第25話 完璧な裏方工作のはずが、第二王子に抱き止められました!

 会場の煌めきの渦を背景に、私の完璧な裏方工作は、奇跡的に――いや、もはや神の介入があったとしか思えないレベルで――成功していた。リリアーヌとアシュレイ殿下は、ごく自然に距離を縮め、ほぼ無意識のうちに視線を交わす。あとは二人の愛の花が咲き乱れるのを、静かに見守るだけ……のはずだった。


(……ふふ、やったわ。今日の私は完全に空気よ。この歴史に、エルゼ・ヴァレンティという悪役令嬢は存在しない!)


 私の脳内では勝利のファンファーレが鳴り響いていた。しかし、運命という名の残酷な脚本家は、そんな私に新たな絶望を突きつけた。


「……久しぶりだね、エルゼ嬢。隠れるのがあまりに上手すぎて、逆に目立っているが?」


 背後から響く声。低く、穏やかで、太陽そのもののように明るい――けれど今は私を焼き焦がすかのような灼熱を帯びていた。


(ひぃっ……! バ、バレたぁぁぁあああ!!!)


 恐る恐る振り返ると、そこには笑顔を湛えたアシュレイ殿下が、優雅に、しかし確実に私の逃げ道を塞ぐような歩調で、一歩、また一歩……と私に近づいてくる。


(いやいやいやいや! どうして私が狙われるの!? 私は壁よ! 空気よ! 背景テクスチャなのよ!)


 私は必死に扇で顔の下半分を隠し、忍者のごとくそろりそろりと後ずさる。

 しかし、アシュレイ殿下の一歩一歩は、どうやっても絶対に避けられない、運命の歯車のような速度で迫ってくる。


「え、えっと……あ、あの……殿下……何か、御用でいらっしゃいますか……?」


 声が情けないほど上ずった。


「どうしたんだい? そんなに身を縮めて……なにか恐ろしいものでも見えたのかい?」


 彼の涼やかな瞳が、私の内面を見透かすかのように細められる。


(今この場であなたより恐ろしいものなんてないわよ!!)


「い、いや、その……ちょっと、会場が、暑くて……熱気に、やられてしまいそうで……」


 苦し紛れの言い訳は、まったく説得力がない。額に冷や汗が滲む。


「ふふ、そうか。それは申し訳ない。いや、君が隠れるのがあまりに上手だから、つい探してしまっただけさ。リリアーヌ嬢が、君のことを気にかけていたからね」


(ちょっと待って、探すって……私、完璧に壁のつもりだったのに! これ完全に『悪役、陰でコソコソしていたのがバレる』断罪フラグじゃない!?)


 アシュレイ殿下は、まるで面白がっているかのように笑いながら、さらに一歩私に近づく。

 もはや、私の背中は壁にぴったりと張り付いていた。逃げ場がない。


「……そ、それじゃあ、私、あの、ちょっと……用事がございまして……」


「うん? 逃げるつもりかな? 僕から?」


(やべぇぇぇぇぇ!!! これ以上問い詰められたら、確実に私が過去にやらかした悪行リストを読み上げられる……!!)


 反射的に、私は扇で顔を隠し、忍者のごとく――いや、もはや獲物から逃れる獣のように横へと身を翻した。最終手段として選んだ逃げ場は、会場の隅にひっそりと佇む、誰もいない静かな噴水広場。


(そこしかない……!!)


 足元のドレスを踏まないよう細心の注意を払いながら、背後で追いかけてくるであろうアシュレイ殿下の気配を意識しつつ、私は噴水広場へと全速力で駆け込んだ。


「あ、お姉様――!」


 リリアーヌの心配そうな声が、背中に迫る。

 私は振り返らず、心の中で絶叫した。


(ごめんリリアーヌ! でも今の私に、あなたと殿下のイチャイチャを見守る余裕はないの! 私が近くにいたら、リリアーヌの恋愛フラグが全部『悪役令嬢断罪フラグ』に変換されちゃうから!!)


 息を切らし、心臓は爆音で警鐘を鳴らし続けている。だが、私は扇を盾にして、原作で私が突き落とされるはずだった噴水の脇で、精一杯の「存在感ゼロ」作戦を再開した。


(生き延びろ、エルゼ……! そして、この日を、無事に生き残って、二人の愛を、静かに、影から見届けるのよ……! 私は、生きるんだから……!)


「……どうか、私を、見つからずに、この日を生き延びさせて……!」


 噴水の脇で息を整え、心臓のバクバクを落ち着けようと深呼吸をしていた。

 会場の熱気とアシュレイ殿下の放つ「正義の光」から逃れ、ようやく手に入れた束の間の静寂。


(はぁ、はぁ……よし。ここまで来れば、もう大丈夫。誰も見てない、私はただの夜景の一部……)


 そう自分に言い聞かせ、乱れた呼吸を飲み込んだその瞬間――


「――随分と焦っているようだが。また何か、俺の知らないところで新しい『悪行』でもバレたのか?」


 鼓膜をなぞるような、低く冷ややかで、けれど酷く楽しげな声。脳内のデータベースが即座に声の主を特定し、私の心臓は悲鳴を上げた。


「ぎゃぁぁぁっ!!?」


 淑女にあるまじき絶叫を上げ、私は脱兎のごとく飛び退こうとした。

 だが、慣れない藍色のドレスが足に絡み、無情にも右足のヒールが石畳の隙間に食い込む。


(あ、終わった……)


 視界が大きく傾く。背後には、月光を反射して不気味に輝く噴水の水面。走馬灯のように前世の記憶が駆け巡る中、私は目を強く閉じた。


 ――しかし。

 衝撃は来なかった。


 代わりに感じたのは、強引に引き寄せられるような力と、上質な香の匂い、そして鍛えられた男の体温。


「……相変わらず、足元が疎かな女だな」


 恐る恐る目を開けると、そこには、私の腰を片腕でしっかりと抱き止めた男の顔が至近距離に迫っていた。


 ギルバート・ソルフェリナ。

 ――第一王子アシュレイの弟にして、この王国の第二王子。艶やかな黒髪を無造作に流し、獲物を値踏みするような切れ長の瞳は、アシュレイの「太陽」とは正反対の、昏く深い闇を湛えている。


(ギルバート……! 乙女ゲーム『煉獄のロザリオ』における、最高難易度の策士……!)


 彼は知的好奇心の塊で、目的のためなら手段を選ばない冷徹な男。

 かつての私を「底の浅い馬鹿な女だ」と嘲笑い、ゴミを見るような目で見ていたはずの男だ。


(……一番、苦手なタイプ……前世の彼氏に雰囲気が似すぎてる……見てるだけで胃が痛い……!)


 そんな私の心中など露知らず、ギルバートは私の腰を抱いたまま、もう片方の手で顎をくい、と持ち上げた。


「珍しく慎ましやかなドレスを着ていると思ったら……中身は相変わらず、隙だらけのままだな」


 至近距離で放たれる色気と威圧感。

 月光を背負った彼の冷たい瞳が、私の瞳の奥まで覗き込む。執着心の強さがにじむその視線に、私の心臓が「ドクン」と大きく跳ねた。


(待って、何これ……なんでこんなにドキドキしてるの!? 吊り橋効果……!?)


「……ギ、ギルバート殿下……離して、ください……」


「嫌だと言ったら?」


 彼は意地悪く口角を上げ、腕の力をわずかに強める。原作では、リリアーヌに惹かれる役回りだったギルバート。


 しかし今の彼は――面白い玩具を見つけた子供のような好奇心で、私を見つめていた。


「お前、最近……妙に面白い顔をするようになったらしいな。さっきの背景と同化しようとする姿は傑作だったぞ」


(見てたんかい……!!)


 私は顔が真っ赤になり、必死に彼の胸を押し返す。策士ギルバート。逃げ道はほとんどない。


(最悪……噴水に落ちるより、この男に目をつけられる方が、破滅への近道かも……!)


 夜の静寂、噴水の水音。抱き寄せられた腕の中で、私は、新たな断罪の足音が近づいてくるのを感じていた。

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