25話 未熟

 その日、僕は人生で一番未熟だった。


「真理! どうして、どうして分からないんだ!」

「だって、知也くん分かんないよ! 真理には難しすぎるよ!」

「プラスマイナスの計算くらいで間違えるな! それにここ、分数の計算すらできていない。分数は小学生でもできるのに!」

「小学生の時もがんばったよ。でも、真理やっぱり分かんないよ!」


 僕は言ってしまった。


「真理、先生になりたいなんて二度と言うな。絶対だぞ」

「……? でも、真理は大きくなったら先生になりたいよ」

「中学生が『大きくなったら』なんて言うな!」

「と、知也くん、そんなに怖い顔しないで……」


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③ 運命の一日・真相


 その翌日。僕は学生ボクシングの大会で、小林翼に挑んだ。その年に全国大会準優勝を勝ち取った。もちろん後で知ったが、坂野さんと遠藤健太郎も見ていた試合だ。


 その日の朝から語ろう。試合前に準備をしている時だった。


「知也くん!」


 その声で僕は振り返った。隆のおじさんに促され、控え室に真理がニコニコ入って来た。君は醜い仕打ちを受けた。僕、大沢知也に……だが、僕は彼女に手を握られていた。


「がんばってね! 真理、応援しているね」


 握り返せなかった。


「僕は真理を見捨てたんだぞ。みんなと同じように」


 耐えられないくらい、きれいな笑顔を真理は見せた。その笑顔は変わらなかった。真理の笑顔を見る、僕の心だけが変わっていた。

 言っている事と本心がズレると、人は時にそのウソが表情に出る。だが、真理は誰かと違ってウソつきじゃない。一点の曇りもなかった。


「そんなこと言わないで! 知也くんは違うよ。だって、真理を応援してくれたもん。今度はわたしが応援するね!」


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 すごい熱気だった。小林が出てきただけで、会場は大盛り上がりを見せた。女子の歓声も山ほど聞こえた。


「あれだ! 高校生でも歯が立たない13歳。とどまることを知らないぞ、あの小林ってヤツは!」

「高校レベルで通用するのは分かったんだ。同じ中学生との試合で、アイツを止められるワケがない!」


 僕は真面目にボクシングをやっていた。その日、小林に勝つまでは。


 試合が始まると、僕は徐々に押され気味になった。ダウンこそ奪われなかったけど、コーナーに追い詰められた。周りの声援は異常だった。


「いいぞ、小林! ガンガン行け!」

「小林くん、ファイトーっ!」


 調子に乗りやがって。最初は、小林のことをそう思っていた。だが、少しずつ「コイツには勝てない」と感じていた。周りも僕が負けるのを望んでいる。確かに聞こえたんだ。


「さっさと倒れろ、大沢! いつまでも突っ立ってんじゃねえ!」

「小林モタモタするな! こんなヤツ、いつもなら血を吐いてるぞ!」

「死ね! お前を見に来てるんじゃないんだ!」


 その瞬間だった。小林のローリングサンダーが決まって、僕は倒れた。バカみたいな、そんな名前の技で。

 カウントが数えられた。この会場にいる全員で。僕は負け。勝ちたくもない。


「ワン‼ ツー‼ スリー‼」











「やめてえっ!」











 その叫び声で、会場が静まり返った。


「死んじゃいや! 知也くん死なないで! 真理だけは応援しているよ!」


 真理はリングにまで上がってこようとする。そして小林が僕に言った。


「……君は、いつ死ぬつもりなんだ。さあ、立ち上がれ!」


 僕は力なく立ちあがった。すると、僕を応援する声で会場はあふれた。


「がんばれ、いい試合してるぞ!」

「あの女の子のためにがんばれ!」


 僕は憎しみが芽生えた。立ち上がれなんて言った小林も、さっきまで小林をひいきしていた連中も……そしてなにより、真理が憎い。

 小林は花を持たせるなんて事はしなかった。だけど、あいつをノックアウトした時から、ボクシングが嫌いになった。


「やったあ、知也くん! ありがとう!」

 高田真理の笑顔は、グロテスクなほどきれいだった。


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 狂ったアッパーカットと、反射的に避ける技術。それを僕に教えたモグラ先輩。先輩のサイコキネシスで、僕は弱みにつけこまれた。


「お前は全ての感情の中で、今、一番大きなものは何だ?」

「憎しみです。ボクシングだけじゃない。全てが憎いです」

「大沢。憎しみに勝る感情はない。そしてボクシングで得た憎しみは、ボクシングでしか晴らせない。お前は望んでいるはずだ。人を殴りたいと」


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「お前は、高田真理が好きなのか?」

「……分かりません。でも、僕は真理のためにボクシングを始めました。テレビを一緒に見ていたら『知也くん、この人カッコいい!』って言うから、やってみたんです」

「それだけか」

「はい」


 モグラ先輩のいう事は正しい。段々と、僕はそう思えてきた。先輩はひとつめの歯車を狂わせた。


「お前の奥底にあるのは優しさじゃない。見捨てては可哀そう。そう『可哀そう』だ。それだけだよ」

「そうでしょうか……?」

「考えろ。可哀そうと思っている時点で、大沢自身が可哀そうなんだ。お前は高田真理から目を背けている。そして『知也くんの記録』を書く彼女がわずらわしいはずだ……大沢、ファーストステップだ。高田真理はバカ、言ってみろ」


「えっ」


「いいから。腹の底から言ってみろ!」

「高田真理はバカ……違う、真理はバカじゃない……でも、もっと普通の女の子がいい。好きとか嫌いとか、真理とは無理だ。僕はもっと違う……」

「分かってきたか。一度でいいから、あの真理を殴ってみろ。本当の事が分かるぞ」

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