第2話 準備
当選通知が来てから、俺の生活は一変した。
毎日が準備だ。いや、準備というより儀式に近い。初めての修学旅行に行く小学生みたいな気分だった。いや、それ以上かもしれない。小学生の頃、こんなに緊張したことあっただろうか。
まず服だ。
クローゼットを開けて愕然とした。ヨレヨレのTシャツ、毛玉だらけのパーカー、色褪せたジーンズ。これじゃダメだ。絶対にダメだ。
休日、俺は渋谷の駅前に立っていた。普段なら絶対に入らないようなオシャレなセレクトショップに、意を決して足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
店員の爽やかな笑顔が眩しい。
「あの、カジュアルな感じで、でもちょっとキレイめな服を…」
しどろもどろになりながら説明する。店員は慣れた様子で何着か提案してくれた。白いシャツ、紺のチノパン、ベージュのカーディガン。値札を見て一瞬躊躇したが、そんなこと言ってられない。
「これ、全部ください」
クレジットカードを差し出す。合計で5万円近く飛んだ。
でもまだ終わりじゃない。
下着だ。パンツも全部新調した。当然だろ?万が一、いや、億が一、何かの拍子で見られたら。いや、見られるわけないけど、でも、念のため。ユニクロで新しいパンツを10枚買った。
さらに靴屋に向かう。
「シークレットブーツ、ありますか?」
店員に小声で尋ねる。身長は172センチ。悪くはないけど、もうちょっと高く見せたい。りおは公称160センチ。ヒールを履いたら165センチくらいか。俺が172センチじゃ、並んだときの見栄えが悪い。
「こちらになります」
黒い革靴を手渡される。履いてみると、確かに3センチくらい高くなった気がする。
「これください」
財布がどんどん軽くなる。でもいいんだ。これは投資だ。自分への投資。
アパートに戻ると、買った服を全部ベッドに広げた。何度も鏡の前で合わせてみる。このシャツとこのパンツ。いや、この組み合わせの方がいいか。
スマホで「メンズ ファッション 好印象」と検索する。出てくるのはイケメンモデルばかりだ。俺が着てもこうはならないだろうけど、それでも参考にはなる。
翌日から、天気予報を毎日欠かさず確認するようになった。
合宿は2週間後。場所は都内から車で2時間ほどの高原リゾート。
「1週間後の天気は…曇り時々晴れ」
まだ1週間も前だ。当てにならない。でも気になる。雨だったらどうしよう。傘は持っていくべきか。いや、荷物が多すぎるのもダサい。
夜、布団の中でスマホを見ながら考える。
持ち物リストを作った。スマホのメモアプリに延々と書き連ねる。
・着替え(3セット)
・パンツ(予備含めて5枚)
・歯ブラシ、歯磨き粉
・整髪料
・香水(つけすぎ注意)
・携帯充電器
・モバイルバッテリー
・カメラ(スマホで十分?)
・財布
・保険証
・i.sのペンライト
・サイン色紙(もしサインもらえたら)
リストはどんどん長くなる。あれもこれも必要な気がしてくる。
会社では相変わらず上の空だった。
「田中さん、最近様子おかしくないですか?」
佐藤が心配そうに言う。
「そう?気のせいだよ」
笑ってごまかす。まさか「アイドルとの合宿に行くから緊張してる」なんて言えるわけがない。
夜、アパートに戻ると、また天気予報をチェックする。
「10日後の天気は…晴れ時々曇り」
よし。晴れだ。でも待てよ、時々曇りってことは、雨が降る可能性もあるのか。
ネットで「高原リゾート 気温」と検索する。朝晩は冷え込むらしい。カーディガンを持っていくべきか。でも荷物が多すぎるのも。
頭の中がグルグルと回る。
そして、あと3日。
荷物を詰めては出し、出しては詰め直す。シャツは何枚がいいか。パンツは本当に5枚も必要か。
鏡の前で何度も身だしなみをチェックする。髪型は大丈夫か。ヒゲは剃り残しないか。爪は切ったか。
眠れない夜が続く。
布団の中で天井を見つめながら、りおの顔を思い浮かべる。
何を話そう。どんな風に話しかけよう。笑ってもらえるだろうか。
不安と期待が入り混じって、胸が苦しい。
でも、悪い気分じゃなかった。
生きてるって感じがした。
こんな気持ち、いつぶりだろう。
そして、ついに前日の夜。
荷物は完璧だ。服も選んだ。天気予報も確認した。晴れだ。
明日、俺の人生が変わる。
そう信じて、目を閉じた。
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