第6話


 森の深くに入って行く。


 ふとメリクは随分歩いてから、自分が苦も無くリュティスの遅くない歩みについていけていることに気付いた。

 ラムセスと歩く時は、彼の気配を追っている感じがするがリュティスのことは無意識に追っていた。

 記憶を辿ったと言っていいほど、生前からこうして追ってばかりいたから癖になっていたのかもしれない。

 無意識について行けた。


 ついて来いと言ったきりリュティスは一言も喋らなかったので、無言のままついて行く。


 何だろうか、と考える。


 ミルグレンのことかもしれないと漠然とメリクは思った。

 というよりも、リュティスが自分に声を掛けて来る理由がそれくらいしか思い浮かばなかった。


 以前にも一度ウリエルに追従し、地上で戦闘に参加した時に、俺の前で魔術を使うな不愉快だと釘を刺されたことがあるが、あれ以来リュティスの側では魔術は使っていない。

 

 だが正直な所「見当もつかない」状態だ。


 生前からもリュティスはメリクの思いがけない角度から、思いがけないことに苛立っていたりする人だったからである。


 手を挙げられたとか、叱責されたとか、そんなものはむしろリュティス相手には分かりやすい怒りの仕方で理由も明確だったため、ある意味、気は楽だった。

 辛いのは、自分の何にリュティスが怒っているのか、苛立っているのか、

 何も理解出来ず、察してやることも出来ない時である。


 悲しいかな、リュティスとメリクはそういうことの方がずっと多かった。


 ミルグレンのことならば、

 恐らく彼女がウリエルに追従するメリクと行動を共にすることを、どうにかしろということではないかという見立ては立った。


 国は無くなって、リュティスにとって女王であったアミアカルバの意味は、意味合いを強く失いつつあるが、国が無くなっても彼の中でミルグレンの重要性が減ることはない。


 リュティスがウリエルに同心してるとは思えないし、アミアカルバの話では自分を蘇らせたウリエルに対しても激怒しているということだったから、【天界セフィラ】の戦いにミルグレンが巻き込まれることは、彼としては必ず避けたいのだろう。


 ……気持ちは分かる。


 メリクは、自分の魂の現状が分かっていた。


 現時点で正確にそれを把握しているのはメリクと、ラムセスだけであった。

 彼は話を聞くうちに、メリクの魂がすでに消滅の流れの中に入っていることを感じ取ったらしかった。


 ミルグレンを無理に押しとどめることは出来ない。

 彼女にも魂がある。好きなようにさせるしかない。

 生前のように言葉で説得しろ、というのが無意味であることくらいリュティスも分かるはずだ。


 魂が消滅の軌道に入ってるメリクには、もうどうしようもない。


 それでも。 


「リュティス様。思われているのは……ミルグレンのことですね。

 俺がウリエルの追従を決めたことで、彼女も天界の因果に巻き込まれようとしている」


 リュティスが立ち止まる気配がした。

 それを感じ、メリクも一定の距離を保って、足を止めた。

 昔から、この一線を踏み越えるとリュティスが許さず、追い払って来る距離というのがあった。


 彼の場合その時々でそれは曖昧ではあるのだが、メリクがそこにいることが偶発的に起こったならば、その距離を守っている限りは分を弁えていると捉えるようだ。


「……俺は今は精神体の状態で、どこまで可能かは分かりませんが……ミルグレンが天界の犠牲にならないよう、最善は尽くします。説得も可能な限り……」


 そのくらいのことしか言えないのだ。

 生前メリクは確かにミルグレンを国に戻す説得が出来なかった。

 だが今とはあの時と、説得が出来ない事情が異なる。

 あの時は気持ちで出来なかったが、

 今は説得する方法がないのだ。


 アミアカルバ達と行けと命じた所で、それをミルグレンが心から望まない限り、無理に戻しても彼女の魂は消滅してしまう。


 リュティスとて、それは分かっているはず。


 説得も可能な限り試みる……、と言おうとした時だった。





 魔術師は時に、「一秒」を通常の人間より長く捉える時がある。





 精霊の動きは光よりも早い。

 だからその多段的な動きを追っていることで、

 一秒を非常に長く「視る」ことがあるのだ。


 メリクはその時まさに、不意に渦のようにうねった精霊の動きを感じた。


 それは、通常の動きではなかった。

 また呪文や呪印に誘われた動きでもない。

 異質な動きだ。

 感覚で言うと自分の周囲がぐにゃり、と歪んだような感じがした。


 平衡感覚を失うようなぐらつきを感じたのとほぼ同時に、メリクの肩は貫かれていた。

 痛みを感じ、本能的に身構えたその左足に、二撃目が来る。


「!」


 脳の奥で、キィン、と甲高い音が鳴った気がした。


 魔術師が魔術で攻撃を与えられた時の反射行動として、咄嗟に障壁を自分の前に構築したが、突如目の前で光が爆ぜるような感覚がした。


 メリクには、分かった。


魔眼まがん


 その気になれば、彼は瞬き一つで相手の首を飛ばすことが出来る。



 ――ドォン!



 メリクはリュティスの魔力の直撃を受け、まともに後ろに障壁ごと吹っ飛ばされた。


 ここまでが、一瞬のうちに起きた出来事だ。


 足音が近づいて来る。

 リュティスが、自分の足で、

 メリクに向かって歩いて来るなど、生前一度たりとも無かったことだ。


 メリクの動揺など全く意に介した様子もなく、

 まるで自分の行動の稀有さの自覚も無く、


 リュティスは躊躇いも無く――一線を踏み越えて来た。


 メリクが永遠に、彼には許されないだろうと思い、

 守り続けてきた線を、

 呆気なく。


 リュティスは倒れていたメリクの胸倉を掴み上げると、【魔眼】を開眼させた状態の、黄金色の魔性宿る瞳で、その顔を見下ろして来た。



「……首を吹っ飛ばしたつもりだが。勘のいい奴だ」



 吐き捨てるように言い、リュティスは押し黙っているメリクを睨みつけた。


「生前あれだけ無礼に俺の目を見据えて来たくせに、

 この生では目を失って召喚されるとはな」


【魔眼】は無論、目を合わせなければ躱せるほど生易しいものではない。


 攻撃は出来るが、【魔眼】は魔力の発露する魔法陣が表層に現われてる状態なので、

 敵の瞳と繋ぐと直接相手に精神攻撃を与えたり、対象の内側干渉出来たりする。

 つまり、一切の防御行動を無効化しこちらの攻撃を与える『回路』を生み出すのだ。


 だから瞳が合っている状態の方がより効果は顕著なのは確かだが、外部から攻撃を与えるのには、相手が目を閉じていようが目を反らしていようが関わりはない。


「この【魔眼】は人の世の業。

 そしてサンゴール王家の業。

 貴様を殺すのならこの【魔眼】の至純な力でそうしてやりたかったが……

 生前から油断ならん忌々しい小僧だと思っていたが、

 こんな時にも一筋縄ではいかん。

 お前は何度蘇っても変わらんな」


 リュティスの腕から白雷が走り、捕まっていたメリクはもう一度薙ぎ払われた。

 背が木の幹に打ち付けられ、膝から崩れ落ちた所に、上空に凄まじい爆音が響いた。


「くっ、」


 何も見えない。

 勘だ。

 おおよその動きを予想し、何の根拠もなくメリクは横に体を投げ出していた。

 大きな震動がして巨木がごく側で倒れたのが分かったが、

 正確な自分の位置と、状況は把握出来なかった。


 リュティスの魔力が吹き出している。


 この一帯を支配し、憎悪の一色に染めているため、細かい魔力や精霊の動きを読んで周囲のものを把握しているメリクには、全く何も読めなくなった。


 なぜ、という疑問だけが浮かんで来る。


「どうして自分が攻撃を受けるのか、分かっていないような顔だなサダルメリク。

 死線を越えて、第一の生での罪が記憶と共に流されて、

 この天上で、生かされて行くと思っていたか?

 お前のその、人の心を食ったような顔がどれだけ俺を苛立たせていたか、

 自覚も無かったのか」


 笑いが聞こえる。

 嘲笑だ。

 リュティスが嗤っている。

 生前、一度として聞いたことのない声だった。


「ミルグレンなど、サンゴール亡き今、俺にとって何の意味があるというのだ?

 あれはお前を追い、サンゴールを捨てた女だ。

 その時点で、その存在価値もお前同様失われた。


 ――貴様がウリエルと共に行こうが!」


 雷撃が側を走る。


 メリクの頬を痛みが走った。

 直接触れたのではないが、強い魔力の一閃に、痛みを感じた。



「地上で再び泥にまみれようが!

 俺はどうでもいい‼」



 逆の側にもう一撃が来る。


 リュティスが魔術をこんなに無駄に打つことこそ、メリクは信じられなかった。

 そして気づく。

 自分が共に城で生きていた時のリュティスが、

 どれだけ理性的に自分を御している状態だったかを。


 幼い頃は自分の感情で【魔眼】を暴走させていたと聞いていたが、

 メリクにはどこか、信じられなかった。


 サンゴールの人間達の様子を見る限り、幼いリュティスの心に彼らが耐えがたい屈辱と、痛みを負わせ、まだ子供の心を持っていたリュティスが耐え切れず反論した、その程度にしか思っていなかった。

 そしてそれはメリクから見たら、暴走などではなく人として当然の怒りだと思ったのだ。


 リュティスから憎まれていることはひしひしと日々感じていたが、自分はリュティスの理性的な顔しか見たことがなかった。


 ……あんな生でさえ、見せられたことが無かったのだと。


 リュティス・ドラグノヴァが国を失うことの、意味。


 全ての制御のたがを失う。


「俺の力は戦いの為にあるべきだとアミアカルバは言ったが、

 まったく、その通りだな。

 地上を彷徨う程度の魔物や不死者程度を屠った所で、

 この古の魔具は血の犠牲を求め続ける。

 俺に、殺すことを!」



「……リュティスさまッ!」



 耐え切れず、湧き上がって来る痛みと嘆きを、吐き出すようにメリクは叫んだ。


 その体を雷球が飲み込む。


「――――!」


 メリクは地面に崩れ落ちる。


 肉の焦げる匂い。

 内側から焼き尽くされるようだ。


「……だが、忌々しい天使狩りはこの際後回しだ。


 ……俺は自分の望みをずっと考えていた。

 サンゴールを失って尚、願うものなどないと思っていたが、

 存外下らないが、果たしておかねば気の済まない望みが残っていた。


 何度、城でお前を見かけるたび、国の行く末を案じるたび、

 お前を殺してやりたかったことか、分かるか? 


 殺しを望む竜の業と、全く違うことを望み、

 血を飼いならす痛みを、

 お前の目はいつもいつも、

 大したことではないのにと語って見上げて来た」


 メリクは焦げ爛れて行く腕の痛みに爪を立てて、歯を食いしばった。


 確かに、メリクはリュティスの【魔眼】を大したことがないと思っていたことがある。

 だがそれは誓って、彼の苦しみや背負った業を軽視して思ったことではない。





(愛していたから)





 その魂を愛していたから、その人が抱える業も、受け入れられた。

 全ての人間が否定し、恐れても、

 自分だけはそうなりたくなかったから。


「――その目を見るたびに、望みのままにズタズタに切り裂いてやりたいと思っていた。

 お前は、自分がどれだけ生かされていたか知る由もないな?

 後継者争いが起こることを恐れて出て行ったなどと言う奴がいたが、

 貴様など俺は、俺がその気になればいつだって殺してやれた‼


 アミアカルバが泣こうが、

 ミルグレンが泣こうが――国がそれを望むなら‼」


 立ち上がろうとした脇腹深くを、鋭い氷柱が貫いた。


 魔力が渦を巻く。


 生前サンゴールの敵の多くが、リュティスの魔術で葬られた。

 彼は自分の戦っている所に決して人を伴わなかったので、メリクも見たことがない。


 だがこれが、

 葬られた『敵』が、

 死の直前に感じた世界なのだ。


 地から離れた身体は後方に飛び、メリクはもう一度地面に叩きつけられる。



(これだけの……!)



 これだけの怒りを、生前のリュティスは自分に対して持っていた。


 持っていて尚、それを完全に封じ込めるほど――強い人だったのだ。


 メリクは傷んだ。

 身体の傷は勿論だが、胸の奥の痛みは遥かにそれを凌駕した。


 記憶に残るリュティスの姿は、

 メリクにとってひたすら気高く美しいものだったから。


 共に堕ちて行くならどれだけでも構わなかったが、

 自分への怒りと憎しみで、リュティスが堕ちて行く。


 それは耐え難かった。




「反撃してみろサダルメリク!

 お前の力は俺にさえ対抗出来ると言われていた。

 王宮に紛れ込んだ異端の分際で、

 サンゴール王家の魔統に並ぶなどと思い上がったその力で!

 俺はその力ごと貴様を打ち倒してやらなければ、

 永遠に魂の安らぎなど訪れん!


 この血の宿業に相応しい犠牲は求めに行く。

 だがその前に貴様だけは必ず殺す‼」




 メリクは痛みで掻いた泥を、手の中で握り締めた。


 反撃などない。 

 

 メリクはリュティスに対して、魔術を使わないと心に決めている。


 これは誓いだ。


 幾度生まれ変わろうと自分の宿命が魔術に結びついている限り、

 その器に魔力を見い出し吹き込んでくれたリュティスへの想いは変わらない。


 自分は【闇の術師】だ。



 ――リュティスへの想いが、光だった。



 だからその闇の力でリュティスに攻撃を与えるなどは、考えられないことだった。


 それだけは必ず守る。

 例え命を奪われてもだ。


 そこまで考えメリクはふと、そういえばリュティスにならばこの命を奪われても構わないと、そもそも自分は考えてはいなかったかと思い出した。

 生前、彼に人間としての本質を疑われていることが何よりも辛く、そんなに疑うならば殺してくれと願ったこともある。


 貴方の為になら死ねると、メリクは本気で思っていた。



『サンゴールの為というのなら、お前は消えた方がいい』



 それで魂の潔白がリュティスに対して示せるのなら、

 彼が邪心の無い者だったと納得してくれるのなら、全然構わなかったはずだ。


 メリクはそう思ったが、


 リュティスの気が済むのなら、

 第二の生をこうすることで前向きに捉え歩み出せるというのなら、

 心から彼に殺されてやりたいと思ったが、



 …………心の片隅に、釈然としないものが感じられた。



 それが命を失うことへの躊躇いではないのは分かっても、何かは分からない。


 でも確かにある、

 それで本当にいいのか、という迷い。


 完全に倒れたまま、沈黙したメリクを蔑んだ目で見たリュティスは舌打ちをした。



「反撃一つ出来んとは。――カスめ‼」



 リュティスは片腕をバッ、と動かした。




 ――【燎原りょうげんの……】



 リュティスの魔言。


 響く声は今でも、メリクの胸の奥を震わせる。


 澱みのないこの人の詠唱を聞ける喜びが、メリクにとっての魔術の喜びになった。


 自分への呪いの言葉を吐いても、

 やはりリュティス・ドラグノヴァの魔言の謳い方は美しかった。



       【業火に眠る】

    【百連ひゃくれん言霊ことだま】 

             【あまねく風がこのてのひらに集い】

                 【天上のそこを震わせる】



 リュティスの【魔眼まがん】はまだ開いている。

 凄まじい魔力が吹き出して来ている。

 あれは彼の中に普段眠っているもの。

 あれだけの強大な力を飼っているのだ。


 開眼したままの炎の大魔法。


 リュティスの精神が今、振り切れていたとしても、

 その判断は明確に目前の敵を消滅させる為に選ばれたもの。



 リュティスが人生でたった一度自分に見せた、

 これほどの、強い嘆き。


 ――食らってやりたいと心の底から思った。


 今の体は【天界セフィラ】では実体化されても本質は精神体なので、

 傷は魔力で瞬く間に癒える。

 それでもあまりに酷い死傷を負い、身体を失えば、その苦痛に魂が綻び死は迎える。


 これを食らえば死ぬのだと思った時、

 北嶺アフレイムに一人で向かい、

【次元の狭間】にも辿り着けず敵から死傷を受け、

 雪に埋もれて死んで行く時の記憶が蘇った。


 果てしなく孤独で、誰もいないまま死んで行くんだと思ったこと。


(なにかが)




      【炎神えんしんしるしを刻み】

   

            【大地の盟約と成せ】


               

(なにかがちがう)




    【天に捧げる】

   

  【業焔ほのお魔言まごん】   



 あの時と、今は。



(なにかが!)



 上空に闇と、火と、

 消滅を担う雷の精霊が渦を巻きまるで炎の羽根のように広がって行く。






   ――――【紅蓮の咆哮エンシャント・メイズ】‼――――






 リュティスは躊躇いなく、最後の詠唱も放った。


 怒りのままに。


 炎柱が天空から打ち下ろす。





 凄まじい轟音と――――地が揺れた。




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