第4話


【天界セフィラ】の広い草原をゆっくりと宮殿の方へ歩いていた。


 メリクは今、魔術師ラムセスの研究を手伝っている。

 目が見えない状態なので手伝っているといっても大したことは出来てないのだが、

 ラムセスは記録を保管する重要性をよく知っている。


【天界セフィラ】を去るかもしれない。

 今のうちに出来る限りこの地の知識を書き写しておきたいという彼の欲求は凄まじく、だからこそメリクは自分でも必要とされていることを感じられた。


 彼の側にいてその思索と発想の記録を取ること。


 魔術師ラムセスといえばサンゴールの魔術師にとっては特別な存在だったが、

 実際こうして知ることになった彼の魔術知識と、研究領域の広さ、

 探求心の強さ、

 魔術師としての物事の捉え方の鋭さは、類い稀なものがあった。


 うろ覚えとはいえ、優秀な魔術師に囲まれて暮らしていたはずのメリクでも驚くもので、彼に比べれば、本当に自分は凡庸な術師だと思う。

 学び続けなければ魔術師ではなくなると教えられたが、あれは多分正しい。


 その上【天界セフィラ】を追放されるかもしれないと思った瞬間、途端に焦り出したあの様子からも、どれだけ知識に貪欲なのだと思う。


 平和な時代のこととはいえ、さすがはなんの後見も無くサンゴール城に乗り込んだ上、その魔術師としての卓越した知識と才と力で、王宮を征服した人物である。


(でも)


 メリクはとっくに自分の魔術師としての力量を見限っていた為、

 生前の、魔術学院のような組織に近づくことに興味はなかった。

 だが意外なほどラムセスの研究の書き留めを手伝う間は、魔術に対して集中出来ている自分を感じる。

 無論、向こうがそんないい加減な態度を魔術に対して許してくれる雰囲気ではないというものもあるが、ラムセスが与えて来る緊張感は、メリクには何故か心地が良かった。


 何かに集中していた方が楽――そんなことだろうか?


 生前もそういえば、苦しい時ほど何かをしていたかったと思う。



 ザザザザ……



【天界セフィラ】の広大な草原。


 風がなだらかに下って、丘の下にある湖に向かって吹き込んで行く。


 目を閉じ、風の行く先を追っていたメリクはふと……ある時気付いて振り返った。


 何時からそこにいたかと思うほど、突如気づいた。

 生前は、こんな密やかな気配を纏う人ではなかったのに。






「………………リュティスさま?」






 さすがに半信半疑だった。


 ここは【天界セフィラ】だ。


 彼はここで目覚めてからは非常にこの地を嫌い、もっぱら地上に下りたままになっていると聞いていた。


 あまりに気配が静かで、一瞬は気のせいかと思ったほどだ。


魔眼まがん】が開いている時はともかくとして、確かにこの人は普段は、己の力を覆い隠すための完璧な制御術は会得している人だったが……。



「ついて来い」



 声にハッとした。

 初めてはっきりと、リュティスの位置を把握出来た。


 懐かしいような声だった。

 静かにただ、響く。


 いつからかリュティスは自分の前では苛立ちや、怒りを押し殺した、

 そういう声しか出さなくなっていたから。



『魔相の出ている子供だな』



 あの幼い日に聞いた、その声に似ていて、

 命じられたメリクは歩き出したリュティスに向かって躊躇い無く足を踏み出していた。


 この人はいつも、たった一言で自分の心を強く支配するのだ。



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