなら、悪いがお得意の剣技の方を止めさせてもらう」
下がろうとするガーネット。詰め寄るジェイド。距離は離れない。
刃渡り十五センチの短剣と七十センチの片手剣。単純計算で適切な戦闘距離は五十五センチも異なる。それに加え、勢いを乗せて振ることを前提とした剣と異なり、短剣は腕を畳んでコンパクトに切れ味を押し付ける戦い方ができる。必然――間合いを詰め切ったジェイドの猛攻を前に、ガーネットは苛立たしそうに後退しながら、懸命に触手を手動で振り回す。
繰り返される剣と触手の円舞。どれだけ上手に捌こうとも触手が身体の一部である以上、刃を直接受け止めれば微々たるものながらダメージが蓄積する。徐々に、徐々に削れていく自分のHPに焦燥感を煽られながら、しかし打開策も見付からずにガーネットは声を荒らげた。
「あぁぁ、クソッ! ちょこまか鬱陶しいな! チビ宇宙人風情が!」
片手剣を手放したガーネットが、苛立ち混じりの拳を突き出す――が、当然、わざわざそれを拳で受け止める道理もないジェイドは短剣で受け止める。ブシュ、と血液が虚空に線を引き、悔しそうな歯軋りがガーネットから聞こえ、ジェイドは片頬を歪めた。
「どうしたよ。さっきまでの威勢はどこに行った?」
「く、くそっ……自分が優勢になった瞬間、鬼の首を取ったように……」
その時だった。
「おい、ガーネットがPvPしてるぞ! それも接戦だ!」
ハッと二人が顔を向けると、川沿いに伸びる大通りの向こう側、数十メートル地点の十字路から他プレイヤーが顔を出してボイスチャットに何かを叫んでいる。当然、初心者ではなく厳つい装備を身に着けた熟練のプレイヤーだ。血迷って加勢をしないよな――と不安が過ったジェイドに反して、劣勢だったガーネットの判断は素早かった。
彼は一瞬の隙を突いてジェイドから距離を取る。
油断した。再び距離を詰めるところから仕切り直しか。そう思った矢先、
「あーばよ、とっつぁん!」
ガーネットはどこかの大泥棒のように吠えながら、投げ捨てた片手剣を拾いつつ背を向けて走り出す。
「は?」――何のつもりだと一瞬の硬直の末、ガーネットの進行方向に観戦しようとしていた他プレイヤーが居ることに気付いて、彼の狙いを悟る。
『エイリアン・ブラザーズ』は最早古参が細々と隠居しているような状況のゲームだ。当然、運営は古参プレイヤーが楽しめるように、ゲームのあらゆるシステムを魔改造している。
その内の一つが、
先程、ジェイドとガーネットが何の操作もせずいきなり切り結んだことから分かるように、このゲームは既に初心者が最初に訪れる街であろうと例外なく、あらゆる場所でPvPができる。完全に安全なのは他プレイヤーが入れないギルドエリアやマイハウスだけ。
つまり、観衆とは観衆でありながら殺し合いの参加者でもあるのだ。
「おいまさか!」と叫んで、ジェイドは慌てて追いかけた。
しかし、如何に敏捷性に差があるとはいえ、レベルがカンストしているプレイヤー同士だ。充分に差の付いた状態で数十メートルという短い距離を覆すことはできない。
「くそ!」ジェイドは全力でガーネットを追いながら叫ぶ。
「おい、そこのアンタ! 逃げろ、そいつアンタを殺す気だ!」
「いや、申し訳ない、そこの御仁! 知っての通り俺はPKでね!」
言いながら棒立ちしていたプレイヤーに駆け寄ったガーネットは、芝居がかった口調で朗々とそう説く。「へぁ?」と冷や汗と共に間抜けな顔をした宇宙人の首に、持ち手を引いた片手剣の切っ先を向け、視線を彼の手元に握られた小刀へと注いだ。
「わり、武器貸してくれ!」
ガーネットはそう言いながら、全力疾走と鋭い身の捻りによる速度を加えた全身全霊の奇襲の太刀を首に叩き付ける。錆び付いた金属が激しく擦り合わされるような、不快感と快感を併せ持った強烈なクリティカルの音。極彩色のパーティクルを撒き散らしながら生産職用の軽装をしていた宇宙人のHPは全て消し飛ばされる。そして、HPが全損してアバターが消失する寸前、ガーネットは彼の手から得物を拝借して、刃渡り二十センチの短刀を左手に構えた。
――『窃盗』。
それはシステム的に設けられたスキルではなく、ゲームの仕様を活かした技術。
装備類はPKでドロップしない仕様になっているが、それとは別に、他プレイヤーの所持するアイテムを、物理的に手に取って奪うことはできる。そしてそれは、奪った後、元の所持者が一定距離以上離れるか、デスをして一定時間が経過するまで、使用することができる。
つまり、振り返ったガーネットが右手に片手剣、左手に短刀を構えているのが答えだ。
「――ばかすか殺しやがって。人の命を何だと思ってやがる」
「そりゃお前、未だにこのゲームやってる奴に言う言葉じゃねえよ」
ジェイドは手を失った右手をドチュ、と額に当てながらやれやれと首を左右に振る。
「二刀流なんざ久々に見た。武蔵坊弁慶なのか宮本武蔵なのか、どっちかにしてくれよ」
「お前は牛若丸より佐々木小次郎だ。だから俺は宮本武蔵。『彼岸島の戦い』やろうぜ」
「『巌流島の戦い』だろ。しかも史実だと小次郎の負けじゃねえか」
「不服か? 史実通りじゃねぇか」
「死に物狂いで逃げてた奴が、口だけは立派だな。口も無い、嫌われ者の分際で」
さて、軽口も程々に両者が身構えたまま少しずつ闘気を滲ませていく。
戦況は変わった。メニューイングする隙も与えず、ガーネットの武器を片手剣に固定したまま削り切る戦法はもう通じない。左手の短刀。どれくらい扱えるのかは分からないが、
今までの戦いで確信した。ガーネットの反応速度や動作の正確性は怪物級だ。
恐らく、ジェイドが今まで見てきたあらゆるゲーマーの中でも指折りなのだろう。
愚直な正面での戦いはやや不利。今はそれに加えてHP状況の不利と手の欠損もある。
飛車角金銀落ちで名人と対局しているような状況だ。だが、死闘だけが味わわせてくれる、久しく感じる危機感に陶酔するように、ジェイドは深呼吸して短剣を握り直す。
「楽しいな」
呟くガーネット。少し呆けた後、ジェイドはふっと笑って返す。
「さっきは随分と苛々してたけどな」
「はっ、それも含めてだよ。分かるだろ?」
きっとお前も同類だと言いたげな彼の呟きに、「……ああ」とジェイドは目を瞑る。
PKは大抵の場合、旨味以上に被害者の損失が大きい。つまりゲーム内の総資産は目減りするようなプレイだ。それに、順当にプレイをする方がメリットが多いケースが大半。故に自分はPKに手を染めることは無いだろうと思う。しかし、システムがそれを許容している以上は一つの楽しみ方だと思うが故に、元々、彼の楽しみ方を否定するつもりは無い。
そして、今はそれに加えて、強者との対峙に楽しさを見出してしまった。
軽々と勝てるボスに何度も挑んで、誰でも勝てるように言語化して、お金を稼いで。
そういう攻略サイトの運営者も悪くはないが、やっぱり自分はこちら側の人間だ。
そして、沈黙の中ですっと目を開けて身構える。彼我のHP状況は赤と橙。既に瀕死。有効打が一つでも入れば決着が付く状況で、こちらの手数は短剣と高い敏捷性。向こうは二本の刃物に二パターンの触手。不利といって差し支えないが、その不利が背中を焦がす感覚が心地よい。凍てつく冬の夜、ストーブを背にするような熱を身体に巡らせ、足に力を込める。
直後、両者の姿が消えた一拍後、その中間地点で凄絶な金属音が迸って街を駆け巡る。
振り抜かれた片手剣と全力の刺突を繰り出した短剣が衝突し、極彩色を忘れさせるような深紅の火花が互いの瞳を照らした。直後、振り下ろされる触手。掠ったら絶命は避けられない一撃を、しかしジェイドは身を伏せつつ、ガーネットの股下に短剣を投擲しながら手を空け、その手で足首を掴んで後方に回って回避。そして遠心力を使って身体を浮かせながら短剣を回収。
このまま膝下に短剣を叩き込もうとするジェイドだが、しかし、ガーネットはカクンと膝を折ると、そのまま身を捻る勢いで短刀を背中に突き刺さんとする。異次元の反応速度と、現実と遜色ないアバターの操作精度。呆れた強さのボスに思わず吹き出しながらも、彼の強さを信頼していたが故に反撃を警戒していたジェイドは、手首から先の無い右手を思い切り地面に突き立て、反動で華奢な自らの肉体を二メートルほど浮かせる。
そして、膝を折った姿勢で頭上を見るようなガーネットを見下ろしながら、銀色の稲妻が落ちたと錯覚するような速度で、短剣を必要最小限の動きで落とす。
飛び散る血液。裂けるガーネットの頬。円筒の側面が深々と切り裂かれ――それはつまり、あの予想外の動きを完全に見切って回避したことを示す。獰猛に笑う両者。されどガーネットのHPは明確に削れ、遂に残り二割のレッドゾーンに突入。
思考が加速していく。感情が昂って、きっとこの興奮はどちらかが敗れるまで鎮まらないだろうとお互いが確信。あらゆる動きが緩慢に見えるような集中の中、切り結ぶ。
手数は僅かにガーネットが上回る。しかし、二刀流で手数に勝るということは即ち、一撃一撃に込められる運動エネルギーは一本の時よりも少ないことを意味する。故に、攻撃を捌くのに求められる必要最小限が更に最小へと落ちていき、骨に付いた僅かな肉を削ぎ落すように、没頭するかの如く無駄を省き切ったジェイドの動きはその全てを弾き切る。
そして、反撃はできない。故に――千日手。
だが、これは将棋ではない。故に先に集中力を切らした方の負け。分かりやすい。
お互いに状況を理解して凄絶な笑みを浮かべ、幾つものフェイントを交ぜながら攻撃と防御を繰り返し続け、三分が経過した。そして、先に崩れたのは――ジェイドだった。
ほんのわずかな綻び。構えていた短剣の衝突角度が少しだけ、垂直寄りだった。
逸らすのではなく、弾くような構え方になった。結果、短剣を握り締めたジェイドの左手は幾百にも及ぶ衝突の中で最も大きく弾かれ――手を、離れて虚空を舞った。体勢が、崩れる。
ようやく見えた終幕。ガーネットは安堵にほっと息を吐きながら、言った。
「俺の勝ちだ」
そして。勝利を確信したガーネットは愛用の片手剣を無造作に引くと、それをジェイドの肩に向けて袈裟に振り下ろす――寸前、ガーネットはジェイドの顔を見た。そして、その口元に浮かんだ感情が、悔しさでも満足感でもなく、寒気を覚える程のナニカだと気付く。
悪寒。違和感。何か嫌な予感がした。光に向かって進んで言ったら、牙が見えた獲物のような。相手のミスで自分が勝利を確信したつもりが、そこまで含めて罠だったかのような。
しかし、振り下ろされた剣はもはや止めることはできない。
どんな策略があろうがこのまま切り伏せてしまえば勝ちだ。ガーネットは違和感に目を瞑って、今できる最良、即ち一撃に全霊を込めることを選んだ。次の瞬間。
――全宇宙人最速の敏捷性から繰り出された蹴りが、ガーネットの右の肘窩を叩いた。
「は?」と間の抜けた声をガーネットが上げたのも束の間、その爪先から受けた鈍い衝撃は剣を振り下ろすその腕を揺らし、肘を曲げて、僅かに、手元が緩んだ。結果、振り下ろす運動エネルギーだけが残った剣は手元を抜け、それを優しく受け止めるのは、身を守る唯一の手段である短剣をミスによって手放してしまったはずの、ジェイドの左手。そこで気付く。
弾くのに失敗して仰け反り、体勢が崩れたのではなく。
下からこちらの肘を蹴り上げるために、上体を後ろに逸らしていたのだ、と。
ガーネットが勝負を急いて触手を振り下ろす。
だが、それらは身を翻す勢いを乗せたジェイドの一閃によって、全て半ばから切り裂かれた。大量に削れていくガーネットのHP。視界が真っ赤に染まるほどのパーティクル。
全損かと思うも束の間、そのHPは一ドットだけ残る。ガーネットは辛うじて気持ちを切り替え、一撃でも先に当てれば勝ちなのだと短刀を構えるも、全て策略の内であったジェイドの方が戦術の組み立ては一歩早く、頭上に高々と振りかぶった片手剣が全力で振り下ろされた。
工場の音と錯覚するほどの金属音と共に、垂直の一撃を横にした短刀で防いだガーネットは地面に叩き付けられる。物理エンジンは辛うじてそれをダメージとは判定しなかったが、当然、あと僅かでもHPを削ればいいジェイドは短刀をへし折るように力を込め続ける。
押し合いになれば華奢なアポチュジョジョン星人は不利だが、当然、上から片手剣で体重を乗せられるジェイドと、それを短い短刀で防ぐガーネットでは、ジェイドの方が有利だ。
徐々に、徐々に短刀が押し込まれていく中、お互いの思考は少し冷静だった。
反応速度やアバターの操作精度、単純な『強さ』はガーネットが圧倒的だ。
反面、状況を分析して『相手を倒す能力』――『攻略技術』はジェイドが勝る。
自分が工夫したあらゆる権謀術数を規格外の動きで捌くガーネットにジェイドは驚かされたし、ガーネットもまた、そんな自分を追い詰めてみせた男を賛辞の眼差しで見ていた。
そして、ふと。
「あ」
と、ガーネットが何かに気付いたように目を丸くした。ジェイドは僅かも力を緩めることなく片手剣を押し込みながら、眉を潜めてその間抜けな顔を見詰める。
「何だよ、俺の後ろにUFOでも見えるか? 宇宙人のゲームだぜ?」
「いやいや、何を馬鹿なことを言いますか。そうじゃなくてだな――」
そう胡散臭い口ぶりで否定したガーネットは、騙す意思は無いのかもしれない。
本当に申し訳なさそうに歪めた顔で視線を逸らし、一度、静かに呼吸をした。
「――どうやら俺はお前に、二つ謝らないといけないらしい」
「『雑魚が調子に乗ってごめんなさい』か? それなら後で聞くが」
「メタリゴナファ星人の触手の条件について、嘘があった」
――何だ? 何やら嫌な胸騒ぎを覚えたジェイドは、焦燥を感じながら強く剣を押し付けて短刀を割ろうとする。しかし、未だにこのゲームを楽しんでいるプレイヤーから奪った武器が安物である道理もなく、耐久値を削り切っての破損も難しそうだった。
「俺は触手が生える条件について、こう語った。『PKの数が二の乗数になる度に増えていく』と。それは間違いではないが、誤解を解く必要がある。俺もすっかり忘れていたが、『二のゼロ乗、つまり最初のキルでも本数が増えた』記憶がある。それが、一つ目の謝罪だ」
一瞬、ジェイドは動きを止めそうになった。
危うく押し返されそうになりながらも競り合いを続けながら、軽口を叩いてやる。
「お、おいおい、必死だな。そこまでして俺に勝ちたいか?」
彼のそれは、動揺を誘うだけの言葉だ。もしも彼の言う通りに触手の本数の増え方が違ったとしても、現在、彼の頭に生えている数は変わらない。それこそ――それこそ。
そこまで考えて、ジェイドの表情が凍り付く。
視線の先には短刀。殺して奪った短刀。そんなジェイドを見て、ガーネットは苦笑する。
「そして、その記憶が正しければ二千四十八キル目では十二本目の触手が生える。加えて、厳密に数えてはいないが、体感のキル数は確かに二千近い。つまり、二つ目の謝罪っつーのは、さっきのキルが二千四十八人目ということらしくて」
そう言いながら気まずそうに視線を逸らした瞬間、十一本の触手が切断された彼の頭皮が何やらモゾモゾと動き始める。
そして、ジュポポと卑猥な音を立てながら、十二本目の触手が生えてきた。
「こんな勝ち方ですまん。俺も不本意だよ」
次の瞬間、競り合いをしていたジェイドの顔面が触手に貫かれた。
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