第5話



 そろ、と顔を覗かせると、窓辺に座ったラムセスが本を読んでいる所だった。


 本の海である。

 窓辺だけがすっきり開いていて、そこだけが座る場所のようになってしまった。

 ラムセスとメリクはそのせいか、よくそこに座って話し込んでいる。

 だが、今はラムセスだけのようだった。


 キィ、と声がして、集中していたらしいラムセスが気付いた。

「よう」

「あ、お、おはようございます。すみません」

 赤蝙蝠が飛んで来て、エドアルトが抱えていた袋にくっついた。

「ああ、魔石持って来てくれたのか。悪いな」

「あっ、いえ! いいんです、俺こういうことしか手伝えないし。洞窟探検はいい修練になりますから! 全然気にしないでください!」

 フッ、とラムセスが笑ったのが見えた。

「その辺置いといてくれるか?」


「はい。……メリクは隣の部屋ですか?」


「いや。今日はまだ俺も見てない。その辺を気分転換に歩いてるんじゃないか?」

「そうですか……」

「いい天気だもんなぁ……俺も眠くなるよ。やっぱり集中するなら夜だよな」

 大欠伸をして、ラムセスは窓辺に足を伸ばし、壁に背を預けて寄り掛かった。

 なんだかこのまま寝てしまいそうな気配だ。


「……ラムセスさんなんか、空気変わりました?」


「ん?」


「あっ、いえ! なんか前は、ホント一秒が惜しいって殺気立ってた感じしてたから」


 ラムセスは赤毛をわしわしと掻いた。


「んー。まあなあ。そりゃウリエルに追従すると決めたからにはいつ【天界セフィラ】から追放されるから分からんからな。

 ……まあけど……。

 根の詰めすぎは要するに結局、いい集中の妨げになるってことだ!

 心配すんな。暗記は捗ってる。

 メリクのおかげで莫大な資料もかなりのものが持ち出せそうだし。

 ――あいつってホントに有能だなあ!

 弟子のお前らが神様みたいに崇める理由何となく分かるよ。

 俺にとっては有能な助手だが、

 お前らみたいに魔術の凡庸には、そら凄腕の魔術師に見えて当然だ。

 見る目、あるよ」


 エドアルトはラムセスがメリクを誉めたので、嬉しい気持ちになった。


 魔術を学んでいるエドアルトにとって魔術師ラムセスは偉大な人物だ。

 でも彼は思い描いていたよりずっと若く、付き合いやすい人だった。

 勿論すごい術師だということは分かるし、

 不思議な行動に満ちた人物ではあったが、心はずっと分かりやすい。


 こうして彼はメリクを躊躇いも無く誉めたりする。

 もっと気難しくて気位の高い人を想像していたから驚いたほどだ。

 魔術のことになると真剣だけどよくはしゃぐし本当に楽しそうだし……。


 サンゴール時代、苦しんだメリクには、国の魔術師の中で最も高名なと言ってもいい彼が自分を誉めることが、驚きだろうと思う。


(でも 嬉しいだろうな)


 生前彼は国では一度たりとも力を認められたことはないから。


 どんな人生なんだろうと思う。

 常に疑われ、嫌われ、それを辛いと言えないことは。


「バットの世話も上手いしな」


 白いフカフカの毛の蝙蝠は、いつも魔術師ラムセスの側にいる。

「結局そいつって新種なんですか?」

「っぽい。だがまだ分からんな。単なる突然変異かもしれんし。

 その割には六種三十門の魔術を使えるっぽいっていうのは手が込んだ突然変異って感じがするから、俺的には新種じゃないかと思うんだがなあ。

 この答えが出るのはまだまだ先かもな」


「ただいまぁーっ!」


 ミルグレンがバン! といつもながら蹴破るように飛び込んで来た。

 白蝙蝠は彼女のこの気配が苦手らしく、いつも彼女が来ると逃げて別の部屋に飛んで行くかラムセスの帽子の中に潜り込むか、外に飛び出していくかする。

 白蝙蝠は隣の部屋へすっ飛んで行った。

 そして細い隙間に平べったくなって潜り込んでるのである。

 

「メリクさまーっ! 見てみて! この【サイスの水晶】この前のよりずーっとメリクさまの瞳の色に近いと思うの! エヴァリス伯母様にも聞いたんだけどここまで明るい色合いのって珍しいんだって! すごく高値で売れるとかお母さまが空気読まないこと言ってたけど絶対ヤダ! これ加工して私イヤリングにします! そうしたらメリク様のペンダントとおそろ……」


 ミルグレンは本の海を容赦なく踏んでそこまで一息で喋りながらやって来ると、随分時間が経ってから気づいた。

 気づけば窓辺の赤毛の魔術師は大欠伸をして、エドアルトは半眼になって口許を引きつらせミルグレンの方を見ている。


「アレ? メリクさまは?」

「おまえ気づくの遅いよ……」

「なっがい独り言だなあ~」


 ミルグレンはムッとした。

「なんであんたたちがいんのよっ!」

「ここで『なんでメリクがいないのか』と言わない所がコイツの不思議なところだよな」

「そうなんですよ。本当こいるメリクが世界の中心なんです。メリク中心で世界が回ってるんですよ」


『ラムセスの部屋』で堂々と何故メリクがいない! と悪態をついたミルグレンに男二人が呆れる。だが彼女にとっては男二人のぼやきなんぞ、どうでもいいことだった。


「なんでメリク様がいなくてあんたたちが揃ってんのよ! 

 エドアルト! あんたどこにメリク様置いて来たの!」


「置いて来てない! 俺はちょっと父さんのとこに行って話があったから、まだ今日はメリクに会ってないんだよ!」


「私は今の今までダンジョンに入って敵を殲滅して換金性の高いアイテム狩りをして来たのよ! この私が尊い労働をしてるのにあんたはその間パパと雑談⁉ 舐めてんの人生!」


「うわー! すぐ怒るなってば! 本を! 投げるな! お、お前こそちょっとくらい親に顔見せて来いよ! 今のうちかもしれないんだぞ! 会えるのは。お前はメリクとついて行くんだろ?」


 ミルグレンがふん、と鼻を鳴らした。


「だから会って来たわよ。挨拶だけねっ! ほんとはそんなのもいらねえ! って思うけど、あんまりそういうことしたらリュティス叔父様がそんなことでメリク様にお前のせいだとか言いそうだからさ! ちゃんと挨拶して来てやったわよ。

 ――そういえばお母さまとオルハだけしかいなかったわ。

 叔父様が出掛けるなんて珍しいわね。ほんと出不精なんだから……」


 ぽかぽかする窓辺でうつらとしていたラムセスは何となく耳に残った名に、瞳を開いた。


「あの人っていつもああいう感じなのか?」


「そーよ。サンゴール時代も、ほんとずーっとずーっと侘しい奥館に籠ったっきりで。

 あんなとこに籠って一日一体何をそんなにすることがあるのよ⁉ 理解に苦しむわ!

 ホントに生きてんのか死んでんのか分かんないくらいの頻度でしか歩き回んない人なんだから! 余程の用事がないと表に出て来ないのよ!」


 なんとなく、そんな人物像だっただろうか? とラムセスはぼんやり会話を聞きながら窓の外の景色を眺めていた。



『あの人は王族としては、凄まじい行動力を持つ人ですよ』



 メリクの言葉を思い出した。

 ああそうか、あいつだけがそれを知っていたんだっけ。

 確かこいつは【魔眼まがんの王子】の姪だったはず。

 サンゴールの民はあの人の真実を知らない、と言っていた。

 とするとこいつもその知らない方に分類されるのか。


 母親とは協定関係にあったから【魔眼の王子】が、国の為に裏で暗躍して闇討ちめいたことをしていたことはアミアカルバの方は知っているのだろうが、この娘は知らないらしかった。


「全くこんな時にもお散歩なんて暢気な叔父様なんだから……」



『凄まじい行動力を持つ人ですよ』



 何故、妙にその時メリクのその言葉を思い出したのかは分からない。

 だが一度頭に響くともう、消えなくなった。


 しかし魔術師であるラムセスにとってはこの妙な感覚も、よく馴染んだものだった。

 そして無論のこと、

 この感覚を覚えた時にどうすればいいのかも、彼はよく熟知していた。


 ラムセスは広がる草原の向こう、深い森林地帯の方に目を向けた。


「――……。」


 ばさり、とラムセスが不意に立ち上がり、上着を掴んで歩き出した。


「……ラムセスさん?」


 なにやらワイワイと言い合っていた二人の側をすり抜けて行った彼に、エドアルトがふと気づく。


「ちょっと外に出て来る」


「あっ! なにか必要なものだったら俺取って来ますけど……」

「いや。大した用じゃないからいいよ」

 軽くそう言って、彼はそのまま部屋を出て行った。



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