8話 リングが求める物語

「小場です」

「加山です」

「おばかやまです」

「蜂の駆除はこの小場にお任せあれ。蜂より怖い加山さんは、ハエの駆除で大忙し」


 よくないハエは、バンッと机を叩いた。職員室の片隅にあった、コバエホイホイは今日こっそり捨てた。いや、誤解するな! それはともかく。


「小場加山先生、静かにしてください! 雑誌の占いを見ているんですから」

「高田先生、本当に占いが好きねぇ」


 そんな加山の一言を、気にする余裕などない隆である。なにか明確な根拠が欲しいのだ。スピリチュアルなものでも構わない。むしろ、それしか自分を肯定してくれないのだ。


「えーっと、今週のおとめ座の運勢は?」



 おとめ座  ☆★★★★ 隠し事がバレちゃう予感! 見つかってしまう前に

             自分から正直に言えば、被害は最小限に収まるよ!



「なかなかいい事を書いてありますね。その占い」


 加山に言われ、隆は「むむむ」となった。そして、占いそのものを否定した。


「よし。今週は星5つの、てんびん座に俺はなる!」



 てんびん座 ☆☆☆☆☆ 恋愛運がイイ感じ! 今週はうお座のあの人と

             急接近しちゃうかも!



「うおおお! よし! 片っ端から、うお座の生徒に声を掛けるぞ!」

「いやいや、高田先生。てんびん座のところ、もう一度よく読んでください」



てんびん座 ☆☆☆☆☆ 恋愛運がイイ感じ! 今週はうお座で「年上」の人と

            急接近しちゃうかも!



「異性。うお座。そして年上。この学校で条件を全て満たすのは、このワタクシ、小場以外にいないかと。急接近、しちゃいます?」


 そこへ毎度おなじみ、坂野緑がやってきた。少し髪型を変えたのだろうか。さりげなく、そしてナチュラルなメイクも眩しい。でも、どっちかっていうと作者はギャルな感じで、ネコな感じの方が……


 違う。色々違う。話を戻すが、彼女は今日も大粒の涙を見せる。


「先生。お願いがあります」


 しかし、隆も学習してきた。子どもの頃から予習は苦手だが、復習は得意なのだ。必要に迫られた場合のみ。というワケで、これ以上「タカシは社会的にぜんめつ」できないのだ。一応、クビにはなっていないし。


「もういいだろ。DJミナコに『世界で一番』とか言わせたのは悪かったけど、お前には知也を紹介してやったんだから。僕は今、世界で二番目の中村梢に恋わずらいしてるんだ」



「高田先生の恋わずらい」

「こわいずら」



「すいません。小場加山さん、黙ってくれますか?」


 お邪魔キャラコンビは「了解しました」と頭を下げる。絶対に了解していない……違う。色々違う。本題に戻ろう。坂野緑は自分が正統派ヒロインなのも忘れて、手当たり次第に隆を利用する。


「先生。大沢くんの情報が足りないの。アタックしたくても、唐海に近づいたらタダじゃ済まないだろうし、なんかいい方法ない?」


 あっち行けと言わんばかりの隆は、坂野に構わずテストを作り始める。これが終わったら携帯型ゲーム機の「スーパー森尾ブラザーズ」もクリアしなければならない。教師と言うのは責任重大。あー忙しい、みたいな雰囲気だけは一人前だ。隆は適当に坂野を追い返す。


「そういう事なら、あのコロシ屋に頼めばいいじゃないか……ってあれ?」


 作っていたテスト用紙がない。


「ごめんなさい。次の依頼は、某生徒に数学のテストを先に見せる事でして」


 猪俣だった。この女子生徒、本当にできない仕事はないようだ(そういう意味では、隆は全く仕事をしていない)猪俣は勝ち誇ったように、テスト用紙をひらひらかざす。


「依頼はきっちり最後まで。アフターフォローもぬかりなく。高田先生、このテストを返してほしければ、何とかしなさい」


 ところが、隆はアッカンベをした。こんな頭の使い方だけで、危ない橋を渡ってきたのだ。


 あれは中学一年の時。女子更衣室を覗きに入ったのがバレそうになり、急いで看板に「男子更衣室」とマジックで書いて免れたのだ。ちなみにあの件は無事に済んだが、スケベな成果はあげられなかった。


 しかし、その知恵は今に活きている。このケースの場合、こんな風に言えばいいのだ。


「テストなんて、いくらでも作り変えられますよーだ」

「……それもそうか」


 猪俣は少し悩んだが「そういえば」と、これまた悪い笑顔を見せる。プランAがダメなら、プランBで行こう。


「あの『超・極秘‼』ってビデオは、まだまだ出回っていてね。さてどうする?」


 昔のゲームって、割とチートアイテム多めですよね。どうも根室綾香は定期的に、あのビデオを生産、販売しているようだ。需要があるのだろう。被害者、というか加害者は頭を抱える。


「ぐぬぬ。教師って大変な仕事だな……ううん、分かったよ。その代わり、前払いで頼む」


 すると、猪俣は小場のデスクをさばくった。ちょっと手こずったが、カギは簡単に壊れた。


「あ、猪俣さん。ワタクシの机に何するんですか」


 すると、中からポテトチップスの空袋が大量に(なぜ、マジメな物が何もないんだ……)そして、ご期待を裏切りません。ありました、チートアイテムが。猪俣のカンは今日も冴えわたっている。


「私が全部持っているとは言ってない。高田先生にとって、あると困る場所から1本ずつね。全体的な母数は教えないし、私も知らない」


 隆は小場をニラむ。しかし、ちゃんと「前払い」をしてもらった以上、少し考えた。


「今度、知也がボクシングの高校大会に出る。見に行くか? 場所は唐海高校じゃないし」

「はい! 行きます!」


 坂野緑、もはや隆に未練のカケラもない。そして、意外な人物も行くことに。


「大沢知也か。全体的な戦闘能力は見ておきたいわね」

「……いろんな意味で僕、親戚を売っちゃったな」


 そして隆は地図を引っ張り出す。ちなみにこの地図がないと、家から学校まで来ることが出来ない。


「場所を教えておく。会場は西尾市、春の山体育館だ」

「だから?」

「だから、春の山体育館だってば」

「だから、送り迎え」


🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵


「今日の課外授業は、生徒が二人だから安心ですね!」


 春の山体育館での試合は、あくまで地方予選。だが、まあまあの観客が集まっている。


 リングを見ると、ダサイン王国出身、アホンが試合をしていた。リングに倒れこむ彼に、例の石川が声を上げる。こんな人物がボクシングのラノベを書いて、大丈夫なのだろうか。素直に異世界ファンタジーにしておけばよいものを……石川は健気にアホンを応援する。


「頑張れアホンくん! このラウンド、6回目のダウンだから、まだいける!」

「ほお、興味深い。ちょっと見直したわ。根性あるのね、あの外国の男子」


 何も知らず感心する猪俣に、隆はボソッとつぶやいた。オオボケ役の彼も、さすがにツッコミたくなったようだ。


「ある種感動的だが、ある種ギャグ的な、6回目のダウン」


 その後、2回ほど頑張って立ち上がったが、結局アホンは勝てなかった。あー感動的だなあ。我ながら、こんなボクシングラノベを書けて、すごいなー。



 次は大沢知也が出場する番だ。しかし、いくら石川がボクシングを知らないとはいえ、対戦相手はどう考えてもおかしい人物だ。空手しか知らなくとも(作者が書いている以上、ホントは知りませんが)猪俣は怪訝な顔をする。


「デカいわね。体格が大沢くんの2倍はあるんじゃない? この組み合わせで試合していいモンなの?」

「うん。いいの、いいの。こんな感じで、リトルなボクサーがデカいのと戦うゲームが、昔あったじゃん」



 ゴングが鳴った。



「大沢知也。うわさには聞いているぜ。かつて全国大会、準優勝を誇った伝説のアッパーカット。だが、その実力を引き出せるのは、チャンピオン・小林翼だけ……悪いが、そいつに会いたいのはお前だけじゃない。ここで帰ってもらうぞ」

「しゃべってないで試合しようぜ。僕も小林に会えたら自分で帰る。あと、準優勝とアッパーカットは関係ない」


 対戦相手は愛知県屈指の実力者、尾ノ上。開始10秒の出来事だった。


「ぐわっ」


 大沢はアッパーカットを喰らい派手にダウンした。尾ノ上は思った。どうせ大沢はこの程度。俺はコイツとの直接対決は初めてだが、腰抜けくらいには負けない。


 一見ザコキャラに見える尾ノ上だが、常日頃の練習量がそうでない事を裏付けている。下品にへらへらと笑い挑発した。


「どうだ。俺にも見せてみろ。憎しみを感じた時しか、本気を出さないというアレを……侮辱された気分だろ。貴様、大沢知也がお気に入りのアッパーカットをくらって、ダウンしたんだからな」


 カウントが9まで数えられた。面倒くさそうに大沢は立ち上がる。ここに来る度、僕は何がしたいか分からない。でも、リングは僕を逃がさなかった。大沢は聞こえるような、そうでないような声で、尾ノ上につぶやいた。


「アッパーカットか。お前、それをマトモに食らったら歯が折れるぞ。見世物じゃないんだ」


 それを聞き、尾ノ上は再び殴り倒す。そして膝をつき、大沢の顔を思い切り押さえつけた。無防備な腹に何度でも拳を振り下ろす。


「あの掟に無かったはずだ。これもアリなんだよ。大沢、懺悔しろ。お前の憎しみはこれでも生まれないのか」


 大沢は這いつくばって、尾ノ上を突き飛ばす。唇が少し切れてしまった。大沢はもちろん分かっている。コイツの強さなんてたかが知れている。が、あえて自分の闇をさらすのもシャクだった。


「お前、僕の何を知っているんだ」

「それなりに知っているつもりだ。知也くんは、憎しみで幼馴染を殺した」


 その瞬間。大沢は目つきが変わった。さっきと違い、体に血潮が走っている。もう、こんな瞬間はないと思っていたのに。大沢は黒き力の操り人形となった。


「小林に会いたいんじゃないのか。僕を本気にして何が楽しい」

「うるせえ。小林だけに勝ったとしても、なんの価値もない。本気のお前に勝ち、そして小林にも勝たなきゃ意味なんてないからな。そのためだけに磨いてきた俺の実力、見せてやるよ」

「10%の本気くらいなら出してやる。好き勝手に来い」


 それを聞くと、尾ノ上は振りかぶった。体格は大きいが、見た目以上に素早い。だが、大沢はコンマ1秒の差でそれを放った。



「ぐおおおお!」



 3分経っても、尾ノ上は立ち上がれなかった。少し、気を失っていたのだろう。これが大沢のアッパーカット。



 2回戦。ついにその人物は現れた。会場の隅で猪俣は隆に尋ねる。


「誰なのアイツ? 会場中が、大沢くんの相手を応援しているみたいだけど」

「小林翼……天才だ。彼は中学2年から去年の高校1年までの、学生大会優勝者。アイツの前じゃ、尾ノ上なんて程度は手も足も出ないよ。言いたい事は分かる。でも、僕が知也に賭けるなら缶コーラまでだぞ」

「ほお、興味深い。賭けないワケではないと」

「小林が今までの大会で負けたのは、中学1年の時の大沢知也、ただ一人だからね。その年に知也は、全国の準優勝を勝ち取ったんだ。ま、今の知也は怠けているから、小林なんかに勝てっこないけど」


 すると、猪俣は妙な話を持ち掛けた。この女、自分に得があれば、テキパキとこなす行動派。3秒で勝算を確信すると、またナイフを取り出した。この場面で使っても意味ないし、誰かが見たら誤解すると思うのだが。


「逆に私が大沢くんに賭けるわ。私が勝ったら、数学の成績を1年間保証して」

「なんだ、その家電を買った時みたいなのは……ところで、お前が負けたら?」

「そうね。アンタが欲しがっている、ビデオテープでどう?」



 試合開始。だが、小林は圧倒的なスピードだ。計算通りなのだろう。あっという間に大沢をコーナーに追い詰めた。周りの歓声がちょっと異常だ。大沢もカッコいいが、小林のシュッとした顔立ちは、まさに王子様タイプ。女子の歓声もすごい。


「うわっ!」


 小林のストレートで、大沢は最初のダウンを奪われた。


 軽いジャブすら力を感じない……大沢の諦めかけた虚ろな目を、小林は残念そうに見下ろす。


「どうしたんだ。あの女の子の前で、大沢くんは僕からダウンを奪って勝ったんだぞ。あれから君は努力をやめた。本当にそれでいいのか?」


 カウントが数えられる……


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やめてえっ! 起き上がって!

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 生きている。このリングの上では、そんなことすら感じない。しかし形だけではあるが、一応、大沢は立ち上がった。


「毎年毎年、なんでこんな事をする。僕が小林に勝った時の、リプレイの様な試合運び。お前が勝つ度に言い残す『大沢知也の前に、あの少女はもう一度現れる』とはなんだ。その意味さえ分かれば、もうボクシングなんてどうでもいい」


 ステップを踏ふみ続ける小林だが、ガードをするのはやめて真っ直ぐに大沢を見据えた。そしてその瞳で訴えかける。


「言っておくが、このリングの上でしか教えるつもりはない。もう一歩、踏み込め」



「おいおい、小林しっかりしろぉ! 『ステップを踏ふみ続ける小林だが、ガードをするのはやめて、真っ直ぐに大沢を見据えた。そしてその瞳で訴えかける』なんてヒマがあるなら知也なんてテキトーに倒してしまえ、頼むから!」

「まったく高田。相変わらず人間の風上にも置けないね」


 隆の元へ猪俣が帰って来た。彼女の脳天割り的空手チョップを、隆はモロに喰らう。親戚より自分の立場を重んじる隆は不義理。猪俣の言わんとすることは分からなくもない。だが、もう一度就職活動などゴメンなので、隆の反抗期は終わらない。


「お前、ついに僕を呼び捨てにし始めたな。だいたい『人間』の風上にもって全てじゃん。ところで猪俣、どこ行ってたんだ?」



 これ以上ないほど小林は追い詰めるが、まだ決定打を見せない。誰かの揺れる影が、あの日の大沢を呼んでいる。このリングは何ひとつ変わっていないのだろうか。小林は、逸らしたくなるような熱い眼差しで、大沢に語る。


「僕は君のアッパーなんて見たくない。それ以上に見たいものがある。誰かを思うあの強さ。もう一度見たい」

「……似たようなマンガを、読んだらどうだ?」


 その瞬間、小林の表情が変わった。今年も失望で終わりなんて許さない。高校を卒業すれば大沢の目を覚ますチャンスはもう二度とない。僕と君の答えが出ないなら……! 小林は振りかぶった。


「どこまでも曖昧。それがお前の弱さだ!」


 小林は、風を切る様なローリングサンダーを放った。


 小林の派手な必殺技だ。体を一回転させ、その勢いでフックを決める。一見隙だらけだが、これには対抗策が無く、ほぼ全ての選手はなすすべがない。会場中の人間が思った。これで決まったか……しかし。


「な、なんだ、今の動きは!?」


 驚異的な反射能力。大沢は見切った。だが、理由は単純だった。


「痛いのはヤダ。もういい、自分から倒れる。そんなムキになるな」

「ふざけないでくれ!」


 あまり見ない力任せな小林のパンチが決まり、大沢は再びリングに倒れた。

「ワン・ツー・スリー」


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知也くん死んじゃいや! 真理だけは応援しているよ!

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「真理。自分で死ぬほど……ごめんな」

「大沢くん、しっかり」


 その言葉を掛けた人物を見て、大沢は驚いて立ち上がった。大沢の記憶は一瞬にして、その日までさかのぼった。


「ま、真理! どうして……」


 亡くなったはずの真理がそこにいた。懐かしいお団子頭。ま、幻……?


「大沢くん。立ち上がった以上、試合をしてください」

「え、あ、はい」


 審判に言われ、大沢は真顔になった。なぜだろう。1秒にも満たない瞬間、波動の様なものが変わっていた。そして、暗黒の中でもがく純白の強い力が、今蘇る……大沢は快進撃を見せた。


「な、なんだ、あの大沢ってヤツ。さっきまで手を抜いていたのか?」

「小林が押されているぞ……」


 会場中が呆然とする。アホンと石川もあっけに取られていたが「やっぱり」とうなずいた。


「これが、大沢くんの実力だ!」



「なにをしとるんだ、小林ぃっ! 『1秒にも満たない瞬間、波動の様なものが変わっていた。そして、暗黒の中でもがく純白の強い力が、今蘇る……大沢』なんてペシャンコにしちゃえ! 僕の教師生命がかかっているんだぞ!」


 そんな無責任教師を知る由もない大沢は、禁断のアッパーカットを振りかぶる! だが、やっぱりバレた。


「あ。なるほど」


 大沢がつぶやいたその5秒は、まさに隙だらけだった。1秒で何か蘇ったとはいえ、1秒より5秒の方がやっぱり長い。単純に、時間は5倍ですからなあ。



「ノックアウト! 小林翼、3回戦進出‼」



 ノコノコと慰めに来た坂野と猪俣を見て、大沢は怒った。まあ、当然だけど。


「おい坂野さん! テキトーなお団子頭はやめろ! デリカシーとか無いのかよ」


 なんていうか、大沢はだいぶ可哀想な気がする。しかし、全く猪俣は気にしていない。伊達にこの荒野を生きていないのだ。彼女は本能的なカンが鋭い。しかし、完璧なカンなんて、この世に存在しない。迷惑をかけてかけられ、人は生きていくのだ。


「いいじゃない。1回多く立ち上がれたんだから。おかげでこっちは商売上がったりよ」


 大沢はグローブを外し真剣に怒った。そして立ち去った。


「小林と違って、僕はボクシングなんかしちゃダメなんだ」


🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵


 後日。唐海ボクシング部にて。

「本当に退部しちゃうの? まだ来年があるよ」


 アホンは長く続けたボクシングを、あっさりやめる大沢を止めた。ボクシング部顧問、河合先生も引き止める。


「お前が本気で打ち込めば、叶わなかった全国制覇も夢じゃない。なにが気に食わないんだ。あれはマグレなんかじゃない……モグラもがっかりするぞ」


 だが、大沢は帰り支度をする。グローブもゴミ箱に捨ててしまった。やっと、捨てられた。寂しいというより、解放されたという気持ちの方が、大沢にとっては大きかった。


「真理よりは勉強も運動もできますよ、僕は。だからって優秀じゃない。少しでもいい大学に行くなら、こんなコトやってる場合じゃありませんよ」


 ところが、部室を後にしようとする大沢に立ちふさがった人物がいた。そのゴミ箱から埃を払ってグローブを拾い上げる。


「今の発言は、真理ちゃんを傷つけていると思うけど」


 坂野だった。大沢は付きまとう彼女に、ウンザリしてきたようだ。


「お前、そんなに言えた立場じゃないだろう。何も知らないくせに」


 そんな彼に、坂野は紙切れを突きつける。この女子生徒、意外に実力派のようだ。すっかり忘れていたが、そういえばクラス委員長でもあった。


「これ、私の成績表。坂野緑、学年6位。中部地方、上の中くらいの学校で、なかなかのものだと思わない?」

「何が言いたいんだ!」

「大学受験の面倒は私が見ます。それに成績6位の理由は、幸か不幸か帰宅部だから。大沢くんの学力は、私が全面的にバックアップしてあげる」



「……坂野さん、勉強の全面的バックアップって、そういうことで合ってるの?」

 30分後、喫茶店にて。心配そうな大沢を尻目に、坂野はガンガンこなしていく。

「いいの、いいの。大沢くんの宿題、全部私がやっておくから」

「いやその。僕の学力を上げてくれるのかと思ったんだけど」

「おいおい。だったら教科書でも読んでなさいよ。コーヒーなんかすすってないで」

 


「……なんで、努力するのをやめちゃったの?」


 窓の外を見ているだけの大沢に、坂野は手を止め声をかけた。


「この前の試合の最中に、小林くんが言っていたよね。君は努力をやめたって。そんなの真理ちゃんが傷つくと思わない?」


 すると、大沢は「ここまででいいから」と宿題を取り返した。ボクシングなんて、意味がない。それと同じくらい勉強にも意味がないと、彼は常々思っていたのだ。坂野は引き止めようと口を開いたが、大沢は捨て台詞だけ残し、立ち去ろうとしていた。


「道に迷った時、僕は『憎しみ』に頼った。真理は僕の未熟な感情に耐えられなくて、自殺した。努力している方が、きっと真理は傷つく」


 その時、大沢は酔いを感じた。誰かが僕に声を掛ける。誰だ、この女の子。


「きっと大丈夫だよ、大沢くん。坂野緑も応援しているから」


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 知也くん、真理は応援してる。いつでも応援してる。

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 大沢は一言呟き、今度こそ去った。

「……分かった。もう少しだけ、ボクシング部にいるよ」

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