第19話 喉に通らない



フォークを口に運ぶ。


パスタ。


トマトソースの良い香り。


見た目も美味しそう。


でも。


噛む。


飲み込もうとする。


喉が、受け付けない。


詰まる感じ。


無理やり飲み込む。


苦しい。


テーブルの上の料理を見る。


全部、美味しそうだ。


高級レストランみたいな盛り付け。


でも、食べられない。


現実が、重すぎる。


俺は、女になった。


りおに、支配されている。


スマホは、壊された。


逃げ場はない。


この状況を、受け入れられない。


頭ではわかってる。


でも、心が追いつかない。


「のぞみちゃん、食べないの?」


りおの声。


優しい。


でも、その優しさが、怖い。


「あ…はい…」


もう一度、フォークを取る。


サラダを一口。


レタス。


トマト。


新鮮だ。


でも、味がしない。


口の中が、乾いている。


水を飲む。


少しだけ、楽になる。


「食べないとー」


りおが、にこやかに言う。


その笑顔。


アイドルの笑顔。


でも、今は。


「体力、必要だよ?」


「体力…?」


「うん」


りおが、私の目を見る。


そして、微笑む。


「まだ、あと2日と15時間あるよ?」


その言葉が、胸に刺さる。


2日と15時間。


60時間以上。


この状況が、続く。


「だから、ちゃんと食べないと」


りおが、私の皿に肉料理を取り分ける。


「ほら、お肉。タンパク質、大事だよ」


私は、震える手で、ナイフとフォークを取る。


肉を切る。


一口サイズに。


口に運ぶ。


柔らかい。


ジューシー。


美味しいはずだ。


でも、喉が。


また、詰まる。


無理やり飲み込む。


「のぞみちゃん」


りおが、心配そうに見る。


「大丈夫?」


「は、はい…」


「無理しないでね」


その言葉が、皮肉に聞こえる。


無理してるのは、こっちだ。


この状況自体が、無理だ。


でも、言えない。


「あ、そうだ」


りおが、立ち上がる。


冷蔵庫を開ける。


何かを取り出す。


ジュース。


オレンジジュース。


「はい、これ飲んで」


グラスに注いで、私の前に置く。


「ありがとう…ございます…」


ジュースを飲む。


甘い。


冷たい。


少しだけ、気持ちが楽になる。


「ね、のぞみちゃん」


「はい…」


「今、すごく不安だよね」


りおが、優しく言う。


「でも、大丈夫」


「大丈夫…?」


「うん。私が、ちゃんと面倒見るから」


面倒を見る。


それが、怖い。


「それに、3日後には、ちゃんと元に戻るって、約束したでしょ?」


「本当に…戻れるんですよね…」


「うん。約束する」


りおが、私の手を握る。


温かい。


柔らかい。


「だから、今は、私と一緒に、この時間を楽しもう?」


楽しむ。


この状況を。


無理だ。


でも、選択肢はない。


「はい…」


私は、小さく答えた。


りおは、満足そうに微笑んで、私の頬を撫でた。


「いい子」


そう言って、りおは自分の食事を再開する。


私も、もう一度、フォークを取る。


少しずつ。


少しずつ、食べる。


味はしない。


喉は詰まる。


でも、食べなきゃ。


体力が必要だ。


りおが言った通り。


まだ、2日と15時間。


長い。


とても長い。


私は、機械的に、食事を口に運び続けた。


窓の外は、すでに暗くなり始めていた。


初日の夜が、近づいていた。

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