第1話:老人を突いて変人を出す〈1〉

 ここは裏が表で、表が裏の世界。

 つまり怪しいものが表であるということ。


 この世界はあやかしが住む、現世うつしよと呼ばれる人間の世界を回っている、常世とこよである。



   * * *



 居酒屋へ行った帰り。


「うう、杖。杖はどこじゃ?」


 擬宝珠ぎぼしのついた橋の上で蹲っている、一つ目の老人がいた。

 暖かく質のよさそうだが、少し汚れた着物を地につけ、手探りで杖を探している。


 今は夜。


 現世の江戸時代と呼ばれていた頃が終わり、それからというもの貿易などしていなかった常世が、現世と再び交流を始めたのがここ五十年。


 現世から『電気』という技術は入ってきたが、常世にはその材料となるものが少ない。

 その為、夜に歩き回る際には人魂を入れた提灯が必須だった。


「なあ。あれ、拾うか?」


 後ろから声がした。


「ほっとけば、そのうち拾うだろ。現世ではそっちの方がかっけえんだってさ」

「こそ泥が格好つけたがるか。だが拾ってやろう。借りは作っとくもんさ」

「確かになぁ」


 結論は出たようだ。

 先頭にいた私は蹲っているひとに向かって歩く。


「爺さん。これ、おめえのじゃねえか?」


 杖を差し出す。

 と同時に目を下に寄せ、顎を上げながら、口角を横に広げるようにして、笑みを作る。


「ああ、これはわしの」


 受け取った老人は目を瞑ったまま杖を触り、頭をこちらに深く下げた。


「本当に助かりました。……お名前を伺っても?」

正造しょうぞうだ」


 それが、今けているひとの名前だ。

 なぜこのひとに化けているのか、という疑問はないし理由もない。


「そうですか、正造殿。本当に申し訳ないのじゃが、あともう一つだけ。妖登ようとへの道を教えてはくださらないか?」

「へえ。なんでだい?」


 首を傾げる。

 それが正解だと知っている。


「わしはこの通り、目が見えぬ。瞼が開かないのじゃ。だから将軍様のお膝元に行けば、誰かしらは治せる者がいるのではないかと」

「それなら……」


 答えようとしたところ、後ろから肩を掴まれた。


「待てよ。代わりに俺達の話を聞いちゃくれないかい?」

「もちろん」


 頷く老人。

 私は後ろにさがる。


「今、金に困っててな。最近、物騒だろ? 聖杜せいとに行った時、何者かに襲われちまった」

「なんと!」


 その声の響きは、今の話を間に受けている妖のものだ。


 続けて老人は、ここに来る前に自分もその近くで襲われて数人殺されてしまったと言った。

 この話はこちらにとって都合がよいというものなのだろう。


「なんとかわしは助かったが……。おまえさん方は?」

「ああ。……数人な。……申し訳ねえことしちまった」


 震える声は、上がった口角が見えない老人にとって、別の解釈をもたらす。


「……そうかえ……お気の毒に」

「ああ。それでせめて目的の地に行こうとしたんだが、それには金がねえと……。持ち金だけでいいんだ。分けちゃくれないかい?」


 それを聞き、老人は懐に手をやる。

 周りの者は笑みを深めた。


「今は大きい金しか残っておらんのじゃ。妖登まで護衛として共に来てくれるならば渡せるものだが……」


 あからさまに口角と眉を下げる周り。

 同じ顔をする。


「……なら、もしここにいる者で治せる者がいたとしたら、どうだい? その金額、払えるか?」

「当然じゃろう?」

「その目を治せばいいんだよな?」

「ああ」

「なら」


 ぐいっと肩を掴まれる。


「こいつぁ、腕効きの医者だぜ、爺さん」

「そうそう。こいつの作る薬は他より効きがいいって噂だしな! 旅の医者で有名だぞ」


 そう言って、二人は目を細めて、こちらを見た。

 こういう時は頷くのが正解だと知っている。


「本当、か?」

「ああ。たくさんのひとに知らせちゃ、移動するのが難しくなっちまうからあまり有名じゃあねえが」


 そう言って、周囲に人がいないかどうかを見ている。

 やがて老人に向き合った。

 

「……無理だったり、やったことが気に入らなかった場合は後でいくらでも返すっつう約束の前払いでやってる。どうだい? 預けちゃくれないかい?」

「……わかった。頼みます」


 そう言って老人は腰を下ろし、指の第二関節までを地につけた。


「じゃあ、預からせてもらうぜ」

「ああ。お願いします」

「そんな畏まらないでくだせえ。じゃあ、正造。……やっちまっていいぜ?」


 耳元で、そう言われた。

 老人に聞こえないように。


「わかった」


 そう言って再び腰を下ろす。


「一瞬だけ、診せてもらうぜ」


 手を握る。


 骨張っている。

 冷たいが震えてはいない。


 妖力ようりきでどこが悪いのかを探す。

 触診しょくしんするよりも、こちらの方が早い為、常世ではこれが主流となっている。


 すぐに瞼の奥で、妖力が滞っている箇所が分かった。


「なるほど。じゃあここでも治せるな」


 治せる。

 だが、治す必要はない。


 周囲が求めているのは、金だ。

 ならば正解は一つしかない。


 私は自分の妖力を、気づかれないように老人のものと同じに整えた。

 その上で、わずかに違う質を混ぜる。


「目、開けていいぞ」


 その老人がゆっくりと目を開ける。


「おお! 目が開……。ウッ!」


 老人が瞼を開いた瞬間、

 提灯の光が、傷ついた神経を刺した。


「――ッ!!」


 悲鳴。

 そして、笑い声。


「やりやがった!」

「最高だ!」


 私は笑うべき場面だと判断し、口角を上げた。


 そして老人を置いて歩き始める周りについて行く。


「お? おお! すげえぜ、これは!」


 遠ざかったあとに老人が渡した袋を覗き、騒ぐ妖々ひとびと


 笑顔。


「はははは!」


 笑顔。

 後ろからも笑い声が聞こえる。


 私はぬえというあやかしだ。


 猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾。

 だがそれは、鵺が変化した一つに姿にすぎない。


 この世でいう鵺は、様々な者に化けられるようちょうの一種であり、妖怪とそうでないものとの境目にいる存在だった。


 妖怪は言葉が話せる。

 そうでないものは話せない。


 そこで区切られている。


 その中で、鵺は鳥の姿でいるときは言葉を発せないが、あやかしの姿をしている時や、別のひとに化けているときは言葉を話せ、さらに不思議な声を持つ。

 そういう存在だ。


 また鵺は、基本的に短命だった。


 鵺は、この世に満ちている妖力の歪みによって生まれる。

 よって妖力が生まれながらに少なかった。


 妖力の量は生まれたときから変化せず、強さと寿命に直結する。

 妖怪の寿命は、妖力の量で決まり、また種族もその質によって変わる。


 ただ鵺は、自身の妖力の質を他のひとと同じにし、また生まれ持った妖力の量以上にはできないが、それより下に妖力を弱く見せることができた。


 他の妖怪とは根本的に違う。

 持つ妖力の量を誤魔化せ、親がいない。


 生物として弱く、自分達を増やす術もない鵺が生き残るためにあらゆる存在に化ける事ができるようになった、というものが今出ている有力な説だ。


 だから、自分が『巣』だと定めた場所から離れようとしないのはそういう理由なのだと。


 だが私にはそういうものがなかった。

 その場やその仲間に思い入れなどもなく、あちこちを転々としてきている。


 何年も。

 何百年も。


 ただその代わりなのか、私は桁違いの妖力を持って生まれた。


 他の者をも凌ぎ、常世で指折りに入るほどの、大妖怪に等しい妖力。

 力だけが強い、鵺らしからぬ鵺。


 無情の鵺。


 いつのまにか、そう通り名がついていた。

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無情の鵺 霜月神舞 @choko877

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