第29話 4年前
りおの手が、止まった。
私を見つめたまま、動かない。
沈黙。
長い沈黙。
そして、りおが口を開いた。
「ねえ、のぞみちゃん」
「はい…」
「私の話、聞きたい?」
「話…?」
「うん。私が、どうしてアイドルになったか」
突然の質問。
罰ゲームは、どうなったんだろう。
でも、りおの表情が変わっている。
さっきまでの楽しそうな顔じゃない。
どこか、遠くを見ているような目。
「4年前」
りおが、ソファに座る。
私の隣に。
「私、まだ大学に入ったばかりだった」
大学。
りおが、普通の大学生だった時。
「地下アイドルでも、何でもない」
りおが、小さく笑う。
「ただの、ボーイズグループ好きの、一人の女の子」
ボーイズグループ。
そうだ。
りおは、ファンだったんだ。
「毎日、ライブ行ったり、グッズ買ったり」
りおの目が、遠い。
「楽しかった。本当に、楽しかった」
「それが…」
「うん。ある日、ファンイベントに参加したの」
りおが、窓の外を見る。
暗い空。
星が、少し見える。
「握手会とか、サイン会とか、そういうの」
「はい…」
「その時に、スカウトされた」
スカウト。
「その時のファンイベントの企画者が」
りおが、私を見る。
「今の社長だった」
社長。
りおの事務所の。
「『君、可愛いね。アイドルやってみない?』って」
りおが、その時の言葉を真似る。
「最初は、断ったんだよ」
「断った…?」
「うん。だって、私はファンでいたかったから」
りおの声が、少し震える。
「推しを応援する側でいたかった」
「でも…」
「でも、社長はしつこかった」
りおが、小さくため息をつく。
「『君なら絶対に売れる』『夢を叶えられる』『たくさんの人を笑顔にできる』」
その言葉を、何度も聞かされたんだろう。
「それで、デビューすることにした」
りおが、立ち上がる。
窓際に行く。
「最初は、楽しかった」
「楽しかった…」
「うん。ライブして、ファンの人たちと触れ合って」
りおの声が、明るくなる。
「みんな、笑顔で。応援してくれて」
「でも」
りおの声が、また沈む。
「だんだん、変わっていった」
「変わった…?」
「仕事が増えて。休みがなくなって」
りおが、振り返る。
その顔は、疲れている。
「気づいたら、1年で2日しか休みがなくなってた」
2日。
365日のうち、2日だけ。
「朝から晩まで、仕事」
りおが、ソファに戻ってくる。
「ライブ、テレビ、雑誌、握手会、イベント」
次々と並べられる仕事。
「笑顔を作って。可愛く振る舞って。みんなを喜ばせて」
りおが、私の目を見る。
「でも、私は」
その目に、涙が浮かんでいる。
「私は、どこにいるの?」
「りおさん…」
「星咲りおは、いる。でも、本当の私は、どこにいるの?」
りおの声が、震える。
「わからなくなった」
「だから…」
「だから、この3日間」
りおが、私の手を取る。
「私は、本当の自分に戻りたかった」
「本当の自分…」
「うん。誰かを支配できる自分。誰かを思い通りにできる自分」
りおの声が、少し歪む。
「アイドルの私は、みんなに支配されてる」
「でも、ここでは」
りおが、私を見つめる。
「私が、支配する側」
その言葉が、胸に刺さる。
「のぞみちゃんは、私のもの」
りおが、にっこりと笑う。
でも、その笑顔は、どこか悲しい。
「だから、ごめんね」
「え…」
「でも、許してなんて、言わない」
りおが、私を抱きしめる。
「だって、私は、もう止められないから」
私は、りおの腕の中で、震えていた。
りおの過去。
りおの苦しみ。
わかる。
でも、だからといって。
これが、許されるわけじゃない。
「さあ」
りおが、私を離す。
そして、にっこりと笑う。
「罰ゲーム、続けよう」
さっきまでの弱さは、消えている。
また、あの笑顔に戻っている。
私は、ただ頷くことしかできなかった。
りおの過去を知っても。
状況は、何も変わらない。
私は、まだ、りおの支配下にいる。
罰ゲームは、これから始まる。
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