第18話 お茶会のはずが、断罪フラグの味がする

 焼き菓子の、控えめで優しい甘さを噛みしめる。

 バターの香りが舌に広がり、ようやく心臓の暴走が収まりかけた――その、ほんの一瞬の油断だった。


「……あ、そういえば」


 リリアーヌが小首をかしげ、何かを思い出したように、可憐な唇をそっと開く。


「お姉様、もうすぐ晩餐会ですね。ドレスは、もうお決めになりましたか?」


「………………ぶふっ!!」


 私は、今度こそ盛大に紅茶を吹き出した。


「えっ!? だ、大丈夫ですか、お姉様……!?」


「げほっ……! だ、だいじょう……ぶ……っ」


 慌ててハンカチで口元を押さえるものの、喉の奥に茶葉が引っかかり、情けない音が漏れる。

 背中をさすろうと身を乗り出してくるリリアーヌの姿が、やけにスローモーションに見えた。


(わ、忘れてたぁぁぁぁ!!)


 頭の中で、盛大な悲鳴が木霊する。


(晩餐会は三ヶ月後だと思って油断してたけど……その前に「顔合わせ」という名の地獄イベントがあるんだったでしょうが!!)


 物語が本格的に動き出す、呪われし公式イベント。

 そして何より――原作で私がやらかす予定の、あの伝説級の悪行。


(リリアーヌのドレスを嘲笑い、衆人環視の中で罵倒し、最終的に噴水に突き落とす――あの地獄の晩餐会!!)


 胃が、きゅっと音を立てて縮む。


「え、ええ……。そ、そういえば……そんな行事も……あった、かしら……」


 もはやこれは笑顔ではない。

 頬の筋肉が限界を迎え、死後硬直寸前の何かだ。


「まだ……決めてない、かな……。というか、今の私に似合うドレスなんて、この世に存在するのかしら……」


「まあ、何をおっしゃるんですか!」


 リリアーヌは、私の瀕死の独白を完全スルーし、両手を胸の前で合わせた。


「お姉様は、どんなドレスでもお綺麗ですわ。きっと皆さま、目を奪われます!」


(その視線、羨望じゃなくて処刑前の確認作業なんですが……)


 私の内心など露ほども知らず、リリアーヌは少しだけ頬を染め、はにかむように視線を落とす。


「私……とても楽しみなんです」


 その一言で、嫌な予感が確信へと変わる。


「だって、アシュレイ殿下と、初めて直接お会いできるんですもの……」


「………………」


 私の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。


(出た。第一王子アシュレイ)


 リリアーヌの運命の相手。

 そして――私を公開処刑する予定の、未来の断罪執行官・第一号。


(『君のような醜い心の持ち主は、王国の花に相応しくない』って、あの完璧な正論で私を社会的に殺す人!!)


 リリアーヌは、そんな私の魂の叫びなど知る由もなく、恋に恋する乙女のオーラを全身から放っている。


「殿下はとても凛々しくて、お優しい方だと伺っておりますの。お姉様は、もう何度もお会いになっているのでしょう? どんな方か、ぜひ教えてくださいな」


(教えろ……ですって?「将来、私を冷たい目で射抜いて、人生を詰ませてくれるイケメンです」って!?)


 顔が、ひきつる。

 いや、もう「顔面崩壊」という表現が正しい。


「そ、そうね……。殿下は……その……とても正義感が強くて……」


 慎重に、慎重に言葉を選ぶ。


「こう……『悪』を絶対に許さない、シュッとした方よ。ええ。すごくシュッとしてるわ。あと……眼力が、ものすごいの」


「まあ! やはり素敵な方なのですね!」


(違う!! それは私に向けられる殺意の眼力よ!!)


 リリアーヌの背後では、きらきらと花が舞っている。

 一方、私の背後には、断罪フラグという名の暗雲が渦巻いていた。


「私、緊張して上手くお話しできるか不安です……」


 そう言って、彼女は少しだけ不安そうに微笑む。


「お姉様。当日は……私のこと、助けてくださいますか?」


(助ける!? 私が!?あなたと殿下の仲を取り持った瞬間、私の断罪が加速するだけじゃないの!?)


 だが、ここで拒否すればどうなるかは明白だ。

 監視役のカイルに「やっぱり怪しい」と睨まれ、父には「まだ嫉妬しているのか」と疑われ、気づけばデッドエンド一直線。


「……ええ。もちろん」


 私は、震える声を必死で誤魔化す。


「全力で……応援、させて……もらうわね……」


 サブレを口に放り込みながら、私は静かに決意した。


(目標変更)


(晩餐会までにやるべきことは、ドレス選びじゃない)


(まずは――アシュレイ殿下に刷り込むのよ。「今のエルゼは、噴水に人を突き落とさない程度には無害です」って!!)


 リリアーヌの可憐な笑い声がサロンに響く中、

 私の脳内ではすでに「いかにして殿下と目を合わせず、存在感を消し、なおかつ怪しまれないか」という、極めて高度なステルス作戦のシミュレーションが始まっていた。


(……この晩餐会、生きて帰れる気がしない)


 けれど、逃げるわけにはいかない。

 物語は、もう次の地獄イベントへ向けて、着実にページをめくり始めているのだから。

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