26話 ラベンダー

「どうしたんだ、知也。珍しいな」


 その声で、大沢はおぞましい記憶から蘇った。隆だった。辺りを見渡すと、そこは真理のお墓だった。

 ずっと真理が呼んでいる気がした。マリハ ココダヨ トモヤクン アイニキテ……夢だったのか。大沢は、とりあえず思った事を隆に尋ねた。


「おじさんこそ、どうしてここに?」

「ん? 一応、毎日お参りにきているんだよ。花に水をやって、枯れちゃったら次の花にしてさ」


 大沢は真理が亡くなってから、初めて涙を見せた。涙は、自分が泣きたい時に出てくるものだと思っていた。そうじゃなかった。想いがこみ上げた時に、とめどなく出るものだと、大沢は今、知った。


「僕もそうします。毎日、真理のお墓に来たいと思います」

「そんな時間があるなら、ボクシングの練習でもしておけ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「『知也くんの記録』は見つかりましたか」


 お線香に火をつけた隆は、危うく火傷しそうになる。まあ、急に器用な男にもできないだろう。だが、不可能と思ったその質問には、あっさり答えられてしまった。


「うん。見つけたよ」

「そ、そんな。そのノートはどこから?」


 ほい、と言って隆はお線香を渡す。ラベンダーの香りだ。真理が好きだった花の香り。


 隆はおバカ教師かもしれない。だからといって、優しくないとは限らない。当たり前だが、彼もまた妹を亡くしたのだ。

 言っている事と本心がズレると、人は時にそのウソが表情に出る。優しい表情で話す隆からは、虚しさも感じた。


「数年ぶりに母さんに会ったんだ。つまり高田恭子。あ、今は高田じゃないけど……それで母さんが席を外した時、偶然見つけたのさ。いろいろとね」


 大沢は向き合いたくない現実を、とっさに聞いてしまった。


「恭子おばさんが隠しているという、真理の遺書もあったんですか?」


 その質問に彼はうなずいた


 隆が壊れて見える。全てが壊れた。突然の真実と、遺書が存在する意味……


 だが、隆は「真理に、もう一度手を合わせるか」と大沢の肩を叩いた。その通りにすると、隆は再び優しい目を見せた。どこかで見た眼差しだ。


「一応言っておくが、それを僕は読んでいない。封筒の裏に日付と『高田真理』と書いてあるのは見たけど」

「その日付は……!?」

「確かに真理が亡くなった、あの日だったよ」


 大沢は隆に頭を下げた。いや、頭を下げることしか出来なかった。真理が僕をどう思っていても構わない。僕が嫌いだとしても、僕を恨んでいたとしても。それでもいいから、真理と繋がりたかった。


「お願いします。真理が最後に何を書いたのか、読ませてください」


 だが、隆は穏やかに首を振る。ラベンダーの香りは、真理に届いただろうか。


【おはよう、お兄ちゃん】

【バカやろ、なにがおはようだ。もう10時過ぎだぞ】


 そんなひとつひとつの思い出が、今の隆を支えていた。


「僕もあえて読まなかったんだ。あるべき人の元にあり、読むべき人が読めばいい。少なくともそれは僕じゃないし、大沢知也でもない」


 最後に、隆は例の物を渡した。真理からの、最後のメッセージだった。


「でも、半ば勝手に持ってきたけど『知也くんの記録』は、お前の元にあるべきかなと思ってね……これだよ。このノートがあれば、もう少し頑張れるね?」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 帰って行った隆を見送ると、大沢は『知也くんの記録』を開いた。真理のお墓の前で。


【4月30日。知也くんは頑張っていました。今日はミット打ちを、一生懸命に頑張っていました。知也くんは『真理のために頑張る』と言っていました】


「真理……」


【5月7日。知也くんは頑張っていました。でも知也くんは、仕方なく、そしてやるせなく頑張っています】


「?」


【きっとそうだ。あの日『知也くん、この人カッコいい!』って真理が言ったから、知也くん壊れちゃったんだ‼】


「!?」


【知也くんは最近怖い】


【きっと真理のせいだ】


【真理がいけなかったんだ】


【知也くん、どうして今日あんな事をしたの……お願い、目を覚まして‼】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る