第30話 痛くはしないよ

## 第30話 痛くはしないよ


りおは、私を抱きしめたまま、遠くを見ている。


窓の外の暗闇を。


見えない何かを。


「あの時さ」


りおの声が、小さくなる。


「私は、あのリーダーから」


リーダー。


社長のことだろうか。


「何されたか、知ってる?」


「知らない…です…」


「知らないよね」


りおが、小さく笑う。


自嘲的な笑い。


「誰も知らない」


りおの腕に、力が入る。


私を、強く抱きしめる。


「あいつさ」


りおの声が、震える。


怒りで。


悲しみで。


「何も知らない私を、ペットにしたんだよ?」


「ペット…」


「うん。ペット」


りおが、私の髪を撫でる。


でも、その手が、震えている。


「最初は、優しかった」


「アイドルのレッスン、丁寧に教えてくれた」


「でも」


りおの手が、止まる。


「だんだん、変わっていった」


「『もっと痩せろ』『もっと笑え』『もっと可愛くしろ』」


りおの声が、冷たくなる。


「従わなかったら」


りおが、私を離す。


目を見る。


その目は、涙で潤んでいる。


「罰があった」


「罰…」


「食事を抜かれた。部屋に閉じ込められた。暴言を浴びせられた」


りおが、項を落とす。


「それでも、デビューすれば変わると思った」


「でも」


「デビューしても、何も変わらなかった」


りおの声が、震える。


「むしろ、もっとひどくなった」


「名前も、奪われた」


「本名…?」


「うん。私の本名、星咲りおじゃない」


りおが、小さく笑う。


「これは、芸名」


「本当の名前は、もう使っちゃいけないって言われた」


「大学も」


りおが、拳を握る。


「辞めさせられた」


「『アイドルに学歴はいらない』って」


「友達も」


「『ファン以外と関わるな』って」


りおの涙が、頬を伝う。


「気づいたら、私は」


「ただの、星咲りお、になってた」


「本当の私は、どこにもいなくなってた」


私は、何も言えなかった。


りおの苦しみ。


りおの痛み。


「だから」


りおが、私の顔を両手で包む。


「だから、のぞみちゃんにも」


「同じことをしてるの?」


言葉が、出てしまった。


りおの手が、止まる。


沈黙。


長い沈黙。


「そう」


りおが、小さく頷く。


「私がされたこと、のぞみちゃんにもしてる」


「でも」


りおが、私の額に自分の額を合わせる。


「痛くはしないよ」


「あいつは、私を殴った。蹴った。髪を引っ張った」


りおの声が、震える。


「でも、私は、のぞみちゃんにそんなことしない」


「だって」


りおが、私の唇にキスをする。


短いキス。


「のぞみちゃんは、可愛いから」


「傷つけたくない」


「でも」


りおが、私を見つめる。


「支配したい」


「私のものにしたい」


「あの時、奪われたもの、取り戻したい」


りおの目が、狂気を帯びている。


「わかって、のぞみちゃん」


私は、震えていた。


りおの過去。


りおの傷。


それは、理解できる。


同情もする。


でも。


だからといって。


「でも、それは…」


「わかってる」


りおが、私の言葉を遮る。


「これは、間違ってる」


「わかってる」


「でも、止められない」


りおが、また私を抱きしめる。


「だから、許してなんて言わない」


「ただ」


りおが、私の耳元で囁く。


「3日間だけ、私のものになって」


「そうしたら、ちゃんと元に戻してあげる」


「約束する」


りおの腕の中で、私は考えた。


りおは、被害者だった。


でも、今は、加害者になっている。


その連鎖を、断ち切れないのか。


でも、私には、力がない。


「りおさん」


「ん?」


「私も、苦しいです」


「わかってる」


「でも、りおさんほどじゃない」


りおが、私を離す。


目を見る。


「のぞみちゃん…」


「だから」


私は、震える声で言った。


「3日間、耐えます」


「でも」


「これが終わったら、りおさんも、誰かに助けを求めてください」


りおの目が、大きく開く。


「助け…」


「社長から、逃げてください」


「そんなこと…」


「できます」


私は、りおの手を握る。


「りおさんは、強いから」


りおの目から、涙が溢れた。


「強くなんか、ないよ…」


「強いです」


私は、りおを抱きしめた。


今度は、私から。


「だから、3日後、一緒に考えましょう」


「のぞみちゃん…」


りおが、私の胸で泣いた。


長い間。


ずっと。


そして、ようやく。


「ありがとう」


小さな声で、そう言った。


でも。


「でも、罰ゲームは、やるからね」


りおが、顔を上げる。


涙の跡が残っているけど。


また、笑顔に戻っている。


「だって、ルールだから」


私は、小さく頷いた。


りおの傷は、3日間では癒えない。


私にできることは、限られている。


でも。


少なくとも。


この3日間を、一緒に乗り越えよう。


そして、3日後。


二人で、新しい道を探そう。


そう、心に決めた。


「じゃあ、罰ゲーム」


りおが、立ち上がる。


「痛くはしないから、安心して」


そう言って、りおは再び何かを取りに行った。


私は、ソファで待った。


覚悟を決めて。


りおのために。


そして、自分のために。

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