第23話 消えたい令嬢の晩餐会

 ついに、この日が来てしまった。

 カレンダーから剥ぎ取って暖炉に放り込みたかった――あの「運命の晩餐会」当日である。


 私は現在、マーサという名の鬼軍曹によって、全身を磨き上げられるという名の「拷問」……もとい「身支度」の最終段階にいた。


「お嬢様、息を止めてください」


「ふぐっ……! ま、マーサ、これ以上ウエストを絞ったら、晩餐会のメインディッシュを一口食べた瞬間に爆発して、アシュレイ殿下を物理的に攻撃することになるわ……!」


「その時はその時です。爆発の軌道は私が計算して修正しますので、ご安心を」


「何が安心なの!? 殿下へのテロ行為じゃないのよ!!」


 鏡の中の私は、例の藍色のドレスに身を包んでいた。仕立て直されたそれは、驚くほど私に馴染んでいる。……馴染みすぎていて、逆に怖いくらいだ。


(よし、チェックよエルゼ。今日のミッションは三つ!)


 一、リリアーヌより目立たないこと。

 二、アシュレイ殿下と視線を合わせないこと。

 三、噴水に一歩も近づかないこと。


 鏡に向かって私は渾身の「虚無スマイル」を浮かべた。


「……完璧ね。今日の私は、豪華な内装の一部。動く壁。背景グラフィックの端っこにいる村人Aよ……!」


「お嬢様、そのお顔はいただけません。死んだ魚の目をして社交界に乗り込む公爵令嬢がどこにいますか。せめて淡水魚くらいの生命力は宿してください」


「淡水魚ならセーフなの!? 無理よマーサ、私の心拍数は今、ドラムの連打を叩いてる状態なんだから!」


 前世の記憶があるからこそ、この晩餐会の恐ろしさはよく分かっている。

 原作では、ここで私がリリアーヌに嫌がらせをし、アシュレイ殿下に目撃され、「君のような傲慢な女は、ヴァレンティ家の恥だ」と冷たく言い放たれるはずだ。


(言わせてなるものか! 言われる前に、私は柱の影に溶け込んでやる!)


 さあ、仕上げである。

 マーサが取り出したのは、母様から譲り受けた小振りのパールの首飾りだった。派手なダイヤモンドではない。だが藍色のドレスの上で、それは静かに、確かな存在感を放っている。


 鏡を覗き込み、思わず息を呑む。

 派手に飾り立てる以前の自分よりも、ずっと「エルゼ・ヴァレンティ」という存在がはっきりとそこにいた。

 悪役令嬢特有のキツさは、藍色の深みによって「凛とした静謐」へと変換されている。


(……待って。これ、逆に『質素な美しさに目覚めた悪役令嬢』っていう新しい属性で目立っちゃわない!? 大丈夫!?)


 マーサが扉を開ける。向こうには、まさに戦場……じゃなかった、華やかな会場へと続く廊下が伸びていた。


(……いい、エルゼ。あなたは空気。あなたは装飾品。あなたは背景のテクスチャ……)


 呪文のように自分に言い聞かせ、一歩を踏み出す。心臓が口から飛び出しそうだけど、それを飲み込み、優雅に微笑む。

 これが、元・愛嬌で生き抜いた女の底力よ!


(見てなさい運命! 私は絶対に誰も落とさないんだから!!)


 鏡越しにちらりと自分の姿を確認。藍色のドレスは静かに揺れ、手にしっかり馴染んでいる。

 ――うん、これなら大丈夫。少なくとも、誰も踏みつぶされることはない。


 ……いや、踏みつぶされるのは心臓だけだけど。


 小さく息を整え、私は会場の奥へと進む。微かな笑みを浮かべながらも、心の中では絶えずツッコミと呪文を唱え続ける。

 ――今日の私は、背景の村人A。静かに、でも確実に――生き残る。

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