14話 猪俣蚕に虹を見た
「これは貸しにしておく。借りを来年の大会で返しに来い」
痛くて仕方ないだろうけど、それを誤魔化して小林は言う。が、大沢は拒むように首を振る。カッコつけたが、モグラの言っていることは、あまり自分の中で消えていなかった。
「無理だよ。僕はやっぱり憎しみで強くなった。それを真理にぶつけた後悔が、まだ……」
そういえば、猪俣は大事なことを忘れていた。これでは、ヒドイ目に合っただけソンである。一生冷やかして、たんまり口止め料をいただくはずだったのに。猪俣はちょっと食い気味で大沢に尋ねた。
「大沢くん。アンタ、緑とのデートはどうしたの?」
ところが、当の本人も「……?」となったあと「しまった!」と、今日一番のリアクションを見せた。これでは僕の株が大いに下がってしまう。いや、もう下がっちゃったか? あわあわしながら猪俣に助けを求めた。
「やべ。途中で胸騒ぎがして駆けつけたから、ほったらかして来ちゃったよ。猪俣さん、電話番号知ってる?」
「知っているけど、お得意様なので教えない。あ、大丈夫。連絡はしてあげるから」
猪俣は公衆電話へと向かう。小林は「なんのことだ?」とちょっと意味が分からない様子。彼はとりあえず大沢の顔を見て、来年のリングに思いを馳せているようだった。そして、去って行った。
「大沢くん、少しは前を向け。じゃあな」
電話を終えた猪俣からそれを聞くと、急いで大沢は駅へと向かった。
🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵
「坂野さん!」
「もう、遅いなあ。待ちくたびれちゃったよ」
坂野は駅前の時計台で、想い人をずっと待っていた。
「大沢くん……やっと来てくれたね」
🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵
「ヒーロー参上! ダサイン王国、アホン!」
ケンカで2割の勝率を誇る男、アホン。野球で例えても、打率2割はなかなかの戦績。スーパーのお得フェア、おっちゃんにジャンケンで勝てば、キャベツひと玉をプレゼント。このおっちゃんとの戦いで2割の……
いや、どうでもいい。一人現場に残された猪俣は、もっと遅れたヒーローを無視して、帰ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ、猪俣さん!」
「待っても、来なかったじゃない」
猪俣は自販機で缶コーラを2本買った。そして1本をアホンに投げる。7777が出れば、もう一本! 6749、ハズレである。
「悪いけど、アンタの取り分はこれで。オオヤケにしたくないという約束を破ったから、依頼料1万円のところ、6千円になるの。私、大沢、小林で2千円ずつね」
それを聞き、しょぼくれてアホンはコーラを返した。僕も車をぶっ飛ばしてきたのに。自転車にも、ちゃんと「車」という字が入るじゃないか! 色々言いたかったが、コーラは猪俣に返した。
「……いいよ。僕は何もしなかったから」
すると、猪俣はとんでもないと断った。少々、アホンを見直したのだ。どうせこの男は、神社でみんなの無事を祈っているだけだろうと思っていたので。
「ひがむなよ。ここに来ただけでも、エライ」
🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵
路地裏で、缶コーラを二人は飲む。アホンはずっと気になっていた疑問を口にした。
「なんでコロシ屋なんて始めたの?」
「エキサイティングしたいから」
どうもそれ以上の解答はないらしい。ちょっとエキサイティングが過ぎるのではないか。作者も自分で書いておいてなんだが、彼女は無茶しているんじゃないか。秘技・猪俣アタックを使ってしまうと、自身のHPを10%も削ってしまうのだ。
しかし、そんな派手な技を見損ねたアホンは、違う疑問を尋ねてみた。
「何にお金を使っているの? ちょいちょい1万円が入るんでしょ?」
「蚕」
猪俣は笑顔を見せた。こんな優しそうな顔は初めてだ。そういえば先ほどの歌詞カードにもあった気がする。
泣き虫だった、小さな頃も 夢に見たのさ、ビリーザキッド
猪俣は子どもの様にワクワクしながら語りだした。
「私の『蚕』って、繭の中でゆっくり大人になりなさいって意味なの。お母さんが名付けてくれたんだ。でも、お母さんは夢多き人だった。男に騙し騙され、今は行方知れずなの」
「た、大変な家庭なんだね。そりゃあ、遊ぶお金というか、生活費がいるのか」
その瞬間、猪俣はさっきと違う笑みを見せた。アホンを小馬鹿にしながら、愛しそうに見つめる。まさかアホンに気があるのでは。いや、そんなバカな話はないだろう。しかし、嬉しそうではあった。
「違う。私は毎回入るこの1万円を募金しているの。血生臭い金って分かっているけど、それが私の生きる道」
空を見つめながら話していた猪俣は、ふと横を覗く。すると、アホンが号泣していた。ラノベ的に数行しかない文章で、ハンカチをグシャグシャにしている。猪俣は一瞬気持ち悪いと思ったが、よく考えれば嬉しい。アホンの肩を叩く。
「ねえ、アンタってバカなの?」
「いや、感動しちゃって」
……どんな人が、どんな人を好きになってもいい。アホンはずっと思っていた気持ちをぶつけた。
「僕、猪俣さんがボクシング部に来たあの日、君に一目惚れしたんだ。ヒーローになれるチャンスだったのに。残念な男だね、僕は。まさにアホだ」
猪俣はいつもだったら大爆笑するだろう。でも、なぜかできなかった。それは、見た目では分からない芯を見抜ける、猪俣だからかもしれない。
彼女は強い男が好きだ。でも、強いというのは抽象的な概念。アホンもまた、別の角度の強さを持っている。彼女はそう感じていた。だから……こんな言葉が出た。
「アホンくん。自分の人生が自分の物って思えるように、ボクシングをやってよ。アンタの名前の意味は『元気』なんでしょ。来年の大会はきっとだよ!」
🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵
帰ろうとした猪俣は、何かを落とした。アホンが拾う。これはペンダント? いや、中に男の写真がある。いわゆるロケットだろう。なんだか、お世辞にも上品とはいえないオジサンだ。すると。
「な、何してるの! 返して!」
突然、猪俣は過呼吸気味になった。急いでロケットを返すと、彼女は謝った。
「お母さんが、アホンくんを大切にしなさいって、言ってるのかな……」
そのロケットを見つめると、猪俣は大事そうに握りしめた。ちょっとサビてはいるけど、記憶はサビていない。数少ない、いや、少ないからこそ覚えていたい悲しい思い出……その結晶がこのロケットだった。
「あの日、誕生日プレゼントがほしいってせがんだら、お母さんはこれを投げつけた。この写真は、きっと騙された男なのよ。その時のお母さん、悲しそうだった。それからロケットが体から離れると、息ができないの。お母さんみたいに、なるんじゃないかって」
そんな思い出話を聞くと、今度はアホンが空を見上げた。きっとヒーローなら、こう言うはずだ。アホンはこみ上げる……いや、それ以上書くのはヤボかもしれない。でも、ひとつだけ想いをぶつけた。
「君のお母さんは、きっとそばにいる。今も繭の中で大人になれって、思っているよ。日本では『あほ』が悪口とも知らず留学させた、僕の母さんより近くでね」
ちなみに、一見スラスラ話している様に見えるが、かなりつっかえ気味になってしまった。リアルに書くと、こんな感じ。
「君のお母さんは、えーっとね、きっとそばにいるよ。だ、だってそうじゃないか! 今も繭の中で大人になれって、思っているよ。ほ、ホントだよ! 日本では『あほ』が、悪口とも、知、らず、留学させ、た……ぜぇぜぇ、僕の母さんより近くでね」
晴れ間は透き通っていた……虹がかかっていると、もっといいのだけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます