14話 猪俣蚕に虹を見た

「これは貸しにしておく。借りを来年の大会で返しに来い」


 痛くて仕方ないだろうけど、それを誤魔化して小林は言う。が、大沢は拒むように首を振る。カッコつけたが、モグラの言っていることは、あまり自分の中で消えていなかった。


「無理だよ。僕はやっぱり憎しみで強くなった。それを真理にぶつけた後悔が、まだ……」


 そういえば、猪俣は大事なことを忘れていた。これでは、ヒドイ目に合っただけソンである。一生冷やかして、たんまり口止め料をいただくはずだったのに。猪俣はちょっと食い気味で大沢に尋ねた。


「大沢くん。アンタ、緑とのデートはどうしたの?」


 ところが、当の本人も「……?」となったあと「しまった!」と、今日一番のリアクションを見せた。これでは僕の株が大いに下がってしまう。いや、もう下がっちゃったか? あわあわしながら猪俣に助けを求めた。


「やべ。途中で胸騒ぎがして駆けつけたから、ほったらかして来ちゃったよ。猪俣さん、電話番号知ってる?」

「知っているけど、お得意様なので教えない。あ、大丈夫。連絡はしてあげるから」


 猪俣は公衆電話へと向かう。小林は「なんのことだ?」とちょっと意味が分からない様子。彼はとりあえず大沢の顔を見て、来年のリングに思いを馳せているようだった。そして、去って行った。


「大沢くん、少しは前を向け。じゃあな」


 電話を終えた猪俣からそれを聞くと、急いで大沢は駅へと向かった。


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「坂野さん!」

「もう、遅いなあ。待ちくたびれちゃったよ」


 坂野は駅前の時計台で、想い人をずっと待っていた。


「大沢くん……やっと来てくれたね」


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「ヒーロー参上! ダサイン王国、アホン!」


 ケンカで2割の勝率を誇る男、アホン。野球で例えても、打率2割はなかなかの戦績。スーパーのお得フェア、おっちゃんにジャンケンで勝てば、キャベツひと玉をプレゼント。このおっちゃんとの戦いで2割の……


 いや、どうでもいい。一人現場に残された猪俣は、もっと遅れたヒーローを無視して、帰ろうとする。


「ちょ、ちょっと待ってよ、猪俣さん!」

「待っても、来なかったじゃない」


 猪俣は自販機で缶コーラを2本買った。そして1本をアホンに投げる。7777が出れば、もう一本! 6749、ハズレである。


「悪いけど、アンタの取り分はこれで。オオヤケにしたくないという約束を破ったから、依頼料1万円のところ、6千円になるの。私、大沢、小林で2千円ずつね」


 それを聞き、しょぼくれてアホンはコーラを返した。僕も車をぶっ飛ばしてきたのに。自転車にも、ちゃんと「車」という字が入るじゃないか! 色々言いたかったが、コーラは猪俣に返した。


「……いいよ。僕は何もしなかったから」


 すると、猪俣はとんでもないと断った。少々、アホンを見直したのだ。どうせこの男は、神社でみんなの無事を祈っているだけだろうと思っていたので。


「ひがむなよ。ここに来ただけでも、エライ」


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 路地裏で、缶コーラを二人は飲む。アホンはずっと気になっていた疑問を口にした。


「なんでコロシ屋なんて始めたの?」

「エキサイティングしたいから」


 どうもそれ以上の解答はないらしい。ちょっとエキサイティングが過ぎるのではないか。作者も自分で書いておいてなんだが、彼女は無茶しているんじゃないか。秘技・猪俣アタックを使ってしまうと、自身のHPを10%も削ってしまうのだ。

 しかし、そんな派手な技を見損ねたアホンは、違う疑問を尋ねてみた。


「何にお金を使っているの? ちょいちょい1万円が入るんでしょ?」

「蚕」


 猪俣は笑顔を見せた。こんな優しそうな顔は初めてだ。そういえば先ほどの歌詞カードにもあった気がする。


泣き虫だった、小さな頃も 夢に見たのさ、ビリーザキッド


 猪俣は子どもの様にワクワクしながら語りだした。


「私の『蚕』って、繭の中でゆっくり大人になりなさいって意味なの。お母さんが名付けてくれたんだ。でも、お母さんは夢多き人だった。男に騙し騙され、今は行方知れずなの」

「た、大変な家庭なんだね。そりゃあ、遊ぶお金というか、生活費がいるのか」


 その瞬間、猪俣はさっきと違う笑みを見せた。アホンを小馬鹿にしながら、愛しそうに見つめる。まさかアホンに気があるのでは。いや、そんなバカな話はないだろう。しかし、嬉しそうではあった。


「違う。私は毎回入るこの1万円を募金しているの。血生臭い金って分かっているけど、それが私の生きる道」


 空を見つめながら話していた猪俣は、ふと横を覗く。すると、アホンが号泣していた。ラノベ的に数行しかない文章で、ハンカチをグシャグシャにしている。猪俣は一瞬気持ち悪いと思ったが、よく考えれば嬉しい。アホンの肩を叩く。


「ねえ、アンタってバカなの?」

「いや、感動しちゃって」


 ……どんな人が、どんな人を好きになってもいい。アホンはずっと思っていた気持ちをぶつけた。


「僕、猪俣さんがボクシング部に来たあの日、君に一目惚れしたんだ。ヒーローになれるチャンスだったのに。残念な男だね、僕は。まさにアホだ」


 猪俣はいつもだったら大爆笑するだろう。でも、なぜかできなかった。それは、見た目では分からない芯を見抜ける、猪俣だからかもしれない。

 彼女は強い男が好きだ。でも、強いというのは抽象的な概念。アホンもまた、別の角度の強さを持っている。彼女はそう感じていた。だから……こんな言葉が出た。


「アホンくん。自分の人生が自分の物って思えるように、ボクシングをやってよ。アンタの名前の意味は『元気』なんでしょ。来年の大会はきっとだよ!」


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 帰ろうとした猪俣は、何かを落とした。アホンが拾う。これはペンダント? いや、中に男の写真がある。いわゆるロケットだろう。なんだか、お世辞にも上品とはいえないオジサンだ。すると。


「な、何してるの! 返して!」


 突然、猪俣は過呼吸気味になった。急いでロケットを返すと、彼女は謝った。


「お母さんが、アホンくんを大切にしなさいって、言ってるのかな……」


 そのロケットを見つめると、猪俣は大事そうに握りしめた。ちょっとサビてはいるけど、記憶はサビていない。数少ない、いや、少ないからこそ覚えていたい悲しい思い出……その結晶がこのロケットだった。


「あの日、誕生日プレゼントがほしいってせがんだら、お母さんはこれを投げつけた。この写真は、きっと騙された男なのよ。その時のお母さん、悲しそうだった。それからロケットが体から離れると、息ができないの。お母さんみたいに、なるんじゃないかって」


 そんな思い出話を聞くと、今度はアホンが空を見上げた。きっとヒーローなら、こう言うはずだ。アホンはこみ上げる……いや、それ以上書くのはヤボかもしれない。でも、ひとつだけ想いをぶつけた。


「君のお母さんは、きっとそばにいる。今も繭の中で大人になれって、思っているよ。日本では『あほ』が悪口とも知らず留学させた、僕の母さんより近くでね」


 ちなみに、一見スラスラ話している様に見えるが、かなりつっかえ気味になってしまった。リアルに書くと、こんな感じ。


「君のお母さんは、えーっとね、きっとそばにいるよ。だ、だってそうじゃないか! 今も繭の中で大人になれって、思っているよ。ほ、ホントだよ! 日本では『あほ』が、悪口とも、知、らず、留学させ、た……ぜぇぜぇ、僕の母さんより近くでね」


 晴れ間は透き通っていた……虹がかかっていると、もっといいのだけど。

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