第8話


 精霊法と魔術観を重んじる術師だった自分が、今や見る影もない。


 リュティスは轟音の余韻が消え、

 黒煙が蔓延する中でそう思った。


 だが、妙に胸の内が静まり返った気がする。



(たかが、サダルメリク一人を殺したくらいで……)



 そんな些細な事ならば、早くこうしていればよかったのだ。


 そうしていれば、起こらなかったかもしれない災いに一つ一つ思いを馳せ――ふと、彼はいつの間にか閉じていた【魔眼まがん】を先に向けた。


 黒煙がゆっくり晴れて行く中に、光が見えた。


 その瞬間リュティスは両目を細める。

 そして、はっきりと息を飲んだ。


 炎の大魔法の一つであるエンシャント・メイズを構築する精霊は闇・火・雷。


 対魔法の結界は、全ての術師が等価に扱えるものと、

 相手の術師が放った魔術に対して一から構築するものがある。


 結界の魔法と、

 魔力を結界のように構築するという二つだ。


 地面に倒れるその体を、鮮烈な光が球体のように包み込んでいる。

 ここまで完全なる結界が球体として光で捉えられるのは珍しい。


 術師の全身の機能を低下させる闇の精霊、

 身を焼き尽くそうとする火の精霊、

 その身を、内から引き裂こうとする雷の精霊。


 彼らの手を完全に遮断して、紡ぎ手を守っている。


 リュティスは数多のサンゴールの敵をこの同じ術で葬り去って来たが、

 魔物だろうと人だろうと魔術師だろうと、

 こうまで完全な結界で凌ぎ切った者は一人もいなかった。


 忌々しさに、更なる怒りが湧き上がって来るのかと思いきや、

 リュティスがその時感じたのは奇妙な喜びだった。


 それは感情というより、魔術師の本能に近いところが疼いたというような感じだ。


 こいつに、自分の大魔法を凌げるほどの結界が張れると思っていなかったとリュティスはその時だけは妙に素直にそれを認めた。

 メリクに関する色々な思索を、放棄していたからかもしれない。



(得体の知れなさだ)



 生前、リュティスの憎しみを更に煽っていたもの。


 単なる魔性の子供というだけではなく、

 メリクは単純に優れているというだけではなく、

 そう……昔から得体が知れない所があった。


 幼い頃はお喋りだったのだが、

 瞬く間に寡黙を覚えて行き、

 己の心を決して晒そうとしなくなった。


 その胡散臭さが、尚更リュティスには忌々しく思えたのだ。


 こいつは何かを企んでいて絶対に信用ならない人間だと、

 リュティスは生前メリクをそう思い続けてきた。


 要領のいい子供だったので、

 魔術学院では成績優秀を収めていても、

 宮廷魔術師になれば野心が出て来るかもしれないと。


 その時は容易く殺してやろうとは思っていたが、そうはならなかった。


 メリク自身が、消え失せたからである。


 その消え方も妙だったので、リュティスの中には【天界セフィラ】に覚醒したあとも、メリクに対する気味の悪さや不信が強く残った。


 再会したメリクはサンゴール時代とは一変していた。


 魔術師としての技量はあっても精霊法を容易く軽んじてのうのうとする、

 そういう確信悪的な面が強く表層に出ていた。


 やはりこういう人間だったのだと、見限って終わりにしていたメリクという人間の考察に、じわりと続きが表われたような。

 だが単純な気味の悪さにならなかったのは、

 この完璧な結界術を目の当たりにしたからである。


 力量の無い魔術師でも魔術は使う。

 しかし、その術師の真価が必ず表われるのが結界魔法だった。


 本当に力のある術師にしか、唱えられない魔法なのだ。


 六種三十門ろくしゅはちじゅうもんの魔術を全て会得した上で、開かれる高位魔法であり、

 技術も感性も、小手先では操れない。



「……貴様がサンゴールで、

 俺に匹敵する魔術師かのように言われていることを、

 心の底から憎悪していたが…………。

 正直お前がここまでの結界術を操るとは思いもよらなかった」



 メリクが魔術学院に入ってからは、完全に自分の手を離れた。


 メリクが自分の自我を持って急激に魔術師として成長したのはこの時期のことで、リュティスは実際己の目でメリクとしての魔術師の真価を推し量ったことはない。


 そうする理由もないように思えたし、

 したくも無かったからだ。


 リュティスの中でメリクの印象はいつまで経っても、

 人を傷つけたあと「もう魔術を覚えたくない」と泣いていた、

 幼いあの姿で凍り付いている。


 それほど希薄な関係だったのだ。

 本当の姿が何一つ伝わらないほどに。


 数歩、歩み出る。


 この距離が、いかなる攻撃にメリクが転じて来ようと、

 必ずリュティスが反撃し対処出来ると考える距離だった。



「………………どうやらお前を少々見くびっていたかもしれん」



 メリクは手を強く握り締めた。


 咄嗟だった。

 結界を張ろうとしたという気持ちはなかった。

 しかしリュティスに攻撃などは決して出来なかったので、

 メリクは反射的に魔力を行使していたのだ。


 メリクが反射的に行ったのは、「身を守る」という動作だった。


 リュティス以上に、それはメリク自身に驚きを伴う自分の行動だった。

 リュティスから攻撃を受けて、咄嗟に自分を庇うなど。


 それではまるで自分を殺したいというリュティスの「願い」を、

 メリク自身の命の下に価値を置くようなものじゃないか、と彼は自分でも信じられない想いだった。


 でも仕方ない。

 本当にどうすればいいか分からない、

 その、極限状態で咄嗟に表われた行動だったのだから。 


 光が消えていく。


 腕の力で身体を支えていたメリクは土の上に崩れた。

 今の大魔法は防いでも、


 高熱の雷で焼け爛れた皮膚から、

 氷柱で貫かれた体から。

 血が、大量に流れ出している。





「…………不思議なことだが」





 瀕死の底で、第一の生では聞こえなかった声が、聞こえた。


「死傷を負ったお前を見て、

 心底喜んでいる自分がいる気がする。

 ……妙なことだが。

 お前はサンゴールにおいて無価値だった。

 災いさえ招いた。

 お前を殺すことにこんな喜びを感じるということは――、

 まるで貴様の価値がそれだけあるように思う」



(……リュティス様)



 メリクは急に、全身の痛みが消えた気がした。


 初めてだ。


 リュティスに「価値がある」と言ってもらえたのは。


 力を込めていた手から、抜けていく。

 瞳から静かに一筋、涙が伝った。

 もうここで命が終わってもいいと安堵と共に思った。


 リュティスは瀕死のメリクを見下ろす。

 そして手を伸ばした。


 蹲って泣いていた、魔性のこども。


 血に染め上げたとして、俺は何の躊躇いも感じない。


 胸倉を掴み上げ、もう一度【魔眼】を開く。



 ――今度こそ、その首を飛ばそうとしたその時だった。



 ハッと顔を上げると、真正面から白い稲妻がリュティスの額に向けて走って来た。






 ――ドオン!






 掴み上げていたメリクの身体を投げ捨て、身を避ける。





「……――まったく。凶暴な師匠だってのは聞いてたが、

 聞きしに勝る、だな」





 この場に場違いな、悠然とした声が響いた。

 リュティスはもう一度足元を薙ぎ払われ、魔力の壁でそれを防いだ。



「なあ。サンゴールの王子よ。

 いつからお前の国は、

 そのわだちから逃れたいと必死でもがいている人間の胸倉掴んで、

 命を奪えるほど偉くなったんだ?」



 足取り軽く、こちらに歩いて来る。

 一瞬心を閉ざし、消滅しようとしていたメリクの魂が、その声に反射的に覚醒していた。



「……、ラムセス……!」



 ぴく、とその名にリュティスの表情が反応した。


「へえ、一応俺の名を知っているのか。

 それは結構なことだが、

 言っとくが俺にとっての後世のお前らがどんなに俺を崇め奉ろうと、

 決して変える気のない信条がある。


 その1、俺のやりたいことを邪魔する奴は許さん

 その2、俺の身辺に手出しをする奴は許さん

 その3、本気だろうと冗談だろうと、

 魔術で弟子を半殺しにするような師匠は俺の中では最もたる底辺のクズに分類だ。


 ――おまえ、三項目全部に抵触してんの分かってるか?」


 軽い足取りでやって来たラムセスはメリクの側にしゃがみこんだ。

 取った腕が、大きく震えた。 

 驚いたようだ。

 メリクはいつもラムセスの気配を容易く追えるのに、

 今はどこにいるかも分からないようだった。

 だから不意に触れられて、驚愕したのだ。


(まあ、この暑苦しい魔力の真っただ中じゃな)


 深い溜息をラムセスが付いた。


「……手ひどくやられたな、メリク。大丈夫か」

「セス……、どうしてここに……――いえ! そんなことはいい! 離れて下さい!」


 慌ててラムセスの身体を遠くに押しやろうとしたメリクの腕をかいくぐり、ラムセスはその体を抱き寄せた。

「心配するな。そんなに怯えなくても大丈夫だよ」

「あの魔具は……! 【魔眼】は本当に危険なんです!」


「まあそうだろうな。古の魔具は精霊法の域では禁呪域に分類される。

 ただ危険なものと、対処出来ないものは同じじゃない」


 ラムセスは回復魔法をメリクに対して使ったが、あまり効果はなかった。

 この領域は一定時間外界に対して閉ざされた状態なのだ。


「貴様に、俺の【魔眼】が対処出来るのか?」


 ラムセスはメリクの髪をそっと撫でてやった。

「少しだけ待てるか、メリク。すぐに終わらせてやるから」


「! ラムセス! やめてください!」


 側から離れたラムセスを、メリクは追えない。

 必死に伸ばした手は虚空を切った。

 全く彼がどこにいるのか、分からないのだ。


「逃げて下さい! 貴方はこんなことに関わっては駄目だ!」


 ラムセスは小さく口笛を吹いた。

「聞いたか? あれぞ弟子の鑑だな。

 こんなところにお前みたいなと一人残されても、

『師匠』を守ろうとしてんだからよ」


 リュティスの【魔眼】が殺気を帯びた。

 ラムセスは悠然と腕を組んで見返す。


「貴様が先に首を飛ばされたいのか?」


「対処出来るのかとか、おまえ誰に向かって言ってんだ?」



 ――それは刹那で、


 一撃のこと。


 一瞬の怒り、

 苛立ちで、

 凶暴な魔力が動く。


 それが【魔眼】だ。


 魔力の【無制御状態イーヴルオーヴァ】。

 本来刹那的にしか発動しないそれが、

 術師の意識がある限り、永続して発動し続ける。


 ラムセスの左肩から盛大な血飛沫が上がった。


【魔眼】に対処方法など存在はしない。

 そんなものがあれば、

 リュティスは生前あれほど苦悩の人生を歩みはしなかったのだから。




 ――セス‼

 



 メリクは叫んだ。

 彼が何をされたのか、どんな状態なのかも分からないが、

 一瞬の魔力の牙の鋭さは、はっきりと感じとれた。


 どさ、と倒れる音がして、

 メリクは血を流し続ける脇腹を押さえ、何とか起きようとした。

 しかし痛みで上手く身体が動かない。

 それでも、声が届くように必死に叫ぶ。


 もう誰も自分の犠牲になってほしくない。



「リュティス様! やめてください!」



 足音は聞こえる。

 だが分からない。

 一帯の魔力が濃すぎて気配が追えない。



「貴方の怒りも嘆きも全部俺が受ける! 

 貴方は俺を殺すためにここに来たはずだ! 

 他の人間を殺めるためじゃない!

 貴方は自分の願いを果たせばいい。

 俺は受け入れる!

 殺して下さい!」



 叫んだ。


 生前、言えなかったこと。

 さっさと言えば良かった。

 メリクは強くそう思った。


 こう、第一の生で言えば良かった。

叫べば良かった。


 そうして怒りを買い、命を奪われていれば、

 他のことはどうあれラムセスがこんな死傷を負うことはなかった。


 自分などを気に掛けてくれた、


 優しい魂……。



(俺のせいだ)



 なんとか取り繕おうとしても、

 逃げても、

 結局その場は収まったと思っても、

 【闇の術師】の起こした行動の負荷は、どこかに現われる。


 しかも自分自身ではなく、周囲を巻き込む形でだ。


 側にいる者を必ず不幸にする。

 だから【闇の術師】は一人で生きて行かなくてはならない。


 そして死んで行く時も独りでそうするべきなのだ。


 リュティスも【闇の術師】ならば、

 同じ【闇の術師】であるメリクを葬っても、その死の業は彼を包み込みはしないだろう。





「そんなに俺が憎いなら、早く殺してくれ‼」





 心の底から、願った。


 




 ――――カッ!






 突如目前に眩しい光が吹き出した。

 強い魔力の気配。

 一瞬リュティスの【魔眼まがん】が動いたように見えて、メリクは身構えたほどだが、違った。


 リュティスは目を細める。

 目を焼く光を凌ぐためではなかった。


 莫大な魔力が吹き込んで来る。


 魔法陣が開いた。

 何の前触れもなく。


 それは奇妙な、あまりに唐突な開き方だった。


 メリクはハッとする。

 自分の身体に受けた傷が瞬く間に閉じて行く。

 裂傷が塞がる。


 回復魔法などではない、蘇生魔法レベルの魔力が動いた。

 だが、こんな一瞬で蘇生魔法が紡げるはずがない。

 あれは莫大な魔力を費やすし、場所を選ぶ。

 地脈の魔力をも変換出来る、そういう手順を整えなければならないのだ。


 リュティスの魔力に支配された空間でなど、到底無理だ。


 しかし実際に、

 ここに魔術は行使された。



「……やれやれ。痛いのは嫌いだ」



 仰向けに倒れていたラムセスは身を起こす。


「メリク、大分傷は塞がっただろ。

 でも失った血が戻るわけじゃないからじっとしてろよ。

 俺がちゃんと連れ帰ってやるから」


「セス……」


 呆然として、こっちを見ている。

 ラムセスの位置が分かるようになったようだ。


 メリクからは分からなかっただろうが、ラムセスはそんな彼を見て微笑った。


「メリクに魔術は苦しい、なんて教え込んだのお前だろ。

 大切じゃないなら、もっと適当に教えろ。

 厳格に教え込むなら、

 魔術の真理こそを捉えられるように教えてやるべきだろ。


 魔術は楽しいんだよ。

 

 奥が深く、

 興味を引いて尚、実戦にも応用が利く。

 生きるために便利だ。

 生き残るためにもな。

 何よりまだまだ解明されていない領域がある。

 ありとあらゆる手段を用いて、その解明に挑んでいく。

 それが、俺たち魔術師の使命だよ。

 ワクワクするだろ?」


【魔眼】を動かし、この五月蝿い口を黙らせてやろうとしたリュティスはすぐに異変に気付いた。


 それを見たラムセスがフッ、と笑い、

 自分の手の平で自分の片目を封じる仕草を見せた。


「見えにくくなっただろ。

 古の巨神イシュメルが切り裂いた闇の奥を、

 今お前は覗き込んでいるからな」


 魔術師ラムセスの前に、奇妙な精霊の動きがあった。



 ――リュティスは感じたことが無かった。



 瞳の奥を逆に覗き込まれているような感覚だ。

 ラムセスの目を紛れもなく見据えているのに、何も捉えていない感じがする。


「魔術は知識だ。

 知識は応用されて初めて、意味を成す。

 教本を諳んじているだけじゃ学べない魔術の操り方なんて五万とある。

 魔術を極めれば、自分の望みを果たすためにどう魔術を動かせばいいのかも分かる。


 つまりこの場合は、

 受けられないものは躱す。


 出れない空間ならば、その内側に新たな空間を構築する。

 そうすればその外界は異空に弾き出すことが出来る。


 尚且つ異空に触れると精霊というものは、

 逆の属性に転じて己を保とうとする特性がある。


 中でもその特性が顕著なのが――そう、闇の精霊だ。

 お前の馬鹿みたいに強力な闇の精霊のヤカラどもを、

 変換させてもらったぞ」



「【異空の呪言エスメス・ゲイズ】……」



 ニッ、とラムセスは笑った。


「正解だ。だがお前はどんなに優秀でも、

 弟子をいたぶる悪い師匠だから満点はやらん。」


「馬鹿な……」


「こんな使い方があるのか、って感じだろ?

 ――【異空の呪言エスメスゲイズ】は本来、刹那の亀裂を走らせるものだからな。

 等価の魔力を瞬間的に変移させる。

 だがこいつの真価はそれだけじゃない。

 完全等価の域に移行した【異空の呪言】は、

 物質を変移させる間、その空間を切り離す。

 切り離した領域は普通は一つだが、

 二つの術を重ねると一定時間そこに開いた回路を維持し続けることが出来るわけだ」


 リュティスは自分の左目に手をやった。


「そう、お前の魔具と原理は似てる。

 お前も開眼している間は対象物に魔力を流し続ける回路を開いているからな。

 憧れて俺もやろうなんて軽々しく思うんじゃないぞ。

 一歩間違えれば自分が異空に吹っ飛ばされるかもしれないからな。


 俺はお前なんぞこの世から無くなってもいいが、メリクはそういう考え方はしない。


 あいつはどんなわからずやだろうと自分に一度魔術の基礎を教え込んだ人間は師と呼ぶ律義者だから、師匠が異空に吹っ飛んで喜ぶような奴じゃあないからな!

 そういうこと、お前何にも分かってないだろ?

 物事の真価が見極められん後世のクソガキが、

 この賢者ラムセス様に敵うなんてまさか本気で思ってないだろうな?」


 陽気に笑い声が響く。

 リュティスはラムセスを睨むと、突然腕を振るった。


 雷撃が走る。


 ――ドオン!


「セス!」


「【魔眼】が使い物にならなくなったら即実力行使か。

 まるで手負いの狂犬だなぁ。

 ――とてもあの温和なメリクの師匠とは思えん」


 後ろに飛び退り、呆れるような声音を響かせたラムセスは指を鳴らした。

 炎の矢がリュティスに向かって飛んでいく。

 リュティスは容易く、魔力で相殺した。


 くっ、とラムセスは口許の端を歪ませた。

 それは全く彼が狙った通りの反応だったからだ。


 いかに古の魔具を所有しようと、神ではない。

 過ちを犯すに値する、

 単なる人間だ。


「だからそうやって……、容易く人の善意を無下にするんじゃない!」


 打ち合った魔力の波動が、急に中央から拡大した。

 相殺され、発散した精霊は一時的に精霊法の轍から外れる。

 その一瞬の機を掴んで号令すれば、

 その域に存在する全ての精霊を集約することが可能だ。

 精霊を集約することが出来るということは、


 ――魔法の形と成すことも出来るということ。


 特異な状況下による力の行使は、

 従来求められる魔法則の工程を飛躍的に省くことが出来る。


「!」


 呪印じゅいんが走る。

 メリクはハッとした。

 魔力を伴うから、目の見えない彼でも分かった。


 見たことのない呪印が闇の中に素早く走る。

 光の軌道を紡ぐ。


 練熟の魔術師は詠唱を必要としないことは知っている。

 それは優れた魔術師の証。


 ――だが、消えた呪印や詠唱は――、

 精霊法の中では一体どこへ移行したことになるのだろうか?


 敢えてラムセスは呪印を描き、残したのだと分かった。


 精霊が妙に好むのだと彼は言っていた。


 一つ。


 二つ。



 ――――三つ。



 魔術師が複数の魔術を操るのは高位技術だが、

 瞬間的な限度は常に二つである。


 彼だけが操るあの呪印を以って、 

 有り得ない三つめの呪印を魔術師ラムセスは同時に紡いだ。



「一人時間差って分かるか?」



 光と闇の区分に――もう一つの時間軸。


 操るのは至難の業だが、「不可能」なことではない。



「放たれた魔術を相殺する方法なんぞ、

 山ほどある。

 精霊法が指し示す星の数だけ。

 だがお前は魔力殺した。

 単なる【魔力】だ。

 そんなもの――【魔術】じゃない。

 精霊法を侮ってる証拠だ」



 反応し合う精霊の密度は、

 二つの呪印に導かれた時の比ではなかった。


 まるで花が蕾から開花するような、

 精霊たちが輝くような優雅な動きを形成した。

 

 三界さんかいに同時干渉することは、精霊法では禁呪域に属する。


 だがこの精霊たちの動きは……、


 禁じられていないような、

 一つのすでに完成した魔術のような動きだ。


「これはまだ正式に他人にぶち込んでいいようなものじゃないんだが、

 まあ細かいことはいいだろう。

 俺もサンゴール時代は魔術というものを全く理解しない、

 そこにいる愚鈍な連中を殺してやりたいと思ったことは何度もあったが――」


 唇で笑みを象っていたラムセスは、

 突然笑みを掻き消し、真紅の瞳を獰猛な魔性の光に輝かせた。




「――よしぶち殺そうと思ったのはお前が初めてだ。」




 すでに従来の魔法則からは外れた、力の脈動がある。


 だから、

 魔言まごんは、一つでいい。



 




  

    ――――【連立の業火ファナフレム】‼ ――――





 咄嗟にリュティスが張った結界は意味を成さなかった。


 彼の結界は「視える世界」に対処したもの。

 魔術師ラムセスはまだ視ぬ世界を紡いだ。


 リュティスの張った結界はラムセスの魔術を「捉え切れなかった」のである。



【彼は地上に君臨する全ての偉大な魔術師の父】



【魔術大国と呼ばれたサンゴールの創始の魔術師】




 難なく結界を透過した魔術の流星が、

 完全に闇の因果を根こそぎから薙ぎ払った。




 




      (星をも降らせる……)







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